non117's diary

料理と哲学をします

週報 2022/09/25 『思い出を切りぬくとき』, 『中動態の世界』を読んだ

近況

前の日曜日は休みにできたのだが、どうも体調は不穏だった。喉が痛かったり、ストレス性の皮膚炎が出たり。すわコロナか?となったが、お灸をしたら治ったので違ったようだ。おそらく冷え。秋が来て冷え性にはつらい季節になってきている。

月曜日は関西コミティア。台風が迫っているなか、本を売ってきた。相変わらずスペースには予備椅子がなくてずっと立っていた。午後には台風が最接近していたのだが、会場が家から近くてすぐに帰れた。便利である。

イベントが終わりほっとした妻氏はSplatoon3を買ってプレイし始めた。ナワバリバトルをずっとやっているようだ。私はヒーローモードとバイトをやっている。ヒーローモードの難易度が高すぎて文句を言いながらクリアした。

火曜日から木曜日までの平日は業務。休みを入れて巨大な連休にしている同僚は多かった。私は仕事が詰まっているのでふつうに働いた。締切りが二つ迫っていてたいへん焦っている。

仕事はたいへんなのだが、私生活のイベントは落ちついてきた。あとは次の金曜日の社交ダンスレッスンくらい。やっぱり私はイベントがあるとダメで、落ち着かなくなりストレスを受ける。月にいっこくらいにしておきたい。

手書きの自由さ

仕事で作文をたくさんしていて、手書きの便利さを知った。

これまでの書き物は、アウトラインプロセッサでの下書き、設計を経て、別のエディタで清書をしていた。アウトラインプロセッサはもちろん便利だし、有用なのは変わらないのだが、より前の工程に手書きが入るのに気づいた。

なんせ、手書きは紙とペンさえあればよいのだ。下書きの下書きなので、雑でよい。漢字はまともに書かないし、字はめちゃくちゃだ。たぶん他人には読めない。一ヶ月後の自分にも読めないだろう。でもそれでいいのだ。数日読めればよくて、下書きの役割が終わったら捨てるものである。

紙は裏紙でいい。我が家には二次創作同人誌の通販事務処理で使っていた裏紙がたくさんあった。これをB6サイズに切って手軽に使える裏紙としてストックしている。B6なのがポイントで、気軽に書き散らかして捨てることができる。

紙とペンは思考速度が速くなる。PCやiPadスマートフォン、どれも文字を打つのにハードウェアとソフトウェアのやり方に合わせないといけない。画面の広さ、キーボード、IMEなどの制約のせいで、思考スピードは落ちてしまうのだ。まともに漢字を書くのを諦めたら、紙とペンの思考スピードがいちばん速い。

紙にしろメモアプリにしろ、その道具の役割は(脳の)外部記憶装置である。思考を補助するメモリになればそれでいい。メモリとして使うのに、間に挟まる道具は少ないほうがいい。

もちろん、読むためにはディスプレイのほうがいい。ここで言っているのは、考えるため、書くための道具の話である。だから、手書きがいいのは下書きまでの話。人に読ませる、あるいは日記にするならば清書は必要である。

自分でも読めないところがある

『思い出を切りぬくとき』を読んだ

www.kawade.co.jp

イベント続きで疲れていた先々週、なんだか哲学書人文書を読む気分じゃないな、となってエッセイを読み始めた。

物語、小説コンテンツは苦手である。壮大な物語はたしかに楽しいのだけども、物語世界に入っていって戻ってくるのがしんどい。別に私は現実逃避をしたいわけではなくて、今ここで、現実にいながら少し物思いに耽るくらいがよい。なので、エッセイがちょうどいいと思った。

前にも書いたように、エッセイは読みやすさが大事だ。内容がなくてもよい。平易でいつでも読めて、その人にしか書けないものが出ているのがエッセイだ。

今ではYouTuberが人生の切り売り競争をしているが、原初の人生の切り売りはエッセイとか自伝である。

ある人物のエッセイに飽きたとき、その人の本に書かれていたことが、全部同じである、と理解する。人生の切り売りコンテンツとはそういうものである。

 

萩尾望都は、伝説級の少女漫画家である。ちょっと古い漫画ではあるが、内容はたしかにおもしろい。妻氏が萩尾望都を気に入っていたようで、家にたくさん本がある。

そんな萩尾望都の古いエッセイを集めたのがこの本。家に落ちていたので読み始めた。

 

鈴木光明先生のマンガ教室に毎年、とりあえず講師として一、二度出席するのだが、行くつど教えることは困難だと実感する。こういう表現の形態について、描き方について教えられることはほぼ表面的な技巧面が主だし、なぜ表現するのかという肝心な、そしてもっとも大切なことは、もう教える、教えないの域を超えてしまう。あとは各自が知るのを気づくのを、補助するぐらいの役割しか出来ない。p46

