しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2024/04/14 コミュニティには食べもの沸きドコロが必要

4/6(土)

すべては原宿になる

ロードバイク専門店に用があって四条河原町へ。久しぶりに訪れたら相変わらず観光客だらけだった。10年くらい前から徐々に観光地化が加速していたけれども、今や河原町は渋谷、原宿みたいな雰囲気になっている。広告こそないが、その辺で売っている食べものがテンプレ観光地のもの。もうここは地元民の繁華街ではなくなったらしい。

 

自転車整備をしてもらっている間に丸善で暇を潰す。ここは平和。観光客は京都BALの地下に巨大本屋があることなど知らないだろう。旅先で本を買う人は多くあるまい。

千葉雅也の新刊、林・ヨシタケシンスケの新刊、ミャクミャク様グッズを買った。そういえばヨシタケシンスケ氏と林さんの対談記事良かったですね。

dailyportalz.jp

🎩🎩🎩

小籠包は十個以上

夜は中華料理店で小籠包を十二個注文した。

稲田俊介はエッセイの『おいしいものでできている』で「小籠包は十個以上」注文するものだと主張している。理由は「最初の三個か四個を夢中で食べ、八個目くらいで「このまま無限に食べられるのでは?」と思い、十個を超えたあたりでうんざりしてくる。でも、そのうんざり感がまたおいしさを生むから」らしい。

そういう文脈で、本当に小籠包は十個以上なのか確かめにきたのだ。

しかし日和ってしまった。「さすがに二人で二十四個注文するのはやばない?」となってとりあえず十二個にしてしまった。

結論からいうと足りなかった。六個程度ではまだ五合目だ。まだうんざりしてない。

それに黒酢もある。先に汁を吸って黒酢と針生姜でいただくか、破らずに丸ごと黒酢をつけるか、などなど味変の可能性は開かれている。

これが十二個

小籠包は十個以上。それでまちがいない。

もしかすると店員さんがびっくりするかもしれないけれども、そこはおいしさのために我を通すところである。

4/7(日)

理想的二分木剪定

オリーブの剪定をした。

散髪後

オリーブは昨年買った。三年か四年の樹とまだ一年も経ってなさそうな受粉用の樹がある。どちらも元気に越冬して、春になり芽が動き始めていた。

実はまだ買ってから切ってなかった。オリーブは通年剪定をして樹形を整えるものらしい、のだがどこを切ったらいいかわからなくて放置してたのだ。でももう春。これからニョキニョキ伸びてくるのでもう手をいれないといけない。切ることにした。

 

動画や文献によるとオリーブはバシバシ切ったらよいらしい。わりと無計画に枝を伸ばしてくれるのがオリーブだが、湿気には弱いので風通しがよくなるよう、枝をスカスカにせねばならないそうだ。

お仕事(DBのチューニング)で仲良くしてる二分木くん

イメージとしては二分木だと思った。二分木とは計算機科学を勉強するものが必ず習うデータ構造で、上の画像のような形をしている。一つの枝から二つの枝が出ていて、その構造が無限に繰りかえされる。なるほどフラクタルは自然界の基本だ。二分木で効率的に空間を埋め尽くすように樹形を作ったら、最小の葉っぱで最大の日光浴ができるのではあるまいか。しらんけど。

実際には一本の枝から三本の枝が生えてくるし、そもそも樹は三次元の物体なので二分木ぽくならない。そこは枝と日光浴の効率性を考えてその場その場で考えるしかなかった。でもそれが楽しい。美しくなるように切っていたら正解で、美しい構造には効率性が備わっているのである。これが盆栽なのか、と理解した。

春は芽が動いておもしろい

🥕🥕🥕

落とした葉っぱはお茶に加工する。茹でて乾かすだけ。

籠が欲しくなりますね

後日、飲んでみたらすごい味がした。えぐい。まっずい。
焙煎が必要だったらしい。ほうじオリーブ茶。

 

🥕🥕🥕

家中に掃除布をばらまく

壁際や家具の隙間に埃や髪の毛が落ちていることがある。家の端っことか目につきにくいところ。ふと気がついたら「ここ掃除するの忘れてたな」と思って残念がるのだが、いざ掃除用具を持つとそのまま忘れっぱなしになることが多い。

それなら気づいたその場で掃除するのが良い。家中にマイクロファイバークロスをばらまくことにした。

目についたその場で近場にある掃除布を使ってゴミとか髪の毛をひっつけること。土日になったら布は洗う。また家の四隅にばらまく。こうすると家はピカピカに保たれるだろう。掃除用具をとりにいくようではダメなのだ。

4/8(月)

生きている味噌はこわい

我が家ではビニル袋入りの味噌を買う。弁当の味噌汁、夜の味噌汁と消費量が多いので750gのプラ容器では足りず、3kgをまとめ買いしてタッパーに詰め替えて使っている。

ビニル袋から開封し、詰め替えたのが昨日。そのまま常温でコンロの下に置いといたらタッパーの蓋が浮きはじめた。詰め替えで味噌に空気が吹き込まれ、菌たちが動きはじめたらしい。味噌は生きているのだ。

さかんにガスやら液体を出して怖いので冷蔵庫に封印した。ちょっと悪いことをした気分になった。

🌰🌰🌰

人は見た目で判断されている

社会規範は「見た目で人を判断してはいけない」と言う。それが大人だとされている。

ところが実際には、みんな見た目で性格を推し量っている。映画や漫画、アニメのキャラクターは性格を反映する見た目にされ、読者もそれを望んでいる。現実のコミュニケーションでも第一印象が大事だと言われ、初見の印象で人を判断している。

「見た目で人を判断してはいけない」は間違いである。正しいのは「見た目で人を判断しても、それを本人に言ってはならない。態度に出してはならない。差別してはならない」である*1。規制されているのは具体的な行為であって内心ではない。

4/9(火)

ピーマン玉ねぎだけスパ

『ミニマル料理』に「だけスパ」というレシピがある。バターで野菜を炒め、パスタと和えただけのもの。

これを改造して自分の「だけスパ」を作ってみた。すこぶるうまい。

マスタードが決め手らしい

材料: 豚肉をはさみで切ったやつ、ピーマン細切り、玉ねぎ2cm角、ニンニク薄切り、オリーブオイル、マスタード、塩、チーズ(オプション)

量は適当だが、あんまり多いとバランスが崩れる。パスタは具と麺が競合する変な料理なのだ。

作り方:

  1. 塩水を1Lくらい沸かす
  2. フライパンにオリーブオイル、肉、ピーマン、玉ねぎ、ニンニクを入れて弱火から中火で放置、たまにひっくり返す
  3. 麺を茹でる
  4. マスタードとチーズを入れる
  5. 麺と少しの茹で汁を入れてよく混ぜて完成

ほんとにおいしかったのだが、写真からは何も伝わってこない。映えるような作り方してないので……。

それにしても視覚で料理のおいしさを伝えるのって無理がある。無理なのにインターネットには映像、テキストしか流せないから料理人も映えを意識した盛りつけをやるのだろう。真にうまい料理は見た目とかどうでもよかったりする。

🔧🔧🔧

使いこんだ包丁は薄くしないといけない

包丁の研ぎを研究している。本日見つけたのは「刃を薄くしないと「ヌケ」が悪くなる」という知識。「薄いほうがよく切れるでしょ?」という単純な話だが、包丁をふつうに研いでいると気づきにくい。先日の週報にまとめた方法では刃が薄くならない。

購入時より分厚くなったところに小刃をつけてもヌケが悪い!

なぜなら包丁は峰から刃にかけて薄くなる形をしているから。刃先の切れ味が良くても刃が分厚ければたくさん抵抗を受けるのである。

そのため、包丁は使いこんでいくうちに「厚みぬき」「肉ぬき」という研ぎが必要になる。角度をつけずに砥石にベッタリと押しつけて研ぐだけ。

詳しくはTOGITOGIというYoutubeチャンネルをどうぞ。

 

試しに肉抜きをやって料理に使ってみたら野菜がおいしくなってしまった。「ニンジンのエッジが立っていてうまい」という未知の領域に到達。

4/10(水)

動画も簡潔なほど説明が上手

研ぎ動画界隈ではJIKKOという包丁屋のチャンネルが強いのだが、このチャンネルはパフォーマンスが上手なだけで説明は下手である。

実用上はTOGITOGIというチャンネルがいちばん参考になったのだが、このチャンネルの主は、その辺の空き地?で主婦たちの包丁を研いでいるおっさんである。もっとも現場に近い研ぎをしている人だ。この人は説明が簡潔で的確。

違いは動画の長さにも出てくる。説明が上手なほうが動画が短くなるのだ。だいたい10分くらいにおさまっている。自分で何がポイントなのかわかっているからなのか、サービス精神があるからなのかはわからないが、このおっさんには、情報を簡潔にまとめて伝える能力があった。

よく理解しているほど表現が短くなる。テキストでもよくある現象だ。校長先生や会社のエライ人の長い話は本人もよくわかっていないことを言っているのだろう。

🐙🐙🐙

「です・ます」の力

これまで業務でも「だ・である」文体を使ってきたのだが、このたび改めることにした。ぜんぶ「です・ます」に統一する。

文体というものは不思議で

  • 「だ・である」: 硬い、一人でなんか言ってる、むずかしそう
  • 「です・ます」: 柔らかい、態度が開かれてる、やさしそう

という印象を与える。

日記や週報は「一人でなんか言ってる」ものだし、私のこだわりとして、ある程度の格をもった文体にしたい。ので、ここはこのままでよい。一方でお仕事のほうは同僚に情報を伝え、できれば反応を引きだしたいものなのだから開いておいたほうがよろしい。それに文体を変えると書き手の意識も変わって、文体にふさわしい内容を書くようになる。業務では「です・ます」に統一するのが良いだろう。そういえばエライ人はいつも「です・ます」を使っていたな。

