しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2024/04/28 川はただ流れている

4/20(土)

初期値依存性

さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。

 

ベランダの大改造をした。

サンドイッチ

一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の妻氏が「邪魔」と言ってきて領土争いになった。
初心に戻って配置を考えたところ、サンドイッチ構造なのがおかしいのに気づいた。挟んでいる意味がない。洗濯物ゾーンを右二つにして余ったところを園芸ゾーンにした。

 

間取りは初期配置の影響を受けやすい。引っ越してきて「とりあえず」で置いたものが数年そのまま陣取り「なんか狭いな」となる。ほんとうはそこに置かないほうが広く使えるのに生活してると気づけない。それくらい自明性を疑うのはむずかしい。

🐷🐷🐷

『センスの哲学』を読んだ

千葉雅也による美的判断の哲学書。前半が「センスとはリズム感*1だよ編」で後半が「その人固有のリズム感があるからそれを大事にしてね編」である。「固有のリズム感はみんな持っていて眠っているだけだから、目覚めさせるのが大事だよ」とされる。

個人的には「わかるわかるそうだよね〜」となる話だった。千葉氏が著書やツイート、noteでエッセンスを語ってきたのだと思う。影響され、自分で考え、創作をしてきて自然と『センスの哲学』の結論部分はすでに身につけてしまっていた。

「すべてはリズムだ」と言い切ってくれたのはよかった。生活にも、コミュニケーションにもリズムがある。我々は他者とリズムが違うのに一緒に仕事や生活をする。自分だけリズムを変調させて相手に合わせることもあるし、互いに変調させていい具合の落としどころを見つけられることもある。それでもリズム感の違いから伝わらないものごとが出てくるのが人間の不思議なところだ。

千葉氏と私のリズムはけっこう違っていて、合わないところがある。特に『エレクトリック』以降の文体。どうも私は速いリズムを好むようで千葉氏のゆったりしたリズムにノリきれないところがある。言ってることはある程度わかるし、おもしろいのだが、リズムは違う。これはもうどうしようもない差異であるから千葉氏は自分のリズムを大事にしていって欲しいし、私も変調しきれない点については諦めようと思う。それが本書の結論でもあるから。

4/21(日)

キャラを知るのが目的

一日中雨の予報。早めに食料の買い出しをして降られずにすんだ。あとは家でだらだらする。掃除をしたり漫画や小説を読んだり。

漫画はフリーレンを読んでいた。三巻くらいで止まっていたのだが、SNSでよく見かけるキャラを知りたくて読んだ。ゼーリエとユーベルとメガネくん。試験編が終わったら満足したが、惰性で続きを読む。

小説は『グレート・ギャッツビー』を読む。おもしろすぎて魔力があるタイプの物語で、没入する時間が用意できないために一章ずつ読んでいる。時間を忘れて本を読む日を作ったほうがいいかもしれない。

🏮🏮🏮

夜はインドカレーを作った。生姜を切らしていて生姜粉で代用したらコレジャナイ味になるし、玉ねぎをフードプロセッサーで粉砕したら焼き色がつかなくてダメだった。料理は難しい。お昼もシンプルなパスタを目指して実験をしたが、オリーブオイルとマスタードだけだと旨味が足りなかった。パスタはチーズかバターが必須なのではないか。

どちらもおいしいけど70点みたいな味

4/22(月)

130bpmが自分のリズム

在宅勤務。やるべきことが多くてうおーっと作業をしてたら20時になっていた。10時間労働である。飛ばすもんじゃあない。月曜日の体力だから元気に退勤できたけれども。

 

さいきん音楽を聴きながら設計、実装、ドキュメント執筆をするようにしている。昔からダンスミュージックを聴くと作業が捗るのだ。受験勉強時代からそう。iPodにお気に入りの曲を入れ、SONYの有線イヤホンで聴きながら数学や国語の過去問を解いていた。そうしないと自習ができなかった。

今も同じだ。130bpm前後の曲のプレイリストを作ってひたすら聴き続ける。どうもその辺のテンポが自分のリズムらしい。聞いているのは楽器の音だけで歌詞には興味がない。リズムがあってたまにギターやシンセサイザーの音が鳴っていたらそれでいい。音量は小さめ。大きいと集中を乱してしまうようだ。そうやって音楽をメトロノームみたいに使って仕事とか趣味の書きものをしている。たぶん読書もできるんじゃないかな。

🍊🍊🍊

ポエム記事は愚痴だった

ひとむかし前のこと、ソフトウェアエンジニア界隈で「ポエム」と呼ばれるブログ記事が流行っていた。今も書いてる人たちはいるのかもしれないが、あまり見かけない。ポエムは燃えることが多かった。今の炎上とは違って、長文記事がたくさん投稿される形だったけども。

「あれはなんだったのか」とふと考え「単なる愚痴だったのだ」と納得した。愚痴という言葉で言いたいのは、問題解決になっていないということ。職場の問題であれば上司を使って何らかの行動に移すべきだし、他人の行動を変えたいのであれば自分から率先して範を示すしかない。ただポエムを書いて人の行動を変えようなんてそんな無理な話はない。人は人の言うことなんか聞かない。ただ真似をするだけだ。

4/23(火)

湿気にやられてよぼよぼ。会議祭りをこなし資料作成、実装など多岐にわたる活動をした。もうすぐ連休!