憧れという感情は厄介で、自分の欲望ではないもの、他者の欲望を自分のものだと勘違いさせてしまう。他者の欲望に欲望する。これは消費の一般的形態でもある。

内発的な動機=欲望による表現が一級であるとする意見は今では古いかもしれない。承認や金儲けが大事だ、とも言える時代である。しかし、それでも私は作者が自由な、好きなように描くのがいちばんだと思う。

他にも「このまじめなSさんに創作が遊びとムダから生まれることをどう説明しよう」とか、「5分でできる仕事の依頼でも、割り込み仕事は嫌だ」という話があった。

『中動態の世界』を読んだ

www.u-tokyo.ac.jp

國分氏の本は読みやすい。哲学書なのだが、問いが整理されており、全体構造がわかりやすい。そして本文も平易に描かれている。稀有な哲学書である。

國分氏のことは、千葉氏との対談本、『言語が消滅する前に』で知った。國分氏と千葉氏は東大時代の知り合いか何かのようで、それなりに仲が良さそうである。

その後『暇と退屈の倫理学』を数ヶ月積んでから読み、これもよかったので、『中動態の世界』を読み始めた次第である。

國分氏は千葉氏と違って、ちょー真面目な哲学者だと思う。でも、古典解釈ばかりしているタイプの哲学者でもない。ちゃんと現代の生活世界を見据えて哲学をしている。

 

そんな國分氏の今回の問いは、「言語は人間の活動を捉えきれていないのでは?」「行動はすべて意志があるかのように言われるが、そうではないのでは?」というものである。

これは至極真っ当な問いで、人間の行動は意志で貫かれているわけではない。歩く動作一つとっても、意志があるような、ないような側面がある。脅迫をされて金を払うとき、明らかに我々は意志に基づいていない。

この、意志概念は構築物では?という問いを、中動態という、消滅した態から分析していく本である。

 

あらすじ: 一般的には、中動態とは能動態と受動態の中間の態だと説明されるが、國分氏は、バンヴェニストの説をベースに、中動態が受動・自動詞・再帰の役割を合わせもった言語機能であることを示していく。最後に、スピノザの言語理解を解釈し、中動態がたしかに人間の行動をうまく説明すると主張する。

というような、本である。意志、行動、言語、人間を分析するおもしろい本だった。内容も充実していて、サービスもよい、いい本である。

週報 2022/09/18 日本の家庭料理独習書

日本の家庭料理独習書

www.kinokuniya.co.jp

調理方法の意味を問うた本

土井善晴氏のちょっと若い頃の本である。ほらこんなに若い。

ぴちぴちですね

この本は、土井先生の『一汁一菜でよいと至るまで』で存在を知った。

 同じ「調理」という言葉で表現されるのでも、プロのすることと、家庭料理で行う手法の違いを、意味を含めて明解にしていく。例えば、「ほうれん草のおひたし」なら、家庭料理のおひたしと料理屋のおひたし、また、栄養大学のテキストにあるほうれん草のおひたしと高校生の家庭科のテキストにあるほうれん草のおひたしは、それぞれ全く異なるものです。
(中略)
 また、授業のあり方は、炙る、茹でる、炒る、蒸かす、膾、干す・発酵というように、一回の授業を一つの調理法に特化することで、多様な調理方法を比較しつつ理解を深められるようにしました。私なりの調理法の授業です。
『一汁一菜でよいと至るまで』 p207-208

と、あるように家庭料理での調理方法の意味が解説された本である。私は行動にはすべて意味づけをしたい、自分で説明できるようになりたいタイプなので、ぴったりの本であった。

 

中身は料理書らしからぬ文字だらけ。レシピというよりは、調理法の解説が主眼であり、基礎技術の本である。

ポイントのところで意味の話がされてるのがよい

いい本だと思うのだが、残念ながら絶版している。古書でなら手に入る。
私はまだ全部読んでないが、ぱらぱらめくって土日に修行をしていくつもりだ。

思い出の薄い料理を作るのは難しい

ただ、個人的には、この本の料理をみてもピンとこないものが多かった。思うに、実家での食事経験の問題である。

実家の料理、特に和食がおいしかった場合は、こういう本を見て、これを作ろう!と思えるのかもしれないが、私の実家はそうではなかった。

母の料理はあまりおいしくなかった。まずくはないのだが、おいしくはない。これは自分で料理をするようになってから気づいた。私のほうが料理うまいじゃん、と。

汁物にしても、煮物にしても母の料理はなんとも微妙だった。だから私の体験として、家庭料理の和食にはいい思い出がない。印象が残っていないので、これを作ろう、という気にはならないのだ。

 

幸いにも妻氏の和食経験はよさそうだった。つまり妻氏の母の作る和食はおいしく、妻氏はこれがおいしかった等々の思い出を持っているのである。妻氏の体験・印象をもとに献立を作り、自分の家庭料理の体験を更新していく。この方法で、実家の体験を補えるのではないか。

食事体験は文化資本である

このように、実家での経験はばかにならない。まさに文化資本である。

核家族の世代において、ふつうは一つの家庭しか経験しない。経験が一つしかないからそれが当たり前だと思いこむ。相対化されるのは結婚やシェアハウスなどの共同生活を通してのみ。

