しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

人間の失敗を記したドキュメントは陳腐化しない

 SRE本を読んでからポストモーテムについて考えている。ポストモーテム(post-mortem)とは反省会、事後検討といった意味の言葉である。つまり、なにか予期せぬ失敗をしたときに書く文章だ。SRE本ではサーバシステム運用の文脈で使われた。

 仕事でドキュメントは大事だ。喋って何かを決めたり、ふりかえっても、文章で蓄積しないと何も残らない。われわれソフトウェアエンジニアがよく書くのは、設計とか仕様についてのドキュメントだろう。だが、これらのドキュメントはしばしば陳腐化する。特に、仕様やソフトウェアの使い方、環境構築のドキュメントはすぐに内容が古くなる。こうしてわれわれは文章を書かなくなるのだが、どうやらポストモーテムは違う性質を持っている。

 というのも、失敗を記録した文書は陳腐化しにくいのだ。なぜなら、過去に起こった事実を記録しているから。過去に起こったことを記述するので、原理的に内容を書き換える必要がない。ただ知見が蓄積されていくのである。もちろん、失敗した対象のシステムが使われなくなると、表面的にはその文章は不要となる。ところが、じつはそうでもない。失敗するのはいつでも人間なので、人間がどのように失敗したかを記したドキュメントはシステムが使われなくなっても有用だ。

 つまり、システムや仕様、そのときの環境について書いたドキュメントは陳腐化し、人間について書いたドキュメントは陳腐化しにくいのだ。人間は必ず失敗し、たいてい同じ失敗をくりかえす。

 だが、陳腐化しないドキュメントを残せることと、失敗を再度起きないようにすることは別の問題だ。ここは留保しなければならない。日常的な行動を変えることができない人間が多いと、ドキュメントがあっても無駄だろう。これは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」で言い表される問題だ。組織文化の問題となるので、これについてはそのうち別の記事を書く。

 ともあれ、失敗について反省し文書を残すことは効率のよい投資である。将来にわたって使えるドキュメントにするには、起きた出来事と問題の構造、そのときの判断を具体的に書く必要がある。箇条書きではだめだろう。箇条書きは複雑な論理構造をもった問題をわかりやすく伝えるようにはできていない。ポストモーテムは必ず文章で書くようにしたい。

読書や仕事に疲れたときは家事と散歩

 読書を無限にしたい。だが不可能である。読書をし続けているとだんだん頭が重くなりなにも考えられなくなる。ひどいときは眠ってしまう。寝たくないときは、身体を動かすか人と喋ると頭の回復ができる。身体を動かす活動の代表例が家事だ。もちろん寝るのもあり。逆に利用すると、頭を使う活動をすると寝付けるようになるかもしれない。就寝前の読書の意味がこれだったのかも。

 業務でもこれをやっておきたい。業務はほとんどが頭を使う活動であり、これを午前、午後の四時間連続してやるのは不可能である。なので、二時間ずつ休憩と称して散歩に出かけるのがよい。同僚の席に冷やかしにいってもよいし、カフェでぼんやりしてもよい。

 頭を休めるのにインターネットをするのはおすすめしない。文字を読む作業という点では業務や読書と同じだからだ。文字は画像を認識して意味を解釈することが基盤にあり、その上での判断が必要になる。たいへん負荷が高く、しかも眼と手しか使わない。頭を使うと言っているが、じっさいに酷使しているのは眼と手ばかりである。

 対して、身体を使う活動はたいてい全身運動である。足を使うのも特徴だ。なので、使う部位を交代するのは眼と手(肩)の回復のためにも合理的である。筋トレで毎日鍛える筋肉を変えるのと同様。なので、知的活動で疲れたら家事をするか、業務であれば散歩にでも出かければよいのである。散歩といっても外に出る必要はない。飲み物を調達しにいく、廊下を歩くとかでよい。こうして活動の偏りを時分割でならしていくと、全体の生産性があがるだろう。

自分はなにもできないと思い込む前にやること

「能力のあるなしではなく、自分の認識とじっさいに発揮できる能力の齟齬が小さいのが肝要におもいまう」

という発言をしたので、詳しく説明します。

 

無限にすごい人が観察できるインターネット時代の悩み

 自分は何もできないのではないかという悩みがあります。身の回りの人や、インターネットでみえる有名人と比べて、自分は何もできないと考える人は多いです。しかし、本当になにもできないのでしょうか?