悩ましいのが「です・ます」でバカっぽくなる種類の文章があること。特に感想がそれで、個人的な心情の吐露や思ったことの開示を「です・ます」でやるとふぬけた感じが出る。そもそも日本の文化として「です・ます」を使って感想を公衆送信するようにはできていないのかもしれない。あくまでお仕事モードとして割り切って使うのが「です・ます」でもある。

4/11(木)

コミュニティには食べもの沸きドコロが必要

コロナ禍で人々がコミュ障になって以降、どのコミュニティ(広義)でも「いかに人を交流させるか」が課題になっている。

先日「オフィスで無料のサンドイッチを配ったら人が集まってきて勝手に雑談とかしていた」という現象を目にした。

なるほど食べものや飲みものが沸くと人が集まるのだ。古くは井戸やお祭り、動物界ではオアシスにその性質がある。

一定額以上のまかないは所得と見做されるタックスアンサーがあったはずなので調整は大変そうだが、食べもの飲みものを配るのは有効そうに思う。

No.2594 食事を支給したとき|国税庁

ジュース、たこやき、カレー、ビール、おでんなどが沸く楽園

🐢🐢🐢

自家製冷凍パンはポップアップトースターにささらない

我が家のパンは自家製である。二週間に一度、機械で捏ねてオーブンで焼き、切って冷凍している。

三次元パン

冷凍パンはこんな歪な形になる。冷えて固まるときに平面に置かれていないとパンがねじ曲がったまんまになるのだ。

先日ポップアップトースターを買うかどうか?という議論があった。ちょうど台所を整理して広くしたので置き場所はある。ポップアップトースターのデザインもおもしろいので買う機運が高まったのだが、よくよく考えてみたらパンがささらないのに気づいたのだ。冷凍庫で固めるときにうまく固定したら平面パンができるかもしれないが、我々は二週間分のパンを冷凍庫に入れるのでどうやっても三次元パンができちゃう。

というわけで、ポップアップトースターは我が家には合わないことがわかった。自家製でもできたて切り立てか、工業的に作られた由緒正しいパンだけがポップアップトースターを使う権利を持っているのである。

4/12(金)

失踪日記』を読んだ

何かと紹介される漫画で気になっていたが「そもそも(妻氏の蔵書として)家にある気がする。でも見つからない」という本だった。

今日、頭があじゃぽよになって家の整頓をしまくっていた。妻氏が散らかした机の周り、本棚を整理していたら*2ついに見つけることができた。

 

感想。

読みやすくてまあまあおもしろかった。147ページのアル中幻覚扉絵がいちばん良い。

漫画は昔のコマ割りという感じ。文字が多くてコマが細かい。むしろ好ましい。漫画は文字だらけだとうれしい。

 

すぐに読み終わった。いい漫画だと思う。

🍥🍥🍥

エライ人は質問箱をやるべき説

何らかの組織のエライ人、政治家でも何でもいいのだけど、今の世の中では「説明できる人が権力者になる」↔️「権力者は説明できなければならない」という「権力者の資格」があるので、権力者は質問箱を置いて説得的な説明を述べていけば*3支持されるのではないかと思った。

*1:第一印象を得たあとに印象を更新していける柔軟性まであるとよい

*2:勝手に整理していいことになっている

*3:上手な説明で説得できなければ支持されない

ソフトウェアエンジニア業界(に限らず昨今の労働者の雰囲気)には「転職が前提」とか「転職でキャリアを云々」みたいな風潮があるのだが、転職は仕方なくやるものではないのだろうか。職場の環境には不満がなくて、仕事内容に飽きたというだけで転職するのはかなりニュートラルな事情ではあるけれども、それも「仕方なく」だと思う。

転職せずに、苦しまず、飽きずに、生活にゆとりを持って仕事を続けられるならそれがいちばんなのでは?

週報 2024/4/7 おひるねして18時に目覚めるときの絶望感

3/30(土)

大変な週が終わって開放感〜という雰囲気。外は陽気で気分がいい。さいきん梅雨だったところようやく晴れてくれた。雨はもう嫌じゃ。

🕳🕳🕳

ミニマルポテサラは芋食ってる感がしてうまい

頭はまだ疲れているが身体は元気そうなのでいっぱい自炊をした。凝縮ポモドーロとポテサラとインドカレー。どれもおいしくできた。

ポテサラはマヨネーズなしでもうまい!

ポテサラは芋を茹でて皮を剥きキュウリと玉ねぎ、塩とオリーブオイルと酢を混ぜただけのもの。惣菜や飲食店の味と違って、砂糖もマヨネーズも入っておらず上品で素朴な味になるのでおすすめだ。サラダの本質は油と塩と酸味である。

3/31(日)

だらだらスペースは部屋の中央に

初夏の陽気にあてられて模様替えをした。
そろそろ引っ越して一年。だいぶ家に慣れてきてどこを広くとったら使いやすい間取りなのかがわかってきた。といってもセオリー通り真ん中を広く、端っこに棚とかあまり使わない家具、という原則に従う。

我が家にはユニット畳があってソファの前というよくわからん場所に置いていたのだが、これを部屋の中央に持ってきた。畳の上にはくじらのぬいぐるみとクッションだけ置いとく。風呂上がり、眠いときに転がれるようにスペースは空けておくのだ。
引っ越しをするとき畳部屋にするかいつも迷っていたのだが、移動できて気軽に寝転べるという点ではユニット畳がちょうどいいなと思った。

おひるねして18時に目覚めるときの絶望感(日曜日)

🔭🔭🔭

両刃包丁を研ぐコツ

両刃包丁の研ぎを研究した。
いろいろ動画を見て、自分でメカニズムを考えて、ようやくスパスパに切れる手順が定まった。

  • 包丁は砥石に対して45度に構える
  • 押す方向にしか研がない(引くときに砥石に当てない)
  • 裏を研ぐときは左手を使う
  • 荒砥石からかける

というポイントがあった*1。どれも重要なのだが、共通するのは「刃の角度が一定になるように研ぐ」という理念。どのポイントも角度を一定にするための工夫なのだ。

「包丁は砥石に対して45度に構える」というのは角度のブレを減らすための工夫。下図のように、砥石と直角に置いて研いでいると研ぎの運動の影響で角度がブレやすくなってしまう。だから縦にするのがいいのだが、縦すぎると持ちにくいので現実的には45度くらいになる。

角度が前後運動の影響を受けてしまう

「押す方向にしか研がない」というのは一般人向けの工夫であって、プロはそうしてない。よく「押すときだけ力を入れるように」と言われるのだが、素人は引くときにも力が入っていて変な角度で刃を当ててしまっている。どうせ引くときの研ぎで刃はつかないのだから一方向に限定してしまったほうが仕上がりがよい。また、そもそもプロの研ぎ師も荒い番手では回転砥石を使っている。回転する砥石に刃を当てるということは一方向に研いでいるということであり、それを再現する方法でもある。

「裏を研ぐときは左手を使う」はあまり聞いたことがないと思う。たまにYoutuberでもやってる人はいるが、右利きにとっては左手で研ぐということであり実際難しい。でもこうしないとうまく研げない場所がある。というのも、包丁の左側、裏と呼ばれる部分を右手で研ぐと、どうしても柄が砥石に当たってしまうから(下図右)。そのためふつうは「裏を研ぐときだけ包丁を横に構えましょう」という話になるのだが、よっぽど研鑽を積まない限り、横研ぎで角度を一定に保つのは難しい。だから柄が当たらずに45度のまま研げるよう左手を使うのだ。

慣れるまでは危ないのでゆっくり研ぐこと。砥石はちゃんと面直しをしておけば、ゆっくり軽い力でも刃がつくようにできている。

左手に持ち替えるときれいに裏が研げる

「荒砥石からかける」は長期的な刃のメンテナンスを見越した話。私は昔「頻繁に#3000や#5000で研いでも刃が維持されるのでは?」とか言ってたのだが、そんなことをするとどんどん刃の角度が鈍くなっていく可能性がある。刃は包丁の根元(平)から出していく、いわば鉛筆削りみたいなものなので、しっかり削れる砥石で一定の角度を維持していかないといけない。よっぽど頻繁に研ぐ場合は#1000スタートでもいいと思うのだが、何かと放置しちゃうものなので原則荒砥石からかけたらが早いと思う。

鉛筆削りが根元から削るのと同じ

包丁が切れると料理が楽しくなる。味も良くなるという研究もあるらしい。ようやくコツがわかって言語化できたので、気軽に研いでいきたい。

スパスパになりました*2

4/1(月)

きんきという深海魚が安かったので塩焼きにして食べた。いちばん好きな魚である。

きもいうまい

目がでかすぎてちょっと怖い。

🐪🐪🐪

砥石を買うのにやむを得ずAmazonを使ったら「配達中」だった商品が夜になって「配達を諦めたのでリトライします」というステータスに変わっていた。配達員のお兄さんが諦めちゃったらしい。特に急ぎはしないので困らなかったが、システムが勝手に客と約束したのに現実はダメなのがおもしろかった。

このようにAmazonの買い物体験は日々悪化し続けているので、これからも可能な限りヨドバシを使おうと誓ったのだった。

4/2(火)

