しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

さいきん読んだ本

さいきん本をよく読むようになりました。なぜなのか。そりゃあおもしろいからなんですが、しかし、同時に役に立つとも思っています。

何を読んでいるかというと哲学、社会学、経済学、食に関する雑学など。

おおよそ人間と社会に関心がありそうな傾向です。

 

人間社会

なぜ人間と社会について学ぶと役に立ちそうかというと、われわれが人間社会で生きているためです。

あたりまえすぎてつまらないことしか言ってないのですが、しかし、どうも私の周りにいる<理系>コミュニティでは、人間とか社会に興味がない、むしろ無くしてしまいたい人が多いように見えます。

計算機とかインターネットとか地面から離れたものに触れすぎて、自分のことすら人間ではないかのような無意識があるのかなぁと個人的には思うのですが、そんなことを聞いても頭がおかしい人と思われるので尋ねてみたことはありません。その<社会>がつらいのも頭ではわかるので、とやかく言うことは何もないです。

しかし、そうは言っても現代社会で労働してると、自分は肉体をもった人間だし同僚も人間です。そして、社畜だろうがフリーランスだろうが人間になにかを売って生活をしているわけです。

というわけで、人間と社会がいかに嫌いであっても、それらについてよく知っていることは有利にはたらくかもしれません。知らんけど。

 

なにを読むか

興味のないものを読んでもまったく頭に入りません。なので、読まなくてよい。そのうち興味が出てきたら読みたくなるでしょう。

しかし、古い本を読むのはおすすめです。

ひとつは、本が年月によって淘汰されおもしろブックガチャの当選確率が上がりやすくなること。よい本は残りやすいということです。

もうひとつは、現在は過去の畳み込み状態なので、必ず古いものの影響を受けていること。文脈があるということです。

文脈を知るという意味では、個別のナントカ論ではなくナントカ史と冠されたものを選ぶと当選確率がもっと上がるかもしれない。たいていブックガイドとしても機能して、積読を10倍に増やすのに寄与します。

 

役に立つとは

役に立つと上で書いたが、役に立つかどうかは事前にわかりません。役に立つという宣言は独善的な未来予知でしかなく、事後的に役に立ったかどうかがわかります。技術選択と同じです。

つまり役に立つとか言うのは無です。上では無を書いています。

 

ログ

忘れられた日本人 (岩波文庫)

忘れられた日本人 (岩波文庫)

 

かつての農村社会のありようがビシビシと脳に刺さる。めちゃくちゃおもしろい。

反哲学史 (講談社学術文庫)

反哲学史 (講談社学術文庫)

 

西洋の哲学の変遷を辿れる。ニーチェ付近まで。哲学者の人生と併せて思想を紹介しているのがよい。各哲学者の中心的な関心と示した解がスーッと入ってくる。

現代の哲学 (講談社学術文庫)

現代の哲学 (講談社学術文庫)

 

木田元の処女作らしい。反哲学史のあとの哲学者について紹介しているが、若干難解だった。メルロ・ポンティに興味が出てきている。

春宵十話 随筆集/数学者が綴る人生1 (光文社文庫)

春宵十話 随筆集/数学者が綴る人生1 (光文社文庫)

 

近頃の若者はけしからん論ですが、ところどころよいことを言っています。

一杯の紅茶の世界史 (文春新書)

一杯の紅茶の世界史 (文春新書)

 

微妙。

われわれの生業について俯瞰できる。知識としては面白いけど、文章としては△。牛肉の環境負荷やばい。

社会学入門 〈多元化する時代〉をどう捉えるか (NHKブックス)

社会学入門 〈多元化する時代〉をどう捉えるか (NHKブックス)

 

社会学の成立と問題意識について学べます。近代ってなんなんですか???