 これは嘘です。なにもできないわけではありません。できることとできないことがあるはずです。重要なのは、全体の印象で何もできないと決めつけるのではなく、できることとできないことをはっきりさせることです。自分にはできないと思うことは主観ですが、具体的な行動それぞれについては客観的にできる / できないを考えられます。

具体的なスキルについて考えてゆく

 例えば、炊飯器でご飯を炊ける、味噌汁が作れる、野菜炒めが作れる、カレーが作れる……などなど。もちろん、できる / できないの二分法でははかれない問題もあります。ですが、問題とするスキルを具体的にすればするほどマルバツをつけてもそれほど現実とはズレません。ふわふわした曖昧な問題にすると白黒つけられなくなり、自分はできないのではないかと不安になるのです。

一つ一つできないことをできることにする

 具体的なスキルを羅列すると、できないことをできることにする活動が始められます。今あなたはゴボウのささがきができないとしましょう。できるようになりたい*1*2*3きんぴらごぼうを作りたい、作る必要がある、としましょう。どうするでしょうか? 初心者向けの料理本を読んだり、Youtube動画を見るでしょう。そしてじっさいに練習をします。何度練習してもわからないとしましょう。そんな時はできる人に聞いてみます。今ならインターネットで気軽にリプライができるので、どうしても習得したいならば教えてもらうことが可能です。*4

なにがわからないのかわからない問題

 次に、具体的なスキル一覧の全体像が見えない問題があります。特に初心者は自分の習得しようとしている分野、例えば料理スキル全体にどんな具体的なスキルがあるのかがわかりません。なので、料理全体をさして料理ができないと思ってしまいます。これを解決するには料理の全体像を入門書や教科書で把握するのが良いでしょう。もし身近な人に教えてもらえるならそれが良いかもしれません。ただし、熟練した料理人でも全体像をうまく説明できないことがあります。というのも、かれは無意識のうちに日々料理をやってしまっているのであり、料理の全体構造をはっきりと意識して料理をしているわけではないからです。なので、オススメなのは教科書や入門書を読むことです。こうすると、具体的にどんな事を習得していけばよいのか、見取り図を手に入れられます。人に教えてもらうのは具体的な作業、例えばささがきのやり方に行き詰まってからでもよいでしょう。全体像はじっくりと練られた教科書で把握するとよさそうです。

できることが増えると自信になる

 こうして具体的なスキルを自分のものにしていくと、自然と自信がついてゆきます。なぜ自信がついてくるのかを説得力を持って説明はできないのですが、信じてくださいとしか言えません。スキルを一つ一つ習得していくと、料理ができる / できないという問いがそもそも間違いであることがわかります。料理ができる / できないとは言えず、肉じゃがなら作れる、小籠包は作れない*5、おでんならレシピを見たら作れるとしか言えません。どれだけ習熟した人でも、抽象的な料理という主語に対して、できる / できないと言う事は「本当は」できません。抽象的な主語はしばしばこのような偽の問題を生み出します。インターネットで主語がでかいと怒られるのも同じ構造があるためです。現実は複雑です。複雑な現実をむりやり抽象的な主語で扱って、雑にできる / できないと言ってしまうことが問題なのです。

抽象的な問題を避ける

 この世には答えることのできない偽の問題がたくさん存在します。このような問題には関わらないのが一番です。考えてもけっして答えは出ません。出たと思っても間違った答えが出ています。なぜなら問いがそもそも間違っているので。

まとめ: 具体的で簡単なことからはじめる

 以上、納得できた方も納得できなかった方も、何もできないのではないかという悩みをお持ちならば、自分のできること / できないことを具体的なリストにしてみましょう。全体像がわからない方は本を買ってきましょう。そして、ひとつつずつ具体的にできることを増やしていきましょう。

 残念ながら、あらゆることが一度にできるようにはなりません。ここは辛抱強く一つずつスキルを増やすしかありません。入門書には難しいところのコツが書かれています。大スマホ時代の現代では、たくさんの熟練者が動画を上げてくれています。オムライスの作り方とか、だし巻き卵の作り方とか。バーチャルのじゃロリ狐娘元youtuberおじさんは、「やらなければ、はじまらない」と言っています。とりあえず、簡単で具体的なことからはじめましょう。

*1:ただし、実は自分がなにをしたいのかがわからない問題があり、これこそが最大の困難です。自分がやりたいかどうかわからないうちに、世間の価値観を内面化して、自分のやりたいことに仕立て上げてしまうことがあります。就活の自己分析はその文脈で必要なものなのです。