起きる時間固定作戦

妻氏の会議が朝早いということで7時半に起きた。私は寝ててもよかったのだが釣られて。

すると妙に体調がよいのに気づく。1時に寝たので睡眠は足りてないはずなのだが、体調はやや良い。もしかして睡眠時間や寝る時間は二の次で、本質は起きる時間だったのだろうか?そういえばペットのスナネズミ、モルモットたちは太陽光がなくても決まった時間に行動し、餌を要求してくる。人にもそのような遺伝子があっても不思議ではない。というか時計遺伝子があったはず。また、睡眠科学でも「不眠症対策は起きる時間を固定せよ」という鉄則があった。7時半に起きると朝の支度も余裕があって優雅な気分になれる。がんばってみようと思った。

🤖🤖🤖

ネームの素づくり

妻氏の主催する同人漫画の「ネームの素」を作るようになった。実はもともとアイデア出しをしていたのだが、それがネームみたいなものまで描くように変わった。そろそろ原作担当なのかもしれない。

今回は妻氏が「△△で××が起きて○○になる話」という主題だけ決めていたので、それをもとに要所要所の展開とネタを考えた。日曜日から使っているAppleのホワイトボードアプリが便利で、iPadとPencilで絵だか図だかわかんないものを描くとコンテができた。

ネームではないがネームみたいな何か

妻氏に見せたらおもしろいと言っていたので大丈夫らしい。すぐに妻氏はネームを描き始めたので、そのうち漫画になるでしょう。

自分がお話を作れることを知って少し驚いた。私は意味不明なアイデアが天から降ってくるタイプなのだが、その能力が活かせるので話を考えるのは楽しい。とりあえずわけのわからない展開を思いつくがままに書き留め、それをあとから合理化したらお話になるのだ。いかなる意見に対しても論理的っぽいクソリプが投げられるように、どんな変な出来事にも理屈をつけることはできるのである*3

4/3(水)

会社で飲むなら中国茶

中国茶には

  • 4, 5回以上煎れても味がちゃんとある(多煎がきく)
  • 紅茶(CTC)、日本茶みたいに粉になってないから出涸らしを捨てやすい

という特徴があってオフィスの自席で飲むのにぴったりだった。お湯さえポットに汲んでおけば繰りかえし抽出して1Lくらい飲めるし、茶葉は摘まんでゴミ箱に捨てたらよい。緑茶だと摘まむのは不可能。指がべちょべちょになる。

紅茶も悪くはないのだけども、3回くらいで色がついただけのお湯になる。なんで中国茶が何度も飲めるのか知らないが、とにかく便利である。

🍦🍦🍦

物語は設定よりもキャラ

『グレート・ギャッツビー』という北米文学の作品を読んでいて「物語を予測不可能なほうへ転がすのは人間である」ことに気づいた。

人間は何をするかわからない。現実の他者もそうだ。突然踊り出すかもしれない。私はたまに家で「ピャー」とか言うし。そういう人間の「何をしでかすかわからない」性質が物語をおもしろくする。

見え透いた人間、常識的な人間を描いても物語としてはつまらんわけである。また、内面を描くのも良くない。「共感」のために常識的な人間の悩みを描いてもそれはおもしろい話にはならない。

設定もそんなに重要じゃない。例えばSFでは科学技術を用いた未来だか何かの世界が舞台になるが、大事なのはその世界で暮らす人たちの変な行動である。その世界では合理的だが、われわれの世界では奇異にみえる行動。黒くてツルツルした板を触る猫背の群衆とか。そうやって、SF世界のなかで人が問題に直面したり苦しんだりするわけで、どうしても人間は物語の中心にいるのである。

4/4(木)

酒を飲むときは仕事の時間から削るべきである

人と喋るのは好きなのだが飲み会が生活に合わなくてやや困っている。

問題は時間帯。だいたい18時とか19時からスタートして家に帰ってくるのは21時、22時とか。私の生活には日記と読書という大きなおじゃまぷよがいる。こいつが毎日2時間は持っていくので、少なくとも20時には帰宅していないと生活サイクルが壊れるのだ。むりに書かんでもいいのでは?それはそうだが、やめられないから日記中毒なのだ。

提案したいのが定時ダッシュして飲むこと。別に夕食どきに合わせなくてもいいのである。つまみと酒だけならいくらでも入るやろ。定時で飲み始めると労働時間は削られるが、今の御時世では生活の時間を削るほうが罪が重い。ドシドシ労働の時間を削っていきたい。何なら同僚との酒を飲んでいるときに給料が出てほしい。

🌪🌪🌪

鍼師に「ストレスがだいぶ減っている」と言われた。よかったよかった。ほんとに先日のリリースが巨大おじゃまぷよだったようだ。

怖いのはストレスがやばかった時期に自覚症状があまりなかったこと。緊張性頭痛があるにはあったのだが、それくらいで、あんまり深刻に捉えられるような症状がなかった。鍼師にとっては相当やばい状態だったらしいが、本人は割とふつうにしているのである。

私が鈍いだけなのかもしれないが、私より鈍そうな同僚もいっぱいいる。ストレスはじわじわ蝕んでくるので恐ろしいものなのだと理解した。明らかな締切りがあるときは生活をゆるゆるにすること。

4/5(金)

口頭で漢語を使わない

会話で漢語を使うと通じにくいことに気づいた。

例えば
「早起きして出てきた時間をロウドウに費やしている」
「会社のショクイがですね」
「あなたはスナネズミのことをチシツしてるはずだ」

どれも実際に言ってしまったもの。よく考えてみると、こういう言葉は脳内辞書で漢字変換しないと意味がとれないはずだ。ちゃんと通じるように平易な言葉を選びたい。漢字をひらくのと同じですね。

⛄️⛄️⛄️

サーバーにできることはそんなにない

私の専門分野はwebサービスのサーバー開発なのだが、サーバーシステムのもたらす機能は次の三つで説明できることに気づいた。

  • ためる
  • つなぐ
  • 正しくする

「ためる」機能はデータベースによるもの。写真をためるとGoogle Photosになるし、記事をためるとはてなブログになる。

「つなぐ」機能はインターネットそのものの性質。SNSとかマッチングアプリ、フリマアプリ、SwitchBotなど。マッチングの名のとおり、売り手と買い手をつなぐのに使われる。SwitchBotみたいなIoT系はわりと新しい形式で、デバイスをインターネットに繋げまくっておもろいことをしようという方策である。

つなぐ機能は、ためる機能と組み合わされることが多く、いったんデータベースにためておいた情報をもとに人と人をつなぐことが多い。

「正しくする」というのはちょっと説明が難しい。同業者向けに言うとAuth0みたいな認証とかAWSのS3のこと。特に分散システムの実装を想定している。この世には難易度が高くて超専門家にしか作れないものがあるので、お金を払ってでも超専門家にお任せしたいのである。

 

そうやって整理して考えてみると、インターネットサービス(技術)にできることはけっこう地味で限られている。もうインターネットも普及し始めてから30年経とうとしているし、ネタ切れして投資家サマに見捨てられてもしょうがないのかもしれない。これが現今のエーアイ大明神崇拝の背景でもある。

アファンタジアがモルモットを描いた結果

*1:かえりが出るまで研ぐ、研ぐ場所に指を置く、は自明な前提とする

*2:砥石は#400, #1000, #5000, #8000を使った

*3:法の解釈と似たような頭の使い方

週報 2024/04/01 ジャンボピーマンデカチャンプ

3/23(土)

疲れで寝たり寝たり……。夜に風呂に入った頃に回復した。

💻💻💻

モルモットを鎮圧しないでください

不思議の国のアリス』を読んだ。

あまりにも有名なお話なのに内容を知らなかった。「うさぎを追って穴に落ちる」くらいだと思ったらもっと複雑。たくさん動物が出てきておかしなことばかり起きる。
正直なところ、かなり狂った物語だと思う。そして狂ってることが掛け値なしに素晴らしい。予測ができないから次に何が起きるかわからない。これこそが物語である。

💻💻💻

なぜかモルモットが三回登場する。当時の英国でも有名な動物だったようだ。

外には小さなけものや鳥たちが大勢群がっていました。真ん中には気の毒な小さなトカゲのビルがいて、二ひきのモルモットに支えられ、びんから何かを飲ませてもらっているところでした。
p.57

「まったくつまらんのはおまえの話しぶりだ」と王様。
ここで一ぴきのモルモットがおもしろがって歓声をあげたので、たちどころに法廷の役人たちに鎮圧されてしまいました。(これはかなりむずかしい言葉なので、どのようになされたか説明しておきましょう。口のところをひもでぎゅっとしばれる大きな粗布のふくろを用意して、これにモルモットを頭からほうりこみ、その上にすわったのです。)
p.155

「知ってることがそれだけなら、さがってよい。」王様が続けられました。
「さがるといっても、これ以上、低くはなれません」と帽子屋。「床にひざをついておりますので。」
「では、尻もちでも、つけ。」
ここで、もう一ぴきのモルモットが歓声をあげて、鎮圧されました。
「さあ、これでモルモットはいなくなったわ。」アリスは思いました。「少しは先へ進むでしょう。」
p.156

全体的にモルモットの扱いがひどいのだが、そもそも『不思議の国のアリス』ではどの動物の扱いもひどいので大丈夫。モルモットがおもしろがって歓声をあげるのがかわいい。今ならモルカーのおかげでみんなわかるだろうけど、本当にPUIPUIというか、キュイキュイと鳴くのである。

3/24(日)

小麦食品は水を吸う

謎にテンションが低い一日だった。春にやられているのではないか。

 