ウェブ社会の思想 〈遍在する私〉をどう生きるか (NHKブックス)

ウェブ社会の思想 〈遍在する私〉をどう生きるか (NHKブックス)

 

システムによって人間が囲まれ、社会が大きな物語を失うことによって民主主義が危機に陥るのではという話。小さな物語の島宇宙に囚われた人々がどう救われるかという課題。

ウェブ社会のゆくえ 〈多孔化〉した現実のなかで (NHKブックス)

ウェブ社会のゆくえ 〈多孔化〉した現実のなかで (NHKブックス)

 

スマートフォン以降の社会で、その場にいるコミュニケーションや儀礼などの特権的な空間の意味が上書きされる現象の分析。

はじめての構造主義 (講談社現代新書)

はじめての構造主義 (講談社現代新書)

 

橋爪大三郎の筆致がおもしろい……。構造主義について大掴みにできたが、これは手法としては使えるものなのか???

全体の感想
  • 現代って存在しなかったの!?
  • ヨーロッパ、キリスト教形而上学の影響すごい
  • 日本に思想ないんだな〜たいへんだな〜
  • 19世紀末から20世紀初頭にいろいろありすぎて把握しきれないが、相当おもしろそう
  • あらゆる学問分野が相互に連動しあってネットワークを作ってるようにみえる
  • レヴィ=ストロース長生きでびっくり
今後の方向性
  • 過去の日本の思想を追ってみる
  • 近代(欧州)を少しずつ把握していく
  • 食の雑学はもっと読みたい
  • 消費論
  • 都市論
  • 人類学
  • 社会学(継続)
  • 哲学(継続)
  • 経済学(放送大学

立ってPC作業をする

背筋が伸びて便利。椅子だとどうしても甘えてしまう。

座りながら坐骨をちゃんと立てる方法に、座布団を敷くというものがある。なんでか知らないけどジムでそう習った。実際に坐骨はいいかんじになります。

しかし立っていると坐骨は気にせずに、頭と背筋を可能な限り鉛直方向に伸ばせばよいだけなので、けっこう制御しやすい。

外に出ず、引きこもって作業をしているとfitbitで計測されたカロリーがひどい低値になる。引きこもる日には、たまに立って作業するくらいがよいように思う。

今日はこの姿勢で放送大学の講義を視聴します。

 

余談

なぜ坐骨が後ろに倒れてしまうのか。股関節とか腸腰筋が固いからです。こればっかりは毎日柔軟するしかない。

坐骨が後ろに倒れたタイプの猫背はとにかく最悪で腰が破滅する未来が約束されているので、少しずつでも改善しないと死ぬ。

どうやって改善するのか。姿勢への意識と筋トレ❓

無意識に行動してるとだいたい悪い姿勢になっているので、省察できたらすぐによい姿勢を取るくらいしかない。しかしたいへん難しい。

ふだんから猫背になっていると、背中から頭を釣る筋肉が衰えています。これはスクワットで鍛えるとよい。ケトルベルというスクワット用重りも売っております。

頭で理解していても、動物的な行動をしてしまうのが人間なので、年単位かかる覚悟で治していきましょう。一発逆転とか存在しないので、数年かけましょう。20年だか30年続けていた習慣は数ヶ月ではとれません。

おわり。

優等生バイアス

という言葉を思いつきました。

点数のつけようがない領域や満点にあまり価値がないことにも、100点を取らないといけないと思い込んでしまうバイアスを表現しています。

さらっと言えて便利だとは思うのですが、注意深く使わないと揶揄になってしまう危ないやつです。

駄文

今年のテーマは

  • 「インターネットには何もなかったね」
  • 「教養は存外大事だね」
  • 「あらゆるものを丁寧に制御していこうね」

の3本でやっていってます。

インターネットから得られるもの

正確には何もないこともないんですが、SNSと大衆化とランキングシステムによってS/N比が著しく悪化してしまいました。インターネット上の公共空間的なdashboardを見るのはほんとうに時間の無駄なので積極的に避けていきます。

そもそも、現代の空間における課題は「移動通信端末による空間の多孔化」、つまりみんながバラバラになっていくことなので、テレビ全盛期に存在していた「大きな物語」は力を失っています。

ひとびとは習性からして公共空間を求めるのですが、残念ながらいまのwebでは技術的に実現が困難に見えます。新聞などのメディアも一定の公共性を保持できているとは思うのですが、私のまわりにいる人たちはバラバラの社会を生きているので、新聞を読むこと自体が公共的コミュニケーションの糧になる確率は低いでしょう。新聞を読むこと自体は個人的には価値があると思っています。しかし、コミュニケーションの視点では自己満足の域を出ません。