共同生活は暗黙的な経験同士がぶつかり合う場となる。自分の経験が、ある特殊な一例であることに気づける人は少ない。核家族生活で培われた癖・感覚は容易に覆せない。癖は無意識に行われるから。

 

幸い我が家は合理主義の精神によって一汁一菜を主軸にできた。時間がないから、という理由で合理化をすると、癖は排除できる。これで数年間、おいしく健康に過ごせているので問題はない。

しかし、世の中ではそうではないらしい。一汁一菜を勧めるとたいてい、毎日同じものを食べたくない、と言われる。味噌汁は毎日同じように作っても、微妙な差異が出るものだが、消費社会は小さな差異を潰して大きな差異を消費するものである。消費者にとって満足できないのも理解できる。

 

一汁一菜でよいのに、なぜ私は改めて和食をやりたがっているのか。妻氏の実家の異文化を知りたいのが一つ、単に技術を高めたいのがもう一つ、だろうか。

前者はわかりやすい。妻氏のほうがすぐれた文化資本を持っているようにみえるので*1、それを私も継受したいという話。後者は趣味の問題。私はたぶん料理が好きなのである。これまでブログにも食の話ばかり書いてきたことからも明らか。趣味として、和食をやろうとしているのだろう。

近況

先週日曜日に広島での結婚式から帰ってきて翌日を休みにした。週報とアシスタント作業をしていた。火曜日には会社で健康診断。昼前までの絶食がきつかった。そのまま夕方まで仕事をした。

水木は在宅勤務をして実装をがんばっていたと思う。空いた時間にはアシスタント作業をしていた。金曜日朝が関西コミティア新刊の締切りだった。アシスタント作業は水曜日に終わらせて、木曜日は雑務サポートをしていた。

なんとか徹夜をせずに本ができた。高速に同人誌が刷られてもう家に届いている。半分はイベント会場に着弾したはず。明日、19日の関西コミティアで頒布をする。台風でどうなるかな、と思っていたが開催はするようだ。珍しく京都での開催なので帰れるとは思う。

金曜日も出社。サブ業務をうおーっとやっていた。19時までがんばったが片付かずに退勤。来週なんとかしないといけない。この頃業務での書き物の量が増えており、自作アウトラインプロセッサが活躍している。

土曜日は妻氏の実家へ。遺品回収の立ち会いをしていた。故人には工作趣味があったようで、謎の木工物体がたくさん引き取られていった。妻氏と一緒にPCサポートやSwitchBot人感センサーのセットアップをした。

今日は買い物と昼寝で終わった。ちょっと体調が悪くなってきており、イベントごとに弱いのを自覚する。明日、コミティアから帰ってきたらまた寝まくるであろう。

*1:ただし妻氏は料理がほとんどできない

週報 2022/09/11 広島・1.0mm製麺

この土日は旧友の結婚式で広島に遠征していた。土曜日に移動し、友人と酒を飲んで翌日挙式・披露宴に参加、そして帰ってきた。

思ったよりも広島は遠くて、移動だけで1時間半かかった。コロナ禍でぜんぜん実家に帰っていないので感覚を忘れていた。

スーツを持って移動する必要があり、けっこう疲れる。人と会うのも疲れる。イベントがあるとしばらく情報処理に時間をとられたので今日は休みにしている。

広島は道が広くて札幌みたい

キリスト教式の挙式には初めて参加した。儀式の手順はなんとなく知っていたが、結婚証明書にサインを書くのに驚いた。書面にサインをすることで、結婚という契約を西欧的に行っているわけだ。日本と違って型どおりの儀式をすればよいだけではない。結婚の契約性が前面に出ていておもしろかった。

結婚式や葬式の主催を経験していると、コスト計算をせずにはいられない。この生花がいっこ五千円、これは一万円かな……と試算しながら設備を眺め、花びらを投げた。

貝うますぎる

料理もよかった。こういう場でないとなかなか食べないものもある。洋風の料理も和風の料理もあったのだが、貝出汁のスープが好みだった。ステーキやキャビアよりも魚や貝。家でも和風の方向で料理をして技術を磨いてみたい。

平和大通りも緑がモサモサしていてよい

さて、先週は何をしたのだったか。

出社が増えてきた。様々なことがあり、在宅勤務から出社へとシフトしつつある。個人的にはあまり嫌ではない。運動不足の課題があったので。

ただ、感染リスクは高くなるので弁当を作るようにしている。ちょっと面倒ではあるが、我が家には具だくさん味噌汁を高速に作る技術があるので、弁当の用意は10分あればできる。long covidのリスクを背負い込むよりはマシと思って、続けている。

 

NASから異音がしている。小さめの鈴虫みたいな音。リーンリーン。最初はルーターや無線APかと思ったのだが、NASの電源を落としたら音が止んだ。

おそらくHDDの老朽化だろう。もう4年か5年使っているので壊れてもおかしくはない。しかし、S.M.A.R.Tの値やヘルスチェックには問題がないので放置している。放っておくと認知に乗らなくなるレベルの音なのでまあ別にいいや。