あまりに気力がなくて夕食をマクドナルド🍔🍟にしてしまったのだが、マクドナルドの食べものは何を食べても飲みものが欲しくなる。たしかコーラを飲むように設計されているとかいないとか。飲まなければお腹のなかの芋と小麦が重くなって苦しむ。よく設計されたファストフードだ。

「小麦製品は水分含有量が少なくて消化が大変なのでは?」という仮説が出てきた。調べてみると、パスタ、パンなどは40%くらいが水分なのに対し、お米は65%である。ただし小麦食品の例外がうどん。うどんは茹であがりで外側が80%、中心部が50%だそうな。お米に近い特性になりそう。なるほどうどんが消化に良いとされるわけである。

今後は体調に応じて穀物の水分量を変えようと思う。明らかに今日のマクドは失敗で、お粥とかうどんを食べるべき体調だった。うどんは好きじゃないけど……。

🐌🐌🐌

ジャンボピーマンデカチャンプ

そろそろ春なので種まきをする。この夏のプランター布陣をどうするか考えたところ、唐辛子とトマトで迷ってトマトを植えることにした。なぜならインドカレーとパスタでよく使うから。実用重視である。

唐辛子も魅力的だったのだが、気になった品種がそれなりに辛いことがわかったのでやめた。

dailyportalz.jp

玉置さんが記事にしていてさすがである。

www.hotpepper.jp

内藤唐辛子というやつも気になったが、今は種が手に入りにくいようだ。

 

種ショップで目についたのがジャンボピーマン デカチャンプという品種。

味も大きさもチャンピオン級
ピーマン好きにはたまらない食感!
ソフトボール大のビッグサイズのピーマン。苦みが少なく、肉厚で甘みたっぷり。サラダにもおすすめです。
とのこと。

レビューもおもしろくて
ソフトボールくらいの大きさになる予定で頑張りたい」
と書かれていた。来年はこれにしよう。

木星サイズ

3/25(月)

ストレスは考え方を変えると減らせる

ストレス管理がうまくできてないので鍼のせんせーに「ストレスってもしかして強敵なんですか?」と聞いてみた。
「ストレスはバランスが大事で、なさすぎるとモチベーションが消滅してやばいし、ありすぎるともちろんダメ。ストレスの原因はたいていなくならないから、考えかたを変えたりすることでストレスをストレスじゃなくし中庸にしていくのがよい」
と、いいことを言われた。

「五年前の悩み言えますか?」問題とも似ている。慣れと工夫でどうでもよくなることがある。
強すぎるストレスでないならば、うまくいなす方法を編み出していくのが良いのだろうな。

🀄️🀄️🀄️

利害があると仲良くなれない

「雑談は利害関係のない人がいちばん」という真理に気づく。

どんな人間も良いところと悪いところがあって、全部良い人は存在しない。良いところは遠くからでも見えやすいが、細かい欠点は近づかないと見えにくい。ふつう隠すから。隠されていても、仕事とか取引とかの真面目な関わりでは、しばしば相手の欠点が見えてくる。一度欠点に気づいてしまうと、その人とはあまり楽しく喋れなくなる。雑談をしてても「でもこの人の仕事ぶりはあれだよな」とよぎってしまう。

おもしろいのは、利害関係がなくなってある種疎遠になるとまた楽しく喋れるタイプの人もいること。「仕事で関わらなければいい人なんだけどねえ」みたいなやつ。

もしかすると「部室」概念とか飲み友達みたいなのも利害関係がない限りにおいて成立するのかもしれない。パートナー関係は利害と雑談の両面でうまくいくのが理想なので、親密な関係は難しいことがわかる。

3/26(火)

お仕事のトラブル収拾をやってたら12時間くらい労働していた。

🌶️🌶️🌶️

リリースしたサーバーの挙動がおかしくてデバッグで活躍する。チームは大混乱に陥ったが、一人だけ冷静で素早く原因を突きとめることができた。

「私って鉄火場に強いタイプだったんだなあ」と得意に思ったが*1、よく考えるとそもそもバグが出ないのが一番である。ノーイベントグッドライフがいい。

3/27(水)

朝に走ったら身体が軽いことを知る。だから朝のランナーが多かったのか。朝は体内の水とか食べものが少ないわりに体力が回復してるので楽なのかもしれない。
それがわかったところで、早寝ができないから朝に走るのは不可能なのだけども。

🐸🐸🐸

経験は貴重な資源である

何年かやってた仕事に区切りがついたので今後の身の振り方について考え始めた。

これまでは「ややこしい問題を解く仕事が好きなのだ」という看板を掲げて仕事をしてきたが最近はそうでもない。たしかに難しい問題を解決するのは得意なのだけども、好きかというとそうでもない。今は書きもののほうが楽しい。

 

もともと功名心は乏しいし、年々感情的な執着も薄くなってきている。別に私が難しい問題を解かなくても、同僚に任せちゃえばそれでいいのではないか。プログラマが苦手な書きもので同僚たちをサポートし、勝手にものができてお給料がもらえるならそれがいちばんではないか、という考えすら出てきた。

私は運が良いようで、入社して以降おもしろい仕事ばかり任せられてきた。他の人にとっては喉から手が出るほどやりたかった仕事だと思う。これを独り占めし続けるのも悪いし、私にだけ経験が集積するのはリスクがある。

つまり経験は希少な資源なのだ。独り占めするより分け与えたほうがいい。文章や動画で、経験のエッセンスを具体的なエピソードを添えて説明する。そういう経験知を結晶化させるのに趣味でやってきた読み書き言語化修行が役に立つ気がする。

3/28(木)

社内イベントでの発表も終わって怒濤の三月が終わりつつある。この二週間はやばかった。今週は入社して以来最高の忙しさだったような気がする。

しっかり休んでいきたい。無論、次の締切りがまた来るのだけども。

🎰🎰🎰

家庭料理の味は金を出しても買えない

『おいしいものでできている』を読んだ。

イナダの食のこだわりを語ったエッセイ集。「ミニマル麻婆豆腐」の節でいいことが書かれていた。

でも自分が積極的にそれを使うことはまずありません。その理由を一言で説明するなら、「クックドゥなんか使っちゃったらお店みたいな味になっちゃう!」というところでしょうか。せっかく家で作る料理なのにありふれたお店の味になってしまうのは、それがたとえ文句なくおいしかったとしても勿体ない!と思ってしまうのです。
p.178

結論から言うと、僕はこの麻婆豆腐がとても気に入りました。「ミニマル麻婆豆腐」と勝手に名付け、今でもよく作って食べています。もちろん簡単ですぐにできる割においしいから、という理由もあります。でも単にそれだけのことではないのです。これはお店で食べる、あるいはクックドゥで作る確実においしい「四川麻婆豆腐」の代用ではありません。むしろそういう麻婆豆腐は日本中至るところでいつでも食べられます。でも「ミニマル麻婆豆腐」のシンプルな味わいというのは、実はお金を出しても買えないんです。作るしかない。今やこういうものこそが家庭料理ならではの価値のひとつなのかもしれませんね。
p.181

家庭料理の味は金を出しても買えないのである。何か工夫をしてそうなるというよりは、素朴に作ったらそうなるというだけなのだが。
他にもポテサラやコロッケの話で同じことが言われていた。「コロッケを自分で作ったら惣菜とまったく別のものができるでしょう?」と。
我が家は作ったことがある。それはおいしいものだった。かなり面倒なのだけど、たしかに自炊でしかできない味だった。そういう素朴な味の外食は駆逐されて、外の味は均一になっている。どうにかならんものだろうか。

3/29(金)

プランはお茶を飲む余裕から

今週はとみに疲れたのであえてゆっくり仕事をする。お茶を煎れて飲みながらぼーっとメモ帳を眺める。

 

だらだらしていると勝手に今後の仕事の計画が思い浮かぶ。どの仕事を優先したら最適になるか、あれは後回しでいいや、など。
これってPDCAのPなのだな。プラン、計画。しばしば現実の仕事ではPとCとAが抜け落ちるものだが、大事なのはPである。できない人がそれなりにいるし、できる人も忙しいと忘れてDDDDしてしまう。
Pをちゃんとやるのに必要なのは、お茶を飲む時間である。まったりお茶を飲んでリラックスしていると、自然にやりたいことが浮上してきてやる気も出るのである。余裕がなかったり、急かされるのがいちばんダメ。

🍵🍵🍵

説明せよ説明せよ納得させろ

妻氏の会社のとあるマネージャー配下の人が辞めまくっているらしい。今の人はどういうときに辞めるのか、どういう環境になら残るのか?を考えたところ「ちゃんと説明されることが大事」なのに気づいた。
私の世代も含め、納得できないことがあるとそれに耐えられず去ってしまう*2。説得されること、説明されることが大事な世の中になってきているのだ。やたらと言語化にまつわるビジネス書があるのもそれが背景。

 

やや問題に思うのが、説明する - 説明されるの関係に権力勾配があること。うまい説明をして納得させてくれる人は人気になり、権力を持つようになる。インターネットでもよく見られる構図ですね。

また、説明は論理的に正しくなくても良い、という性質がある。大事なのは聞き手の納得であり正しいことではない。もちろん聞き手にとっては正しいと思われるのだろうが、客観的にみるとおかしな説明で人が説得されちゃうことはよくある。

これらの観点を総合すると「リテラシーを身につけましょう」みたいなつまんない話になるのだが、騙されないためには実際に必要なのだからしょうがない。事実の認識と論理的正しさの検証はできたほうがよい。

 