*2:自分ができることを好きになる構造があります。再帰的ですね、きびしい。

*3:やりたいけど金にならない領域があります。これはどうしたら……。得意かどうか、金になるかの四マトリクスで考える方法論があります。得意かどうかはやってみるまでわからないので、ひとまずこの記事の方法に戻ってこれます。

*4:フォロー外から失礼〜がたいへんなのはそうです。

*5:作ったことがないから作れるかすらわからない。

一月の生活PDCA

仕事と姿勢

 粛々と設計をして実装する日々。タスク量に無理がないので平和です。相変わらずサーバシステムとインフラを作っています。

 オフィスで椅子として使っていたバランスボールですが、少し問題が発生しました。腰です。

www.rehabilimemo.com

 この記事のゴリラとヒトの比較をみればわかるように、ヒトは尻=脊椎の末尾を突き出しているのが正しい姿勢です。私はゴリラの姿勢をして椅子に座っていました。疲労姿勢と呼ばれる座り方もゴリラです。私は疲労姿勢のままバランスボールに座っていたので、腰に負担がかかっていたのです。

 正しい腰椎の位置関係を知ってから、実際に意識して尻を突き出してみたのですが、歩くときの姿勢がヨリ安定するようになりました。ただし、ドローイン(腹横筋を締める動き)と、腹斜筋・背筋で胸骨を引っ張る動きとセットなのが重要です。ここに書くには長すぎるうえ、私には知識も足りないので以下の記事および猫背シリーズをどうぞ。

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だるい問題

 自分は冷え性ではないかという疑問がありました。片っ端から冷え性対策を試したところ、大当たりしたのが腹巻きです。

 腹巻きはグンゼの安いやつを買って下腹から腰にかけて巻いています。寝る時は外しています。素人の仮説ですが、内臓が冷えて全身だるくなっていたのでしょう。腹巻きをつけるようになってからは、だるくて何もできない時間がほぼなくなりました。また、足首にもレッグウォーマーを巻いています。この二つの装備があれば、着る毛布なしでも暖かく過ごせるようです。

 冷え対策の最終手段が湯たんぽです。私が買った湯たんぽは充電式のもので、なんと、コンセントに湯たんぽをつないで蓄熱します。湯たんぽの中身は塩化ナトリウム水溶液で、二十分ほど充電したら満タンになります。この湯たんぽを背中やお腹、足に当てておくと血行不良がすぐに改善してゆきます。悪酔いしたときにも湯たんぽを抱いて寝ると、比較的すばやく回復できました。もちろん寝るときにも使っています。旧来の湯たんぽと違ってお湯の運用がないのがたいへん便利です。

スリーアップ 蓄熱式エコ湯たんぽ ヌクヌク ミッドナイトネイビー EWT-1543NV

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食生活

 妻の同人活動を支えるために寸胴を買いました。詳しくは後日記事にしますが、妻の同人誌生産が日常的なタスクになっています。私はアシスタント兼マネージャーとしてベタ塗りやトーン張り、進捗管理と計画、その他雑務をやっています。こうして家事の効率化圧力がはたらき、大量調理をするに至りました。いつだって大量生産は効率的。最初は家にある鍋でカレーやハヤシライス、ポトフを作っていましたが、物足りなくなりました。結果、届いたのが8リットルの寸胴です。8リットルのポトフが作り置きされていると、二人で一週間調理なしで過ごせます。週末ないし平日のどこかで一回だけ調理を行い、鍋は急速冷却して冷蔵庫にしまいます。食べる時は皿にとりわけて、電子レンジで加熱をします。こうして、趣味に最適化された生活ができました。2018年まとめ - non117's diary で紹介した十分間憎悪(毎日の片付けタスク枠)はちゃんと続いているので、全体的なQOLは維持できています。よかったですね。

IH対応電磁調理器鍋ステンレス寸胴鍋22cm(蓋付)

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古典を学ぶ

  • 過去の革新的な発想・技術を真似して現代の常識が成立している
    • 各技術要素の発展する関係性が、木構造ではないことに注意、進歩史観に陥るのも問題
  • 現代の常識は過去の知見を組み合わせて応用しており、複雑
    • 組み合わさったものから、個々のアイデアを汲み取るのは難しい
    • つまり、最新世代の成果からのみで考え方を学ぶことは困難
  • 古典的な手法と現代の手法の何が同じで何が異なるかを観察する
    • ある時点で存在した発想とそうでない発想、応用と基本を分けて認識できる
  • 両方を観察することが重要
    • 古典だけをやってタコツボ化し、現実をみないこともよくある
    • 上の議論により、現代だけから知見を得るのは効率が悪い
    • 両方の知識・体験を経て差異の認識を行うことが肝要
  • 具体的に
    • 漫画でも1970年代の古典から、現代の作品まで表現手法が洗練されてきたはず
    • 変形されたコマは昔の作品に見られなかったり