 

仕事が忙しい気味。一時的にタスクが増えていてあっぷあっぷしていた。今は収束しつつある、はず。珍しく長めの残業をして仕事を進めたのはいいものの、代償に茶碗を割ってしまった。やっぱり無理なので残業は1時間までにしておく。

 

私の日記は起きたできごとが時系列に書かれている異常な代物だったのだが、先日それをやめた。時系列順に思い出すのは負荷がかかるし、時系列にすべき、というルールもおかしい。なぜかわからないが、日記をやっているうちに時系列規範を身につけていたようだ。

規範は無意識に構築されるものがある。自然に出来たルールが自分を拘束するので、謎の規範に従っていないか、チェックして棚卸しをするとよい。

 

新しい製麺機を使ってみた。いつものようにスタンドミキサーで水回しをしたあと寝かせて圧延、切断。いつもと違うのは、パスタカッターの細さ。念願の1.0mm幅のカッターを手に入れた。

1.0mmの中華麺ができた

私はなぜか細麺が好きで、幼少期からそうめんを好んでいる。蕎麦も中華麺も細麺がいい。なかなか素麺以外の細麺は売られてないので自作する価値があるのだ。

パスタマシンはキッチンエイドのアタッチメントのものも持っていたのだが、自動で回転するローラーが怖いこと、北米から輸入した1.0mm幅カッターが壊れてしまったという理由で使わなくなった。

こうしてふつうのパスタマシンであるアトラス150を調達し、再び細麺が作れるようになったわけである。

スタンドミキサー水回し

新しい製麺機くん

なめらかな麺帯

 

性差と身体

養老孟司は「言葉は脳をつなぐ」と言ったが*1、それは人間のコミュニケーション様式の半面でしかない。たしかに言語運用能力の高い人たちの脳は言葉でつながり、言葉で通じ合っているのだが、そうでない人も多い。

おばちゃんたちのかしましい雑談を観察すると、おばちゃんは言葉の内容ではなく、相手の身体的な反応をみて、身体に身体で反応していることがわかる。態度が大事であり、言葉の内容は本質ではない。女性の集まりは言葉(だけ)ではなく、身体でコミュニケーションをしている。

よく「男性は言語優位であり、女性は感覚優位である」と言われる。もちろん当てはまる例もあるし、例外もたくさんある。性差に関係なく、言語優位の人と身体優位の人がいる。

この構造を図にするとこうなる。

  • 横軸が性差および性的自認であり、縦軸が身体性である。身体性というのは、身体優位(感覚偏重)と言語優位の対立だと考えればよい。
  • 身体性は、身体が開かれている、閉じられている、という言葉でも語られる。身体を無視して頭だけで生きている人は、身体が閉じられていて、言葉だけで脳をつないでいる。
  • 縦軸と横軸が点線で描かれている。これは、軸が絶対的なものではなく、人間の認識によって変わりうることを示している。A, B, C, Dそれぞれの領域に軸足を置きつつ、たまに越境するのが人間である。全体が連続的であることに注意してほしい。
  • ここから具体例を出していく。ポリコレ棒でたこ殴りにされる内容になるだろう。しかし、私は、このカテゴリの人が必ずここにいると主張したいわけではない。自分がどこに属するかは自分で考えてほしい。

各領域の代表例

  • Aは女性的身体優位の人たち。ヘテロ女性、MtFの人たち。
  • Bは男性的身体優位の人たち。ゲイやFtMの人たち。
  • Cは男性的言語優位の人たち。ヘテロ男性、FtMの人たち。
  • Dは女性的言語優位の人たち。女性の自閉症MtFの人たち。

各領域について

  • AとBでは「共感」が大事にされ、CとDでは「理解」が大事にされる。身体性が違う、縦軸方向に差があるほど、コミュニケーションが難しくなる。
  • AとCは「ふつう」のカップルである。しかしAとCの間にはコミュニケーションプロトコルの相違がある。ちゃんと身体性の近いひとを伴侶にしているなら問題ないが、そうでないケースは多い。
  • MtFの領域移行はC→DとC→Aの2パターンに大別される*2*3FtMも同様に2パターンあるだろう。身体性と性自認の2変数でどのような越境をするかが決まってくる。
  • BとDの領域にいる人は少ない。AもしくはCからはみ出た者として、何かしら悩みを抱えている人が多いのではないか。身体性からすると明らかにBなのに、がんばってCのふりをする時期などがある*4*5
  • なぜ、CはA(もしくはB)を欲するのか。それはCの者が身体を無視しているからである。自分の身体がちゃんとあるのにそれを抑圧しているから、Aに求めるのである*6