私としては権力が欲しいわけではなくて*3、単に好奇心であらゆることを調べて理解するようにしている。結果として、よくわからん説明とか常識から自由でいられるのが便利だが、あくまで趣味として深い理解が得られるように本を読むのである。

*1:メトリクスが整備されてたおかげでもある

*2:説明の技術が低いとロジハラと言われるのですごい社会だと思う。洗脳は態度も含めてうまくやりましょう。

*3:権力が欲しかったらバズるタイトルにして記事をわけるべきである

週報 2024/03/24 麺の太さ戦争

3/16(土)

お香エンターテインメント

お香を買ってみた。薫玉堂のお試し用16本入り台座付き。

目的はリラックス。しばしば頭を使いすぎて体調が自爆するので、匂いでぼや〜っとできないかと目論んでいる。それはそうとして、家でいい匂いがしてたらうれしい。

意外と簡単にお香を試せた

豆皿に乗せて点火。けっこうな勢いで煙が出てきた。もわもわもわもわ
この煙がなかなかおもしろいエンタメだった。不規則にゆらゆらするので見ていて飽きない。匂いに頼らずともこの煙を見ているだけで頭を空っぽにできるかも。

ジャパニーズワビサビ

お香が消えると茎みたいな灰が残った。お香に火をつけたら煙の花を咲かせ、灰が残る。侘び寂び的サムシングが感じられる。

部屋にはしばらく残香が漂っていた。数時間経ってもうっすら香る。

🚍🚍🚍

バターの暴力

イナダのレシピを写経し、その通りにパスタと蒸し野菜を作った。

多すぎるバターは身を滅ぼす

パスタは大量のバターで細切りピーマンを炒めて麺を和えただけのもの。バターは二人で30グラム。あまりに多くて日和ったのだが「最初はレシピを守らなくちゃ……!」と信じてそのまま作ったらやっぱりバターは多かった。私はおいしくいただけたのだが、妻氏が降伏。海外旅行でバター責めに会ったときのトラウマによりたいへん苦手らしい。次は10グラムにする。

🚍🚍🚍

バターはフランスの煮干し

バターを使うと簡単にパスタがまとまることがわかった。なんというか、パスタはオリーブオイルと大蒜で作ると麺と油脂がバラバラな味になることがある。乳化の難しさだと思うのだが、バターを使うとこの問題が起きにくいようである。

なるほどこれは昆布や煮干しなのだ。日本でイージーに使える旨味物質があるように、フランスやイタリアにもバター、生クリームがある。入れるだけで簡単に料理がまとまり、うまくなるもの。

だが、イージーな調味料こそが文化的な壁になる。三國シェフは「生クリームをドバドバ入れるフランス人にはなれない」と理解して日本に帰ってきた。我々はバターびちゃびちゃ生クリームドバドバには耐えられないのである。煮干しはなんぼでも入れられるのに。

どの文化の料理にも、イージーな調味料はあるはず。人類のうまいものへの欲望は普遍的であり、誰もが楽をしてうまいものにありつきたい。その結果としてバターや煮干しがよく使われるようになったのである。しかし、我々がバターに耐えられないようにモンゴル人は和食を食べても「ぜんぶ魚味じゃん。羊肉のほうがいい」となるかもしれない。イージーな調味料は幼少期からの洗脳で適応するので、そこに分厚い食文化の壁ができるのだろう。

3/17(日)

料理は技術か素材か問題

『ミニマル料理』の凝縮ポモドーロを作った。

  1. オリーブオイルと塩をフライパンに入れる
  2. 半割りにしたトマトを並べ蓋をして火にかける
  3. トマトの皮をとって潰しねっとりするまで煮こむ
  4. パスタと和える

これだけ。ニンニクとかチーズを入れてもいいのだけど、あえて入れないで作ると上品な酸味とトマトの旨味が感じられてうまかった。
たしかにイナダ氏の言うような「高級店のシンプルさに通じる味」が感じられる。

放置するとソースになる魔法

ただのスーパーのトマトが高級な味になるということは、高級店の味は素材のコストよりも技術が支配的だということである。それが実感できた。
調理技術を高めるほど技術料を支払わずにおいしいものにありつけるのなら*1、これほどうれしい投資はない。料理のやる気が高まった。

🎋🎋🎋

先日の「カレーは玉ねぎ100g/人必要」仮説ですが、実験したところ非常にうまいスパイスカレーができたことを報告しておきます。

🎋🎋🎋

毎日走るようにしてみたら、生活に「走る」コマンドが増えた。例えば次に渡る信号が青になっているとき。急いでなければ走らなくていいのだけども、ただでさえ運動は足りてないので走るチャンスが増えたと思って走ればよい。街中で走るのは目立つからちょっと嫌なのだけども、信号ならまわりの人も納得するはずだ。

3/18(月)

麻疹について調べる。なんでも京都で感染者がちょくちょく出ているようだ。

熱が出るだけでなく発疹が身体中にできたり、後遺症が残ったりとなかなかしんどいものらしい。ワクチンを二回打っておけばかからずにすむというので、できればそうしたい。不幸なことに私の世代は一回しか打ってないのだ。昔から一回しか打ってないことは認識していたのだが、増え続ける外国人観光客のせいで麻疹の流入が活発になってきた。もう逃げられないので病院を探して予約の調整をし始めた。

🎐🎐🎐

自転車通勤をするようになってから気づいたのだが、京都って午後になると強い風が吹くのだ。冬だけかもしれない。夏は暑すぎて意識したことがない。なんで毎日のように4mの風が吹くのかはわからないのだが、自転車で移動してると向かい風になることがあって甚だ不便である。今日なんか7mの風だったし。あんまり風が強いと体力を消耗してしょうがないので、そういう日は別の手段で通勤しようと思った。

3/19(火)

刹那的な欲望に負ける動物と人間

会議だらけで消耗。社内イベントの発表資料を作っていたら21時まで働いてしまった。

自らの家を破壊するおろかなネズミたち

スナネズミの掃除は毎週日曜日に行う。おがくずや牧草、厚紙などでできた巣を破壊し、巣材をほぼ入れ替えてしまう。スナネズミたちは狼狽し、あちこちにおしっこをする。そして失意の昼寝をする。

本当は巣で昼寝をするものなのだが、巣がなくなったせいで回し車の下に隠れて寝ているのが見つかった。熟練のスナネズミならば数時間で巣を再構築するものなのだが、新人スナネズミたちはまだ巣作りが下手らしい。

哀れに思って紙箱を与える。スナネズミたちは喜んだのかどうかわからないが、そこを巣にして昼寝をし始めた。これで安泰。と、思いきや彼らは巣箱を囓りはじめた。スナネズミは厚紙を囓ることを至上の喜びとしており、その欲望にあらがえないのだ。

 

こうして一夜にして彼らの巣は崩壊した。刹那的な欲望に負けて家を失うのはどこか人間にも通じる愚かさである。

あまりに哀れだったので、後日木製の箱を与えた。

⭐️⭐️⭐️

ペンギン・ハイウェイ』を読んだ

あらすじ: 常に冷静で大人びた小学生の男の子「アオヤマくん」が主人公。アオヤマくんは歯科医院に勤めるお姉さんのペンギンを産み出す能力、街に起きる異常現象を「研究」と称して調査していく……。

 

キャラクターがよかった。アオヤマくんは大人びたことばかり言うのに20時になると眠くなってしまうし、まだ乳歯がグラグラしている。お姉さんはアオヤマくんを「少年」と呼ぶし、気分で生きていて何を考えているかわからない。ミステリアスでクールなお姉さんだ。

なるほど、これだけ魅力的なキャラクターを量産するから森見作品はアニメ化ばかりされているのだろう。

⭐️⭐️⭐️

文体は意識をデータにしたもの

お話の筋もおもしろかったのだが、なんというか、文体が合わない感じがした。
『四畳半神話体系』もいまいちキャラクター以外に惹かれなかったので、森見登美彦とは文体が合わないのだと思う。

 

文体が合わないと「この文章何か意味があるのかな?私にはイメージできないんだけど」となる。これは本当に合う合わないの問題で、作者が悪いわけではない。相手は名の知れた商業作家なのだ。お伝える能力に問題があるわけがない。

これもイメージのやり方が異なっているのだろう。お仕事でも文章を書いたとおりに読まれないことがある。逆にその人の文章は読みにくいなと感じる。
文章は意識とかイメージをデータ化したもので、そのフォーマットが人によって微妙に異なるのだ。それが文体だと思う。

3/20(水)

麺の太さ戦争

朝食にそうめん。米ブームに翳りがみえてきて、急にそうめんが食べたくなったのだ。昨夜の夜食にも食べている。また夏にかけて箱買いをするのかも。

たいていそうめんは塩とオイルだけでいただくのだが、今期のブームでは新しい食べかたを発見して試している。時間どおりに茹でたら流水で洗い、水をよくきって皿に盛る。そこにオリーブオイル、酢、塩をてきとうにふりかけまぜて食べる。美味である。妻氏に紹介したら「うどんのほうがうまい」と言って細麺アンチ活動をしてきたので中指を立てておいた*2

麺の太さで12時間レスバができる

酢とオイルでおいしくなるということは、そうめんはサラダなのである。実際サラダの材料として使われることも多いようだ。いろいろと酢、オイルの組み合わせを変えていくとおもしろい味が見つかるかもしれない。

🌜🌜🌜

『一人称単数』を読んだ

村上春樹の短編集。なんだか変な話が多くて記憶に残った。

お気に入りは「品川猿の告白」。
群馬県の古びた温泉旅館に人語を喋る猿がいて、身の上話をしてくれるという話。その猿は意中の人間の女性の名前を盗むことでその欲を昇華させる。猿はもう盗まないと言っていたが、後日主人公の前に名前を盗まれたかのようにみえる女性が現れる……。