タスクとメモの管理2019

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  タスク管理とメモはiPhoneMacの公式メモアプリに行きついた。iCloudアカウントで勝手にメモが同期されるし、家族とメモ=タスクリストを共有できる。共有したメモが妻によって更新されたら通知が来る。当然UIも良いし、なんなら絵も描ける。

  妻とメモを共有し始めるときに、アプリを入れてアカウントを作る面倒さがないのも強かった。必要ないならアカウントは絶対に作りたくないものだ。

  タスクを管理せずに生活できるのが一番なのだけど、労働者は時間がないので管理するほかない。タスクが多すぎて画面に収まらないときは、生活が破綻している可能性があるので、どうにかして有休を二、三日とるのがオススメです。

「日本の思想」読了

ともあれ、こうした国学儒教批判は、(i)イデオロギー一般の嫌悪あるいは侮蔑、(ii)推論的解釈を拒否して「直接」対象に参入する態度(解釈の多義性に我慢ならず自己の直感的解釈を絶対化する結果となる)、(iii)手応えの確な感覚的日常経験にだけ明晰な世界をみとめる考え方、(iv)論敵のポーズあるいは言行不一致の摘発によって相手の理論の信憑性を引下げる批判様式、(v)歴史における理性(規範あるいは法則)的なものを一括して「公式」=牽強付会として反撥する思考、等々の様式によって、その後もきわめて強靭な思想批判の「伝統」をなしている。(p24)

右にのべたような状況、すなわち一方で、「限界」の意識を知らぬ制度の物神化と、他方で規範意識にまで自己を高めぬ「自然状態」(実感)への密着は、日本の近代化が進行するにしたがって官僚的思考様式と庶民的もしくはローファー的思考様式とのほとんど架橋しえない対立としてあらわれ、それが「組織と人間」の日本的なパターンをかたちづくっている。(p58)

問題はむしろ異質的な思想が本当に「交」わらずにただ空間的に同時存在している点にある。(p70)

 1961年に刊行されたこの本は、「実感」信仰と制度・理論の物神化*1*2が日本の思想に蔓延する態度だとしています。また、各コミュニティがそれぞれ個別に思想を輸入するものの、「タコツボ化」、つまり、そのコミュニティに閉じこもって他コミュニティの教養を無視している点を指摘しています。

日本の思想 (岩波新書)

日本の思想 (岩波新書)

 

 

雑文

なぜこれを書いたか

 読書の片鱗をSNSに投稿していると、本の紹介や内容の要約を求められることが増えてきました。私は本を読みながら線を引いて要点が残るようにしているので、上記のように書いてみた次第です。ですが、上の引用だけをみてわかった気にならないようにしてください。もし、引用文に惹かれたのなら本を読んでください。引用された部分は私の恣意によって切り出されており、本から何を読み取るかは人によって異なるはずです。引用は本のわずかな部分に過ぎず、通読するとより多くの事柄が得られます。

引用の難しさ

 引用してみて、

  • 引用が難しいこと
  • 読書しながら引いた線はあてにならないこと

がわかりました。引用は論理構造をもった文章から部分を切り出す行為ですが、元の文章は全体として調和を保っているため、恣意的に部分を切り出すとどうしても「歪み」が出てきます。筆者の主張を崩さぬよう配慮しながら引用をするには、全体の構造をきちんと把握する必要がありそうです。傍線は本質的な主張の付近に引かれていることは多いのですが、引用しやすい形式で書かれているわけではなさそうです。というのも、文章は論理の積み重ねを受けて「まとめ」にかかるため、「まとめ」そのものは前の文章と強く結合しているためです。傍線は「まとめ」に引かれますが、その文章は引用に適さないことがあります。

引用をやってみて今後どうするか

  可能な限り、私が本を読んで「オッ」となった部分を紹介しようと思います。引用の要件のはなしもあるので可能な限り短くします*3。昨年たくさんの本を読んで、よい本もたくさんありましたが、さかのぼって紹介することはありません*4*5

 

以上です。

*1:マルクスフェティシズム・呪物崇拝

*2:理論を絶対的な存在として内面化し、すべての問題をそのシステムで明らかにしようとする態度

*3:今回の本は一文が長くてたいへん

*4:面倒なので

*5:既に揮発しているところも多いため