創作と身体性

  • 言語優位で理屈っぽいキャラクターは物語を動かせない。CとDの領域。論理的に「正しい」ことをやっておもしろい物語になるのはSFやミステリーくらいのものである。
  • 文学は、身体優位な感覚を言葉で表現する芸術活動である。AとBの領域。論理的な「正しさ」は置いておいて、開かれた身体で動くキャラクターこそが物語を動かす。「正しさ」に依拠していたら悲劇の物語なんか出てこない。
  • BL二次創作は、原作に出てくるすべてのキャラクターをBの領域に持っていく操作をしている。言語優位でロジカルな男性キャラクターを、感覚優位なキャラクターに転倒させるのは、さぞかしおもしろいだろう。
  • とはいえ、もともと物語にはBもしくはAのキャラクターが多い。でなければ物語が進まないから。Bにいる、現実にいたらヘテロ的ではない男性キャラクターをBLにするのは自然な操作とも言える。
  • 動物は人間ほどの言語性を持っていないと思われる。つまりAとBの領域。

百合とホモソーシャル

  • 身体性が異なると言葉が通じにくくなる。AとCの組み合わせは原理的に困難を抱えている。であれば、AはAと、CはCとつるめばよいのだろうか。
  • AとAがつるむと百合(もしくは単なる親友)になる。そういう恋愛を現実で実践している人たちもいるだろう。また、このごろ物語の世界で流行っているのも事実である。
  • CとCがつるむとき、恋愛になるかというとそうではない。なぜかわからないが、恋愛には身体性がセットである。BとBではなく、CとCでつるむ集団、それはホモソーシャルである。マウントと言葉のロジックがコミュニケーションプロトコルになる。

性差より身体性が大事

  • ここまで書いてみて、私は性差より身体性に力点をおいていることがわかった。興味と言ってもいい。とはいえ、AとBそれぞれの身体性は同じではなく、Aにしかないもの、Bにしかないものはあると思う。
  • CとAに閉じこもる人たちからみると、BとDは存在しない。CおよびAの人たちには性差と身体性が混在した問題に見えるはずだ。

*1:養老孟司の人間科学講義』ほか多数の本で主張されている

*2:厳密には、元から性自認がAであることに気づく、という形なのだろうか

*3:ただし、CからAとDの境界に移動するパターンもあるだろう

*4:ちなみに私は中性的なCとBの間くらい、妻氏はDである

*5:他にも、AからDへ移行しようとする者(例: バリキャリ)など、いろいろパターンがありえる

*6:https://kangaeruhito.jp/interview/12967

週報 2022/09/04 無印の「肩の負担を軽くするリュック」がよかった, ほか

無印の「肩の負担を軽くするリュック」がよかった

コミケ遠征以降、リュックと荷物の重さが気になっていた

もちろん荷物を減らすのが大事なのだが、そもそもリュック自体の重さもある。

今使っているリュックは今はなき河原町マルイの服屋でてきとうに買ったものである。リュック自体が重く、素材はぺらぺらの布である。リュックの形をしているだけの雑嚢だ。

 

リュックの性能の問題もあるのでは?と思って調べたところ、無印の「肩の負担を軽くするリュック」という商品があるのに気づいた。

その名のとおり肩の負担を軽くする構造を備えているらしい。特許も取得されており、構造的に意味はありそうだ。

www.muji.com

早速、無印良品の店舗に行って試着してみた。なるほどリュックそのものが軽いだけでなく、荷物が入っていても軽く感じるようだった。迷わず購入した。

この土日でいろいろ運んでみたのだが、びっくりするほど重さを感じにくいリュックだった。仕組みはよくわからないが、荷物の重さが肩の一点ではなく、背骨にかかる構造になっている。不思議である。これが特許技術の力なのか。

半オーダーメイドの靴を受けとった

ジムで猫背を修正し、歩き方を矯正してからというもの、姿勢への意識は高まる一方であった。

靴は姿勢の要である。説明不要。自明であろう。

しかし、私の足は3σくらいの外れ値な形をしている。市販の靴が合わないのである。ふつうに売られている靴はワイズがEとかEEで、日本人の幅広な足にはこれが合うらしい。だが私はワイズCである。履けるわけがなかった。

 

困ったあげく、今年の6月にオーダーメイドの靴を発注した

インターネットで検索し、近所の靴職人のお店を発見。突撃して事情を説明し、靴を作ってもらうことになった。

発注したのは二足。フォーマルなかっちりした革靴と、気軽に履くトラベルシューズである。前者は足型をとってフルカスタムで作るため、製作期間は1年くらい。のんびり待っている。後者は汎用の足型を使って、少し調整を行うタイプのもの。2ヶ月と少しで完成した。

納品されたトラベルシューズ

履いて立ってみると、勝手に背筋が伸びた。ちゃんと頭 - 背骨 - 腰 - 踵のラインが繋がって、地面に立っている感じがする。そして、歩いてみるとなぜか足の可動範囲が広がる。ちょっと意味がわからないのだが、なぜかそうなる。