3/21(木)

皿数を増やすのは面倒だが味は良くしたいジレンマ

ミニマル料理をやるようになってから「料理は具材を入れすぎたら味がわからなくなる」ということに気づいた。一つの料理に入れていい野菜、肉は三種類か四種類が限度。あんまり増やすと味がぼやけてしまう。雑味も出やすくなるかも。

しかし自炊は現実を生きるための食事だ。栄養バランスと調理の手間を考えると、一つのスープにたくさんの野菜を入れたくなる。こうして、おいしいけどやや微妙な味のスープができる。

素材の味が感じられるおいしい料理にするには具材の種類を絞らないといけない。栄養バランスを考えると皿の数を増やすしかなくなるのだが、手間は増やしたくない。難しい問題だが、酢を使った作りおきなどに活路があるような気がする。冷蔵庫で冷やしてもおいしいままの料理ってかなり限られるので。

👒👒👒

デジタル人間とサービス趣味の問題(未解決)

しいたけ占いに「山羊座はサービスしすぎて自滅するのに気をつけてください」と書かれることが多い。これは私にはよく当てはまる性質で、私は何も見返りが得られなくてもサービスをしてしまうことがある。「わかりやすくなるよう背景からしっかり説明してさしあげよう」とか「この発見(ライフハック的なもの)を記事に残してGoogle検索の糧にしよう」とか。というかこの週報だってそうだ。別にお金がもらえるわけではない。なのに毎日それなりに手間*3をかけて書いている。半分は自分のためだが、もう半分は読者と知人のためだ。サービスするのが趣味なのである。

問題はサービスしすぎて燃え尽きる可能性。疲れてるのに惰性でサービスしちゃうと体調が大変なことになる。何度も自滅してきたので回避できるようになってきたが、今でもたまに自滅寸前までいくことはある。週報以外の仕事とか、生活でのサービスが積もってそうなる。

また、別の性格として「興味を持ったら100%の力でやるが、興味がなかったら0の出力しかださない」というものがある。つまりデジタルな行動様式を持っているデジタル人間である。でじでじ

サービス趣味とデジタル行動様式が合わさると「興味のあるサービス趣味(仕事)には必ず100のパワーを出す」という行動になる。楽しいのだけどたいへんだ。こうして私は日々自滅とのチキンレースをしているのである。週報は効率化を重ねて余裕で書けているのだが、他にもたくさんサービス趣味(仕事)がある。どうにかして50のパワーで済ませていかないとダメなのだろうなあ、と思った。解決策はみえてない。

3/22(金)

業務でスライドを作りながら録音していたら「自分で思っているより喋るスピードが遅い」ということに気づいた。何度やってもそうなる。主観的にはせかせか精一杯喋ってるのに録音だと遅く聞こえるのだ。誰でもそういう事象は起きるのかも?とも思ったが、妻氏によると私はもったり喋るタイプらしい。それに会話に口を挟むのは得意ではない。音ゲーが苦手なタイプ。なので本当にもったりした喋りなのだなと納得した。せっかちに見えるよりは良いでしょうと前向きにとらえている。

🔎🔎🔎

さいきんお茶に凝っている。高い茶葉の味を知ってしまい基準があがってしまったのだ。このままだと破産する……!と思ったが、よく計算してみるとお茶に凝る前は毎日ペットボトルのお茶を買っていた。これがちりつもすると、けっこうな額になる。結局、高い茶葉を買って毎日飲んでもペットボトルお茶と同じくらいの費用になることがわかった。だからといって破産へ向かってはならぬのだが、ちょっとだけ安心した。

*1:技術が高まった先に素材の違いが効いてくる

*2:しょっちゅう麺の太さバトルしてます

*3:毎日15〜30分、土曜日にプラス1時間くらい

週報 2024/03/17 物語に潜るための風呂

3/9(土)

『スパイス完全ガイド』と『ミニマル料理』を読んだ

どちらも稲田俊輔の本。

イナダ氏のレシピは手順が明確でわかりやすいのが特徴。読んだら何をすべきかよく理解できる。料理中は忙しいので簡潔に書かれているのがありがたい。

❤️❤️❤️

www.seitosha.co.jp

『スパイス完全ガイド』は教科書みたいな本。レシピよりもスパイス解説、コラムの文章のほうが多いかもしれない。本当に「完全」なガイドなので、スパイス本で迷ったらこれを買えば間違いない。

 

麻婆豆腐レシピのページに変なことが書かれていた。

イナダのつぶやき: いかなる定義をひねくり出しても麻婆豆腐をカレーから分離することは不可能だというのが僕の見解です。
P.40

「麻婆豆腐はカレーであるか?カレーではないか?」というTwitterネタの文脈を参照している。
私も麻婆豆腐はカレーだと思う。

❤️❤️❤️

www.shibatashoten.co.jp

僕は古い料理本を読むのが好きです。その中でも特に好きなのが50年くらい前の家庭料理本の数々なのですが、そこに掲載されている料理を実際につくったり、レシピから味を想像したりしていると、それは現代の家庭料理とは大きく異なっていることに気付かされます。あえてざっくり言うと、それらはおしなべてなかなかの手間がかかる割に、案外素っ気ない味に仕上がります。
素っ気ない、と言うと悪口に聞こえるかもしれませんが、その素っ気なさは実は極めて好ましいものでもあります。「素材そのものを生かした料理」なんて大上段に構えるつもりはありませんが、ただ、そこには凛とした飽きない味があります。そして少々皮肉なことに、今の私たちが日常的に利用する飲食店よりもっと敷居の高い、いわゆる高級店のシンプルで研ぎ澄まされた料理にも通じるものがそこにはあるのです。昔の人はたちは、こんないいものを家で食べていたのか、という驚きがあります。
P.4 絶対に読んでほしい前書き

手間がかかる昔のレシピを合理的・効率的になるよう再構成したのがミニマル料理である。高級店のシンプルさを自宅で再現できるので、食べ疲れしない。自炊入門に最適な本でもある。

3/10(日)

カレーの玉ねぎは一人100g

やや失敗カレーとてきとう野菜煮

いつものようにDiDiのインドカレーを作ったらやや失敗。しゃばしゃばの水多めになってどろりとした感じが出なかった。味はおいしいのだが、スパイスが辛く感じる。スパイスの量はレシピ通りなのになぜ?

レシピに立ち返り確認したところ、玉ねぎの量が少ないのに気づいた。2人ぶんで200g必要なところ100g入れたかどうか。なるほど玉ねぎが少なくてカレーのボディ部分が手薄になっていたのだろう。だからスパイスが多く感じられた。

「どのレシピも玉ねぎは200g必要なのだろうか?」と思ってイナダ氏のレシピをくまなく調べると「玉ねぎとトマトの総量が200gになるように設計されている」ということがわかった。トマトを入れなければ玉ねぎが200gだし、トマトがあるなら玉ねぎは120gである。インターネット上に見られる他のレシピも似たような量だった。

カレーにおいて、トマトと玉ねぎは旨味担当である。土台になる。ここがしっかりしてないと、カレーはカレーらしくならない。必ず1人100g(以上)入れること。*1

🛌🛌🛌

漫画家短命すぎる問題

鳥山明の件で文化功労者になった漫画家を調べてみた。

著名なのは

あたり。手塚治虫は入っていない。

おそらく、死ぬのが早すぎたから。手塚治虫は60で死んじゃっている。文化功労者とは、年金付きの栄誉称号なので生きていてそれなりに高齢でないともらえない。

水木しげるは「睡眠力」の漫画で有名なようにちゃんと寝ていたし、ちばてつやは病気により50代で連載をやめたそうだ。うしろ二人の少女漫画家は月刊誌に連載していた。やっぱり漫画、特に週刊連載は命を削って仕事をしているのだろう……。

3/11(月)

トイレの鏡で頭を見たらアホ毛があった。茶柱みたいでめでたい。

✒️✒️✒️

物語に潜るための風呂

お昼休みに『ペンギン・ハイウェイ』を読んでいて、いいシーンにさしかかったところ、昼休憩の残り時間が気になって本を閉じてしまった。

物語は、小説でも漫画でもそうだが、楽しむためには「潜る」必要がある。潜っているときは邪魔が入ってはならない。邪魔をしてくるのはあらゆる人、音、それからスマホ。一人でいてもあの四角い画面がチラチラ視界に入るだけで読書の邪魔になるのだ。

だから風呂がいちばん。浴室に本だけを持ちこみ、風呂蓋に置いて読む。邪魔をしてくるのは額を流れる汗だけ。汗が垂れてきたら視界を塞ぐし、顎から滴って本を濡らすこともある。これほど残念なことはない。

風呂は最高の読書環境ではあるが、長居しすぎると脱水で死ぬかもしれない。長くとも30分くらいにしておくのがおすすめだ。

そう言いつつ、私はこの日60分読んでいたのだが。

のぼせに注意してね!