このように、われわれの世代では公共性なんて無に等しいので、インターネットでは個別のおもしろい人をフォローして最小限の時間を割いて観察していくのが私の最適解になりました。承認を伴うコミュニケーションは現実世界でやるのがもっとも効率的です。

知識

インターネットの集合知云々。ありませんでした。

私の携わるサーバエンジニア界だとインターネットのドキュメントが役に立つことは多いのですが、Mediumの英語圏個人ブログですら10年耐えられる知識とはいえないものが多いように思います。本で基礎を身に着けてドキュメントを読み、考えながら実装すれば、あとは少しの検索で事足りるのではないでしょうか。

業務ではいま目の前にあるシステムを作らなければならないので、揮発性の高い知識もちゃんと吸収していく必要はあります。しかし、個人のプライベート空間、興味を重視した貴重な時間では長く使える知識を重視し、短期的なトレンドによるものは業務時間中に獲得するのがよいでしょう。

また、<エンジニアリング>以外の領域に目を向けると人生が豊かになります。うまく説明できないし、一般性があるか疑わしいので説得する気にもならないのですが、社会や人間について学んで考えることは必ず役に立つことを確信しています。

私のプライベート時間では、プログラミング専門古典知識とその他の知識を2:8くらいの比率で摂っているようです。

最近では日本語の本しか精読できないことに課題を感じてます。

丁寧さ

哲学の教養書と姿勢指導の体験、妻がデッサンを習い始めたのを観て気づきました。例えばただ文字を書くのにも、「無意識な身体に任せて書く」のと「一画ずつペン先を注視しながら書く」のでは大きな格差があります。われわれ人間は動物なので気を抜くとすぐに無意識な行動に身を任せてしまいます。しかし、無意識に行った行動から得られるものは何もありません。

これは普段歩くときの姿勢、ごはんを食べるときの口の動かし方、fizzbuzzの実装方法、すべての活動に言えます。

数年間毎日丁寧さを失わずに活動した人と、動物的に生活していた人との間では取り返しようのない能力の差がついてしまいます。姿勢だと健康につながりますし、プログラミングやイラストレーションではスキルにつながります。

ここで、「丁寧にやるとは何か」という疑問が湧き上がってきます。暗黙知に近いところもあり明瞭な答えを持っているわけではないのですが、「対象をつよく意識してゆっくりと動作する」ことで丁寧さが得られると考えています。例えば、文字を書くときにはペン先をよく見るのが大事です。なぜなら文字はペンと紙が接したところから出てくるからです。また、姿勢については――これは全身運動で非常に複雑なのですが――背筋を伸ばした状態の内的感覚を覚えて常に伸ばしておくことが大切です。背筋が伸びてるな〜という感覚を常に持っておきます。

とにかく、簡単にライフハック的な言い方をすると、「対象に<目>を近づけてゆっくりと動かす」ことです。

ここまで言語化はできているのですが、実践は困難です。私も意識的な注意を払って行動しているときより、無意識的な行動をしているときのほうが多いです。

起きてから数時間は仕事がはかどり、定時に向かって効率が落ちていくのは認知的な注意リソース――MPと思ってよい――が減っていくためです。MPがないと丁寧な人間的行動はできません。つまり、人間的な行動はRPGのスキルのような使用回数に限りがあるものと言えるでしょう(❓)。ちなみにちゃんと寝るとけっこう快復します。

長くなって何を書いているのかよくわからなくなってきましたが、とにかくできる限りにおいて丁寧なふるまいを意識するのが肝要です。

 