あまりに良くて、受けとりに同行した妻氏もトラベルシューズを発注してしまった。妻氏も踵が細い悩みを抱えており、この靴が問題を解決したようだった。

靴職人さんによると、欧州や中国の人たちは踵が太く足がしっかりしているのに対し、日本人は踵が細いらしい。長らく土の上を草鞋で歩いてきたからこうなっているのだろうか。

 

この靴は粗雑に扱っても5年くらい履けるらしい。丁寧に使えばもっともつだろう。少々の故障であれば修理してもらえるので、気軽に履くのがよいのだと思う。

汎用の足型でこの体験なので、足型をとったほうの靴はどうなるのか。楽しみである。

雑記

ロシア点描を読んだ

ユーリィ・イズムィコこと小泉悠せんせーの本。ロシアの文化について書かれている。食文化、モスクワの様子、週末の過ごし方など話題はいろいろ。

www.php.co.jp

なかなかおもしろい本で楽しく読めた。イズムィコ氏の語りがお上手。落語の経験があって、おもしろおかしくしてしまうのだそうだ。また、内容も具体的かつ見知らぬものでよかった。すぐに読めておもしろいのでおすすめである。

 

読んで得た印象は「ロシア人は他人を信用しないのに、仲間だとみなすと濃密な付き合いを求める」だった。プーチンはロシア軍将校を信用していなくてマイクロマネジメントをしている話にも通じる。
ただ、身内だけ優遇するという態度はロシアに限らず普遍的なものにみえる。つまり、ロシアにおける人間不信が特別高いということなのだろうか。他者を信用しない文化であれば、西欧的な法が実効しないのも不思議ではない。

 

ちなみにイズムィコ氏がたびたび餃子ネタを出しているのは、モスクワ滞在中に自作するようになったからのようだ。どうしても食べたかったらしい。

LUUPにのってみた

先日、電動キックボードを借りて乗ってみた。

最高速度は15km/hと遅いが、立って乗る車はこれくらいがいいのかもしれない。
道は新町と油小路を選んだ。四条 - 丸太町間の中心部だが、車は少なくて走りやすかった。

交差点の一時停止は面倒ではある。逆走をする小型特殊自動車は、法的には一時停止不要なのだが、京都の交差点は自転車が飛び出してくるので、絶対にしたほうがいい。

LUUPの車体には問題があった。無駄にでかくて重いし、アクセルのUIがちょっと悪い。LUUPのポートには充電設備がないので、バッテリーが大量にいるのだと思う。

小型特殊車両の私有ができるようになれば、よい機体が出てくるのかもしれない。

二つ目の製麺機を購入した

ふつうのパスタマシンを買ってみた。二台目である。どうしても細麺を作りたくて……。

KitchenAidの製麺機も持っているのだが、電動は指が挟まれそうで怖いし、カッペリーニカッターが完全に壊れてしまった

というわけで、手動パスタマシンのATL-150と細麺カッターを買った。レビューはまたそのうち。

お仕事の話

そういえば最近仕事について書いてなかった。元気に実装をしております。一日に100行if err != nil { を書く日々であります。Go言語は最高です。*1

短期的な発表系の仕事も増えて忙しくなる予感。

体調管理

妻氏も私も微妙な体調が続いている。季節の変わり目というやつだろうか。
お灸をするとよくなるので、毎日お灸をしている。鍼灸はほんとうにおすすめ。

雑記の雑記

草だらけの、自然に帰りつつある公園を見つけた。ふつうは管理しろー!と怒りだす人が多いものが、私はもっとめちゃくちゃになってほしいと思った。日本の自然は放っておくとモジャモジャになる。それがおもしろい。

 

SNSには他者の側から自分を評価する人が多い。苦しみのもとである。アファンタジアの私からみると自他の境界が曖昧になっている事態である。とはいえ、曖昧さが悪いわけでもない。おそらく道具を身体化するのにも曖昧さが働いているのではなかろうか。

*1:嘘です。ちなみにif err != nil { だらけになって読みにくい、というとき問題はGo言語ではなく設計にある。構造化をミスっている可能性が高いと思う。

週報 2022/08/28 電動キックボードがおもしろそう, 他者への平等さ, ほか

『中国くいしんぼう辞典』を読んだ

www.msz.co.jp

中国各地の料理について書かれたエッセイの翻訳本。内容も興味深いのだが、文章が上手なのがよかった。翻訳者の腕前だけでなく、原文の構成・記述もよいタイプである。

みすず書房には文章のよい本が多い気がする。編集者の目が優れてるのだろうか。

 

紹介される料理はほとんどが知らないもので、正直なところよくわからない記述は多かった。明代の誰それがどこそこへ行ったときに出会った料理で〜みたいな説明が随所にあるが、中国での常識を備えていないわれわれにはちょっと難しい。また、料理の材料も知らぬものがあった。

 

それでもわからないなりに伝わるものはある。我々は中華料理といえば四川料理を思い浮かべるが、中国国内ではもっと多様な料理があるようだ。大陸は広く、地方によって文化や食材が異なるらしい。その地でしか手に入らないものもたくさんある。