✒️✒️✒️

『ダブリナーズ』を読んだ

www.shinchosha.co.jp

20世紀初頭のダブリン市民の様子を描いた短編集。なんでダブリンかというと作者ジョイスの出身地だから。

ジョイスは当時の著名な小説家であった。ずっとスイスやらフランスにいたと思うのだが、アイルランドの小説を書き続けたらしい。『ユリシーズ』がいちばん有名だが、これもダブリンが舞台。あと『フィネガンズ・ウェイク』というラップでできたような小説を書いて顰蹙を買ったらしい。言葉の意味よりも音を重視して音楽的に作った小説なので翻訳不可能だと言われていたが、日本語には翻訳されている。どんだけ日本の文化は厚いのだ。

短編のなかでは『下宿屋』『痛ましい事故』『死せるものたち』がよかった。前二つはかなり短いのにお話としておもしろく記憶に残った。10ページ足らずで「そんな人間もいたんだろうなあ(実在しない)」という感想を得た。

3/12(火)

ハーブは冷凍しておくとよい

『スパイス完全ガイド』でイナダ氏が「ハーブはどしどし冷凍すべし」と言っていたので、そのようにした。今後も種類を増やしていきたい。

はさみでざくざく切ってバットに並べて冷凍処理→ジップロック

冷凍に向かないのはバジル。バジルは生でもすぐ香りが落ちるのだ。イタリア人もプランターからもいで使うので、新鮮なバジルをペーストしたければプランターで飼うほかないのだろう。といっても、ジェノベーゼ以外であんまり使わないのだけども。

🍊🍊🍊

同僚が夜中の足の冷えで悩んでいたので運動を勧めた。私も冷え性で運動はできてないのだが、鍼師に「軽く息があがる程度の運動」を勧められている。いや、できればやりたいのだよ。

そこへ他の同僚たちも集まってきてやんややんやと冷え対策の議論をし始める。やれ湯たんぽだの電気毛布だの。湯船には浸かっているらしいので、すでに対策をしているようにみえた。

運動の話をしていたら筋トレ趣味の人も出てきた。「高負荷トレーニングをしたあとサウナに入ればいいんですよ」とのたまうので「出たなキン肉マン」と返して追い払った。

3/13(水)

スナネズミたちが回し車をケージにぶつける音であまり眠れなかった。

主犯

回し車の向きを変えることで解決した。

🐐🐐🐐

おいしい料理のポイントはいくつかあるけれども、切り方のウェイトは大きいのかもしれない。麺には細長く、スープには細かく。煮物であれば箸でつまみやすいように。この点をよく気をつけないと、簡単に味が落ちるのかも。

そう考えて今日は味噌汁の具をダイス状になるよう意識して切ってみた。フランス野菜スープイーブイはそういう切り方だったはず。

3/14(木)

塩豚がうまい。豚肉をフォークでぶすぶすに刺して塩とスパイスをまぶし、シートで脱水したものである。

赤身:脂肪 = 9:1くらいがうまい

これが冷蔵庫で二週間以上もつのだ。そしてうまい。現代てくのろじ〜をもってしても生肉の保存は難しい。ふつうの肉だと二週間経つともう食べられない。運が悪いとお腹を壊す。それが水を抜いて薄塩をしておくだけでおいしさが維持できるのだ。

この方法が良いのは干し肉とまではいかないこと。カチカチにはならず、ほどよく水分が抜けたくらいで食べやすい。塩辛くもない。ちょっとだけ水を抜いたうえで冷蔵庫の恩恵を受けるから、食べやすさと保存性のバランスが取れるのだと思う。

塩豚を切り落として卵と一緒に焼く、右画像の赤いやつはザワークラウト

毎朝、塩豚と卵をテフロンプレートに乗せて、グリルで焼くと完璧な朝食になる。朝のタンパク質には悩み続けてきたが、暫定のベストがこれである。

🐙🐙🐙

行き先不明の物語を好む

さいきんの読書は非エンタメの物語(主に文学)へ舵を切っている。その理由が結晶化されてきたので語ってみよう。

 

大事なのは、目的地がわからないこと。

行き先が明瞭なのがエンタメ作品である*2。例えば「魔王/仇/悪いやつを倒す」とか「どこそこへ向けて旅をする」パターン。ゴールに向けて寄り道をしつつも進んでいき、伏線はゴールを導くために配置される。その上で読者を驚かせる展開があると盛りあがる。

いつからかわからないのだが、私はゴールが見えていることに満足できなくなった。ゴールを決めた時点でその物語のとりうる選択肢は相当に狭まるのであり、ある程度エンタメ作品を読んできたら「次の展開はこの選択肢のどれかだね」と想定できてしまう。物語のジャンルが定まっているのも良くなくて、忠実にジャンルの文脈を守っている作品であるほど展開の幅が狭くなってしまう。まったく予想できないものが読みたい。

長年、哲学とか思想系の本を読んできたのだがこちらにも飽きつつある。サービスが良くて議論のレベルが高い本は暇をつぶすには楽しい読書になるのだけど、行き先や展開はエンタメ以上にはっきりしていることが多い。学者が「わけがわからないよ〜」となりながら書いたものには行き先不明なものもあるが、あまり出会えるタイプの本ではない。というわけで、「行き先不明で何も起きなくてもよい」とする(主に文学)方面を掘ったほうが私の需要は満たせるのではないか、と思ったのである。

 

「人が書いてる(語ってる)うちに思ってもみないものを吐きだす」という現象は私の好きなテーマである。何度も週報で触れられている。これはもう私の「性癖」みたいなものなので、性癖の赴くがままに従うしかないのであろう。

3/15(金)

家のまわりを走る

運動をどうするかについてずっと悩んでいたのだが、ついに走ることになった。昨日の鍼で「ストレスがひどくて冷えが入っている。頭を空っぽにする必要があって、(やっぱり)運動がおすすめです」と言われたのがきっかけ*3。運動が必要なのはわかっていて一万歩くらい歩くようにはしてたのだが、時間がかかるのが嫌だった。時間のことばかり考えるのは貧しいが、走ると効率的に運動ができて、かつ冷え性の対策になるのは明らかだ。続くかどうかはわからないがとりあえずひと月くらい実験して変化を観察したい。

🗼🗼🗼

文化からは逃れられない

ここ数ヶ月フランス料理とかインド料理にお熱なのだが、なかなかうまくいかない。おいしく作るためにはけっこうな手間がかかるわりに、何か物足りなさを感じることがある。

なんの変哲もないにゅうめん

この日、自炊が面倒になりながらにゅうめんを作ってみた。野菜と鶏肉、きのこと昆布、煮干し、鰹節を煮立てて素麺をゆがいただけのもの。これがたいへんおいしかった。手間に対しておいしすぎる。諸外国料理だとこんな簡単にはおいしくならない。

なぜ簡単なのにおいしいのか?
「育った文化の味だから」ではないか。

 

日本ではどの料理もジャパナイズされて受容される。魔改造というやつだ。でもそれが日本人の口に合うのだから仕方がない。そして料理人も諸外国料理の研鑽を積んだ末に、和食および日本の調味料に回帰することが多い。土井善晴三國清三もそうだった。

料理は文化なのだ。生まれ育った文化の外に出るのは非常に難しい。たしかに練習をしたら外国料理をそれらしく、おいしく作れるのだが、そんなことをしなくても自分の文化の料理ならより簡単においしいものが作れるのである。結局、プロの料理人も諸外国料理を日本風に改造して提供することが多いし、あまり現地の方法にこだわりすぎず、自分に合うように作るのがいいのかもしれない。

*1:https://www.sbfoods.co.jp/recipe/detail/08408.html エスビーのレシピは2人ぶんなのに玉ねぎトマトを350g入れている。水に至ってはイナダ氏のレシピの4倍。加熱時間はほとんど変わらないので、この分量だと4人ぶんできるだろう。いくらなんでも多すぎるので、誤植かレシピが雑かのどちらかだと思われる。

*2:わかりやすさのために文学性とエンタメの二項対立の議論にしているが、実際には両者が混ざり合った小説、漫画、映画があり、比率は作品によってさまざま。

*3:村上春樹が「書くためには体力が必要だ」といって走っているのにも影響されている。総合的に材料が揃ってきて最後のひと押しがされてしまった感じ。

週報 2024/03/10 脳裏のおじゃまぷよを消し続ける生活

3/2(土)

たのしい金縛り体験

たまに金縛り・睡眠麻痺になっているのに気づいた。

布団ではなくソファで寝てると体験できるアトラクションで「息が苦しい!」という感じがしながら幻聴とか幻覚、幻タッチがやってくる。幻聴はテープの早回しみたいな音で何言ってるのかよくわからなかった。「さいしんのうかがく」によると「夢を見てるときに記憶の整理をしており、このときシナプス発火が通常の倍速」だそうな。だから早回しテープになる。幻覚、幻タッチは非常にリアルで良かった。ほっぺたに誰かが触った感触があり、妻氏かと思ったが妻氏はベランダにいた。幽霊さんの仕業である。

ふつうは金縛りを経験すると怖くて寝るのが嫌になるらしい。なんで私がこんなに楽しんでるのかというと、いつものアファンタジアが理由。意識のなかには荒涼とした闇しかないので、幻覚はとっても新鮮で楽しいのだ。

でも身体が動かせなくて息が苦しいのは困る。息だけ自由にできる金縛りがあったら喜んで体験したい。

💣💣💣

『職業としての小説家』 を読んだ

小説家になるための本じゃなくて、村上春樹の小説家人生をふりかえる自伝的エッセイだった。読みやすい文体で、率直に彼の思うところが書かれていた。

いずれにせよ、長く小説家をやっている人間として、実感で言わせてもらえれば、新人レベルの作家の書いたものの中から真に刮目すべき作品が出ることは、だいたい五年に一度くらいのものじゃないでしょうか。少し甘めに水準を設定して、二、三年に一度というところでしょう。なのにそれを年に二度も選出しようとするわけだから、どうしても水増し気味になります
p.71