まとめ
  • 人間は動物なんだぞ
  • 古いものも大事にすると強くなれるぞ

f:id:non_117:20180428130636p:plain

時間ない感やめたい

  • すぐに焦ってしまう
    • 焦ると何もいいことがない
    • 丁寧さが失われて精度が落ちる*1
    • 焦るとコントロールされていない無意識な行動が増えてしまう
      • 無意識に動いてるのなんて動物でしかない
      • コントロールされている領域が多いほど人間として完成度が高い状態*2
  • 都市に出てみると焦っている人だらけ
    • 自転車で異常な速度で走り、信号無視などをするので、近づくと怪我する
  • じつは焦らなくても最適化やスケジューリングは可能
  • 焦るとはなにか
    • 時間がないと思いこんでいる
    • 実際にないこともある
      • なにか製品作っているなら、むしろ時間がないときのほうが丁寧さ重要
  • 時間がないと感じたときにどうするか
    • 焦っていたことを自覚する
    • あえてゆっくり動作する
      • 丁寧にやったほうが速いことのほうが多い
      • 無意識な動作でコードを書いてもあとから修正することになって余計に時間がかかる
        • すべての活動でそういえる
  • どうしても集中できなかったら身体動かすか寝るかしましょう*3

*1:ゆっくり丁寧にやること、上達するための最短ルートなのですが皆さん短期的な利益を求められる。

*2:メルロ・ポンティちゃんもそう言ってる

*3:ほんとうは身体を動かすのも丁寧にやったほうがよい。姿勢とか。

平日の夕食を🍛に固定する

インドカレーは一汁一菜です。

f:id:non_117:20180413205318j:plain

カレーも味噌汁みたいなものなので、具材を冷凍しておいて、その日の気分で香辛料と味噌を使い分けるのが良いかもしれない。

non117.hatenablog.com

ホットクック一汁一菜仮説 - non117's diary

カレー味噌汁説、飛躍してるなと自戒してましたが、土井善晴先生にとっての一汁一菜が私にとってのカレーであったという理屈で昇華されました。

2018/03/28 20:34

b.hatena.ne.jp

f:id:non_117:20180412200508j:plain

一汁一菜文脈での味噌汁とインドカレーの特徴

  • 味噌も香辛料も長期保存しやすい
  • 季節の食物だいたい何を入れても成立する
  • 味が複雑でおいしい
  • ふつうの人たちが長いこと食べ続けてきた
  • 完全栄養食が成立しやすい

f:id:non_117:20180412200442j:plain

ところで、「一汁一菜を採用する最大のメリット」はなんでしょうか?

答えは「夕食の献立意思決定コストがなくなる」ことです。自炊をし続けることの困難さは調理工程だけでなく、「何を食べるか決めること」にもあります。土井善晴の提案する一汁一菜が解決しているのがこの点です。

f:id:non_117:20180411194802j:plain

味噌汁もインドカレーもとりあえず旬の野菜と肉を入れておけばよくて、スーパーでの食材を選ぶ意思決定コストもそれなりに安くなります。調理工程の複雑さは味噌汁のほうが有利なので、「🍛を想定して食材🍖🍆を買って帰ってきたものの気力が湧かない😵」ときは味噌汁に方針転換するとよさそうです。*1

f:id:non_117:20180410201955j:plain

相応の意思決定コストを伴う料理はよほどMPの余っている土日などにやればよいのです。土日に作業が立て込んでいて意思決定できないときは平日と同じものを食べればよいのです。

家事を定型化するのは想像以上の利点がありました。同じことを繰り返して人間が慣れることで、昨日より今日のほうが楽に家事をこなせるようになるのです。*2

f:id:non_117:20180414011116p:plain

ちなみに

にならってお米を炊いたらほんとうにほんとうに😭美味しくなったので😭😭😭各位必ずやってください。

f:id:non_117:20180414013055j:plain

*1:洗い物は食洗機があるとよいが結構邪魔な問題もある

*2:以前書いた平日に家事をやるやつも、曜日を決めてやるようにしたら楽でした

 

反哲学史 (講談社学術文庫)

反哲学史 (講談社学術文庫)

 

がいま読んでいる本。

「わたしたち人間の意識と世界そのものをどう説明するか」という問題が各年代の偉人の手によって少しずつサブ問題へと分解されていく過程(西洋哲学流)を知ることができる。

昔の人の認識は混沌としていたのだなぁと思いつつ、しかし、現代に生きるわたしたちの発達過程でも同じような認知的成長を経ているような気がした。