共通するのは細かい作業や繰り返し作業が得意なところだろうか。技巧的な包丁さばきで魚をリスの毛*1みたいに切ったり。九回煮て九回干すみたいな工程もある。

www.youtube.com

また、味付けの考え方も日本とは違っていた。日本の料理で素材そのまま、と言うと本当に素材そのままなのだが、中国では、素材そのままと言いつつあれこれ手を入れている。とれたての材料をほぼ無加工で食べるのではなく、スパイスや出汁で味を入れて食べるようだ。

この点では欧州のやり方に近いものがある。中国と日本は似ているところもあるのだが、やはりどこか違う。文化の差異について考えるのはおもしろいな、と思った。

電動キックボードがおもしろそう

電動キックボードに興味が出てきた。コンパクトな都市である京都では便利な気がする。

もちろん自転車でもいいのだが、自転車より取り回しがしやすいのがよいだろう。

 

いろいろ調べまわったところ、次のことがわかった。

  • いま市販されている電動キックボードは原付と同じ扱いである
  • LUUPなどの特例で認められた電動キックボード貸し出しサービスは自転車のようにふるまえる
  • 道路交通法が今年の4月に改正され、そのうち私物の電動キックボードでも自転車のようにふるまえる

というわけで、まだ時期が早かった。改正道路交通法の施行まではLUUPなどの認可を受けたサービスを使うしかない。

ヘルメット着用が任意となる電動キックボードの公道走行実証の計画が「新事業特例制度」に認定LUUP(ループ) |

「ほぼ自転車」電動キックボード規制緩和! 免許不要の改正道交法が成立! 既製品はどうなる? | くるまのニュース

 

と、考えてLUUPのアカウントを作ったのはいいのだが、肝心の電動キックボードは常に近所のポートから出払っていた。観光客がすぐに北へ持っていってしまうのだ。

やはりまだまだ発展途上のサービスであり、利用者数とかプラットフォームのシステムが足りていないのだろう。

しばらくはLUUPを試して、気に入ったら新基準に適合した製品を買おうと思う。あわよくば通勤に使いたい。

他者への平等さ

人々は「上から目線」に敏感である。私も例外ではなく、何気ない言葉の端から「上から目線」を感じることはある。

 

真面目で礼儀正しく、いわゆる「ポリコレ」を意識している人でも「上から目線」をやってしまうことはある。具体的には先輩 - 後輩の関係とか。

なぜかわからないが、先輩である、年長であるからという理由でタメ口になる人は多い。私としてはこれはアウトだ。「先輩」という属性を理由に態度を変えているから。

年齢差という属性はどうやっても変えられない。後輩はずっと後輩である。このような変更不可能な属性によって、「先輩」という立場を享受するのは「後輩」にとって理不尽であろう。たいてい「先輩である」という特権によって「上から目線」も発生する。

 

しかし、この年功序列規範に従う人はかなり多い。日本の古い規範を嫌う人の集団でも、「先輩」の特権を使う人が多い。たとえ無意識であっても、だ。

私は年齢によらず、というか、属性によらず平等に接したいと思っている。そのために見かけの親しさが失われても構わない。私にとっては後輩も上司も同じである。

もちろん、実績によって扱いは変える。というか、個々人の評価は、その人の行動のみによって決定される(べきだ)。属性をみて扱いを変えるのではなく、優れた行動/愚かな行動によって扱いが変わる。

なので、愚かな行動をとり続けた人の扱いが悪くなることはある。属性による評価をしなくても、行動による評価で、他者をフォルダ分けすることはできる。

属性評価と違って行動評価がいいのは、挽回のチャンスがあることだ。「後輩」属性は変えられないが、「愚か者フォルダ」に入った人でも、優れた行動をとり続けることで信用を回復させられる。「微妙だったあの人さいきんいいじゃん」となって、評価を変える。

 

これが私の理想的な人間関係の評価方法である。当たり前な人にとっては当たり前だし、わからない人には意味がわからないものだと思う。

雑記

  • 久しぶりにZoom飲み会が発生。退屈な席ではゲームをしていればよいことに気づく。
    • 物理/リモートによらず、座組によっては退屈になる。無限に喋れる人、そうでない人がいる。
  • 妻氏が喉の痛みを訴え騒然となる。COVID-19を疑ったが、発熱はせず、寝室のエアコンが原因だとわかった。
    • 除湿から冷房にすることで解決した。
    • 意外と冷房のほうが喉を痛めないらしい。
  • 鍼の先生に身体が冷えてる、と言われた。
    • お盆もすぎて季節は秋になろうとしている。雨も多いし冷えの季節が到来しつつある。
    • 冷え性の私は要注意である。とりあえずお灸をしてもらった。
  • 食パンを作り始めた。
    •  食パンはハード系のバゲットなどと違って簡単である。砂糖とバターが入るので、多少失敗してもおいしくなる。
    • なるほど変な名前のパン屋が林立するわけだ。