芥川賞についてのコメント。これくらい率直である。怒る人もいるかも。でも保坂和志もまったく同じ趣旨のことを言ってたので事実であろう。「あれ新人賞やぞ?」ということ。

最初の章に「何らかの賞をとれば商業作家活動の入場券をもらえるが、作家であり続けるのがいちばん難しい。長く続けるには賞を取るのとは別の何かがいる」ということが書かれていた。この本の主題は「いかにして村上春樹が作家であり続けたのか」である。

 

あとはこれがよかった。

読んだ人がある部分について何かを指摘するとき、指摘の方向性はともかく、そこには何かしらの問題が含まれていることが多いようです。つまりその部分で小説の流れが、多かれ少なかれつっかえているということです。そして僕の仕事はそのつっかえを取り除くことです。どのようにしてそれを取り除くことかは、作家が自分で決めればいい。たとえ「これ完璧に書けてるよ。書き直す必要なんてない」と思ったとしても、黙って机に向かい、とにかく書き直します。なぜならある文章が「完璧に書けている」なんてことは、実際にはあり得ないのですから。
p.162

3/3(日)

今日は先代スナネズミの一周忌なのだが、何の因果か新しいスナネズミを買いにいくことになった。心にスナネズミ型の穴が空いて以降「近くのペットショップにいたら迎えよう」と心づもりはしていたのだが、なかなか入荷されることはなかった。スナネズミはレアなペットで扱っている店は少ない。需要も少ないのだと思う。キュートでユーモラスなのに。

一周忌の日になったのはたまたま。妻氏の同僚のケモナー氏が「EXPOCITYの店にかわいいのが入荷したから買うべし」とけしかけてきたらしい。阪急とモノレールでえんやこら移動してみたらよい個体がいたので買ってしまう。本当は一匹だけのつもりが、よく見たら姉妹で売られていたので二匹連れ帰ってきた。

仲良しなのではなく奪い合いをしている

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新規ネズミを迎え入れたのは3年か4年ぶり。令和の新人の扱いがわからなくてあわあわした。ペレットを店のと合わせたり、水飲み器の教育をしたり忙しい。

疲れて昼寝をしてたらねずみのカサカサゴソゴソ音が聞こえてくる。そういえばこういう生活だった。ねずみがいる家というのは。昼寝サウンドはねずみの物音に限る。

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万博記念公園のあたり、広々としていてよかった。京都だとまず見られない広さだ。

なんであんなに広々としているのか。「大阪は空間の使い方が豪勢だ」という話を聞いたことはあるのだが、阪急梅田の豪奢な雰囲気と万博記念公園は同列に比べられない気がする。

3/4(月)

妻氏との共有Workflowyメモにおかいものメモコーナーを作った。

変なものを入れないように

ここにめんだこ、野菜、夢など好きなものを書きこんでいく。

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さいきん長編漫画を見かけない。長編というのは、長く連載された漫画ではなく、数百ページあってそれだけで完結するお話のことだ。小説業界だとむしろこちらがふつう。なぜか漫画業界は連載ぶつ切り形式になってしまった。雑誌を生かし原稿料を配るための経済原理なのだろう。あとどれだけ持つかわかんないけれども。

手塚治虫萩尾望都の長編漫画を読むと、現代の流行りものとは違う漫画体験ができるのに気づく。テーマがちゃんとあって、話をきちんと終わらせるように作られているので連載漫画よりも深みがある。連載ものって無駄に長かったり、その月(週)の作者の体調によって話がつまらなくなったりする。それよりは、完成度の高い研ぎ澄まされた長編を読みたいかもしれない。今や長編漫画は商業漫画にはなくて、むしろ同人誌に残っているのかもしれない。

3/5(火)

新人ねずみたちがペレットを食べてくれない。ペレットとはペット用のカロリーメイトみたいなものである。

食べないのは困るので「ハンストか?」「このペレットがいいのか?」と試行錯誤してみたのだが、一向にペレットは食べなくて鳥の餌の雑穀だけを食べ続けるのだった*1文鳥用の豆、穀物、野菜が入ったもの。本当に鳥の餌である。

ねずみは鳥だった

「これ栄養どうなの?」と思って調べてみるとびっくり。鳥の餌のほうがペレットよりもタンパク質が豊富だった。鳥さんの体を作るのだからたしかに栄養はある。

よく考えてみるとペレットはカロリーメイトである。「毎日これだけを食え」と言われたら私なら発狂する。そりゃあお野菜とか穀物、豆のほうがよろしい。ねずみたちはただ素直に生きているだけなのだ。

これまでのねずみはみんなペレットで飼ってきた。
ねずみ観が崩壊する経験となった。

📼📼📼

文章は書きなおすと読みやすくなる。書きなおすたびにトゲトゲが取れて摩擦のない珠になる。

神話や民俗伝承などの口伝にも「語りなおし」の過程があるのに気づいた。

口伝は音のメディアなので残らない。古老が火を囲んで子供達に話をするとき、その都度語りなおさないといけない。毎回同じようなお話をするわけだが、全く同じになるわけではない。そのときの気分、失念で細部が変化していく。おもしろかろうと思ってお話を変えてしまう人もあるだろう。

こうやって変化することが「語りなおし」による磨きであり、お話を洗練させるのに必要な作業なのである。文章でも同じように磨かなければならない。捨てて書きなおすのである。

3/6(水)

脳裏のおじゃまぷよ

業務の隙を見つけて休みにした。このごろストレスが高めらしいので何もしないをする。
何もしないつもりだったのに、気がついたら確定申告やら靴磨き、包丁研ぎをしていた。ずっと気がかりだった雑事が片づいてホッとする。

 

これも一種のセルフケアなのだろうか。同僚たちはちょくちょく休むのだが、たいてい家族の世話のために休んでいる。そういう休みも休養にはなるのかもしれないが「セルフケア」かというと微妙だ。ある種の労働である。セルフケアできてない人は相当多いと思う。

生活をしてると脳裏に「あれやらなきゃ」が溜まっていく。忙しいとおじゃまぷよが溜まって意識を圧迫する。それを取り除くのが自分のための休みなのだろうか。

消しても消しても降ってくるんですけど〜!

🌮🌮🌮

帯は広告だから捨てていい

本を買ってきた。休日になると買いたかった本が集まってきて勝手にカゴに入っていく。金を使う趣味は料理と読書だけなので「本は無料」をモットーに好きなだけ買うようにしている。本棚の容量と読書スピードがあるので、無限に増えるわけではない。月に5〜10冊程度。

帯だけにすると滑稽だ

買ってきてテーブルに置いといたら帯がうざったく見えてきた。

帯は広告なのだ。本屋の数万冊の本のなかから「我を買え」とアピールするための広告。本来の装丁を台無しにしてくれる。

買ってしまったら帯はもういらない。広告は役目を終えている。帯は全部捨てましょう。

3/7(木)

白菜は飲みもの

スナネズミが給水機の使い方を覚えてくれないので白菜から水を吸っていただいている。スナネズミにとって白菜は飲みものである。彼らは砂漠やステップを故郷としているので、もともと水はあまりいらない。野菜の水分だけで生きられるようにできているのだ。

スナネズミ二匹サイズ

生き物は小さくなるほど大きなものを食べる。🐜が虫や果物を引きずって食べるように、🐭も身体と同じくらいの大きさの白菜を余裕で食べきる。人間が自分と同じ大きさのものを食べられるだろうか。白菜10本、パイナップル5本くらい?想像するだけでお腹がぱんぱんになりそうだ。

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レシピを写経する

本のままだと使いにくいので自分で写経することにした。アウトライナーに溜めてしまう。

レシピデータベースはアウトライナーがぴったり

写経してみるといろいろ良いことがあった。

  • 書いてるうちに少し覚える
  • 書いてるうちにレシピの設計意図を理解する
  • データベースになって一覧できる
  • スーパーに行ってから材料を確認できる

クックパッド等々のレシピサービスではダメで、自分で作ることに意味があるようだ。そういえば昔の主婦は手書きのレシピノートを持っていた。あれも写経だったのだろう。手書きのほうがよく覚えられるはずだが、紙は並び替えや訂正が難しいのが悩ましい。電子化してデータベースにするのがよい。

3/8(金)

稲田俊介のスパイス本を読んでいたら「カレー四天王のスパイスは混ぜて置いとくといいよ」と書かれていた。🫙入りスパイスを台所に並べるなんて、そんな鼻持ちならないことをしていいのか。

カレー粉っぽくなった

でも便利そうなので採用。クミン、コリアンダーターメリック、チリを等量ずつ混ぜておいた。いかにもカレーっぽい色の粉だ。

 

実は一つミスをしていて、チリペッパーパウダーではなくチリパウダーを入れてしまった。チリペッパーパウダーは唐辛子の粉だが、チリパウダーはテクス・メクス料理で使う調合香辛料。味の大勢には影響がないのでそのままにしている。というか分離不可能。

香辛料の名前はややこしいのがもう一つ。ベイリーフベイリーフである。
???
ローリエとカシアリーフと言ってもいいが、ベイリーフあるいはベイリーブスと呼ぶことが多い。どちらも葉っぱのスパイスなのだが、植物的には別種で葉脈の形がぜんぜん違う。なのに名前が同じで匂いも似てないこともないらしい。

スパイスはややこしすぎる。

🍬🍬🍬

水曜日に「忙しいとおじゃまぷよが溜まって意識を圧迫する」と書いたのだが、もしやこれがストレスなのかしら。先週は「ストレスの感覚がわからない」と書いていたのにもう手のひらが一回転してしまった。

*1:鳥の餌はペットショップでおすすめされた