*1:神に捧げた魚を食べるために、これはリスですという建前にする加工をした

週報 2022/08/20 モルモット健康診断・『菌の声を聴け』を読んだ

モルモット健康診断

うちで飼っているモルモットの体重が減っていた。もう5歳半になる高齢モルモットで、そろそろ病気になってもおかしくはない。

目を開けて寝る

動物病院に連れていっていろいろ検査をしてもらったが、歯の問題や腫瘍は見つからなかった。腸にガスが溜まっていて、細菌叢の不調があるくらい。ひとまず整腸剤を与えて様子見ということになった。

検査でもみくちゃにされてショックを受けた様子

齧歯類は歯が命である。これまでスナネズミを5匹看取ってきたが、多くの個体で歯が問題になり、伸びすぎた前歯を定期的に切る処置をしていた。

モルモットはもっとややこしくて、奥歯も一生伸び続ける。奥歯の咬合が乱れると、麻酔をして奥歯を切らないといけなくなる。おおごとである。

その点では健康だったので、歯の面では飼い方に問題がなかった、とも言える。一安心。

 

整腸剤のおかげか、少し体重が戻ってきている。全盛期の体重に戻るかはわからないが、できる限り丁寧にお世話をしていくつもりだ。

『菌の声を聴け』を読んだ

我が家では発酵食品を作ることが多い。本屋でこのタイトルを見かけてぴんときたので買ってみた。

mishimasha.com

著者は無農薬とか有機栽培の食材だけを使ってパンやビールを作る人である。効率重視の資本主義社会では異端。昨今、無農薬就農太郎が炎上しているので、こういった思想には眉を顰める人も多いだろう。私も諸手を挙げて賛同するつもりはない。

 

しかし、この著者はちょっと毛色が違う気がした。ふつう反農薬の「自然派」な人たちはコミュニティを作って群れている。仮想的な村を構成し、コミュニティに所属し「自然派」をアイデンティティにするために思想を使っているところがある。

一方でこの著者は、群れずに一人で実践しており、実利として「自然派」をやっている。つまり、そうするとおいしいから。いいパンができるから。実利を求めて自分で考えながらやっているので、ふつうの「自然派」コミュニティの思想と違って、どこか現実的なところもあるのだ。

talmary.handcrafted.jp

おもしろそうなので、パンとビールを買ってみた。ネットショップもやっており、割高ではあるが買うことができる。一箱で五千円だった。相場の倍くらいかも。

変なパン(おいしい)

食べてみると、なるほど独特である。ビール酵母を使ったパンは酸味があって、遠くにビールの風味が感じられる。食パンもビール酵母が使われており、この店にしかない味がした。

パンやビールの発酵は酵母が主役である。粉と酵母にこだわっているのだから、他と違う味になるのも不思議ではない。たいていの店では、量産された酵母を使っているから。

 

実利を求めるタイプの「自然派」は強い。小麦も自分で挽き、酵母も企業に頼らずにやっているので、消費社会が滅びてもおいしいパンを焼き続けることができるだろう。そして、実際においしいものができている。発酵は複雑すぎて「科学的に」解明しきれないが、現においしいものが目の前にある。説得力はある。

だが、誰もが真の「自然派」の真似をするのは無理だ。目の前の現象を観察し、柔軟に自然を管理するのは職人芸と呼ばれるようなスキルが求められる。当然できない人がたくさんいるし、熟練者であっても品質を安定させるのは難しい。

量産技術によって、そこそこの品質のものを安価に大量に作れているから、我々は楽に生活ができているのだ。たとえ量産工程に非人間的な労働が必要だったとしても、この安価な生活は手放したくはない。

 

哲学をやり、実存を大事に、と考えるとしばしばこのジレンマに陥る。豊かに生きたいが、非人間的な効率化は嫌なのだ。二つの立場で引き裂かれることになる。

おそらく、この問題の答えはまだ誰も見つけていない*1。問いはマルクスの時代からある。だが、答えが見つからないからこそ、社会はこのようになっているのだ。

雑記

体調管理

  • 冷え性人間は夏でも冷える。靴下を履きパーカーを着込み、お湯や生姜を摂取すること。
  • 冷え管理をしたらお仕事がバリバリできるようになった。

余暇

  • アシスタント作業と読書をしていた。そろそろ次の話があがります。

読書のコツ

  • 紙面をぼーっと眺める。本も顔も固定しておく。すると、そのうち内容が勝手に入るようになる。

その他

  • 懸念されてたコミケCOVID19感染は回避された。1週間経って熱も咳も出ていないので大丈夫だろう。
  • またゴキブリが出て戦った。再発防止策としてホウ酸団子を買ってきた。
  • 社交ダンスのレッスンがあった。ホールドが難しかった。初心者の最難関だと思う。
  • 妻氏の線はアナログじゃないとダメということがわかる。数年前にも同じ結論を出してたような。

*1:自動化という暫定解は有望だが、人間が安価で柔軟すぎる問題がある