 

フリーレンは最新巻まで読み終わったので無料公開中の『宝石の国』を読み始めた。ついに最終話が出たらしい。

comic-days.com

🎒🎒🎒

プログラミングのセンス

プログラミングにおけるセンスとは何か。「高凝集疎結合なデータ構造の美しさがわかっていて、そのように作れること」である。

高凝集疎結合なデータ構造がなんであるかを非専門家に説明するのは無理なので例え話にする。プログラマは部品を作り、部品を集めて大きなものを作る。ある部品が使いやすい=「UIがよい」ときその部品は高凝集疎結合だと言える。

UIがよい機械は内部構造を知らなくても使い方がわかる。例えばカメラ。中身は複雑なのにボタンを押すとなぜか写真が撮れる。われわれプログラマは同僚(または過去の自分)が作った「カメラ」部品を使ってより大きな機械を作るような仕事をしている。月面探査機かもしれない。大きなものを作るときには「カメラ」部品のボタンの押し方を知っていさえすれば良くて、必ずしも中身を知っている必要はない*2。そのため、同僚(および未来の自分)のためにすぐれたUIの部品を作るのがセンスのよい仕事である。

センスを磨くには忍耐と経験が必要で、センスの良いコードをたくさん読み、真似して書いていくしかない*3。センスを良くするのに経験の量が必要なのはどんな専門分野でも同じだろう。

言語によってセンスの良し悪しがあって、私のおすすめはRubyである。Rubyは明らかにmatzのセンスが秀でている。今はRubyが主流かというと微妙だが、Rubyをいっぱい読み書きするのがセンスを磨く近道かもしれない。

4/24(水)

川はただ流れている

睡眠時間が足りないなか出社しウトウト仕事をこなす。

 

同僚と「チャットのログ(と仕事)が溜まりまくるから休みにくくなってきている」と話す。昔は好き勝手に「なにもしたくない休暇」を突然入れていたというのに、今や月に一回も休まないことが増えている。休んだほうがいいし、このままだと有給が溜まっていき消滅してしまう。どうしたものか。

同僚と話していくうちに「チャットのログや会社のお仕事は川みたいなもので、川が流れていくのに構ってもしょうがない。子供とか犬が溺れていたら救うべきだけども、なんもないなら流れるに任せる。全部掬わなくてもいい」という言語化がなされた。

社会は川である。われわれは川に浮かぶ小舟である。

流れる川は(ある程度)選べます

🍟🍟🍟

『グレート・ギャッツビー』を読んだ

北米文学の小説。禁酒法くらいの時代の東海岸が舞台。

過去の関係を取り戻そうとするギャッツビーが二つの不倫関係に巻きこまれて破滅する物語。起きている出来事はドロドロ人間関係の悲劇なのに語り口、人物描写がさらりとしていて読みやすかった。簡潔なのに人物には重さがあり印象に残る。

4/25(木)

Y1000のおかげなのかよく眠りスッと起きられた。なのにお腹が壊れたり猛烈な眠気にやられたりと自律神経が暴れる日でもあった。

✒️✒️✒️

料理のSN比

家に移動して仕事をしていたら妻氏が何かしらのお仕事イベントで打ち上がってしまった。外へ食べに行っても良かったが料理実験用パスタを作って満足する。先日バターと野菜、肉だけでパスタを作ったらえらいおいしくできた。ではバター、チーズ、オリーブオイルで作ったらどうなるか。おいしいがおいしくなかった。

不思議なのだが、食べものはおいしいものを入れまくったらいいのではないらしい。「旨味の暴力」みたいな作り方をすると、味が飽和するのか逆によくわからなくなる。

そういえば稲田俊介の『食いしん坊のお悩み相談』でも

「食べやすい/食べづらい」「クセがない/クセがある」「旨味/マズ味」、そういうコントラストのバランスがおいしさの大事な要素ではないかと僕はずっと思っていて、それをsmooth/roughという統一概念で説明できないかとずっと思いつつ、まだなかなかうまく言語化できていません。
p.75

とあった。

ブログにも同様の記事がある。

inadashunsuke.blog.fc2.com

またここにも「要はバランス」が。

4/26(金)

おりゃーっと仕事をして帰ろうとしたらアラートが鳴った。われわれサーバー開発者は24時間365日動くものを作っている。アラートが鳴ったら即座に臨戦体制だ。勤務時間中でよかった。

そんなにやばい事象ではなくて設定変更で解決。こうしてGWに突入した。

🍍🍍🍍

宝石の国』を読み終わった

仏教のお話だった。「作者は人間嫌いすぎでは?」みたいな感想がよく見られるのだが、仏教の教えが「すべては無です」「無に還りましょう」なので、こういうお話になるのは仕方ないと思う。筋の通った良い作品だった。

*1:音楽ではなく情報の強弱という抽象概念

*2:内部構造を知ってると便利ではあるし壊れたらそこを調べる

*3:個人的には『論理哲学論考を読む』を読んだのもよい経験だった

週報 2024/04/21 誤配がインターネットの醍醐味

4/13(土)

鉢は勝手に増えていく

百万遍へ遊びにいった。カフェコレクションで鰯コンビーフライスを食べ、出町柳駅前のガーデン青山で苗を買う。あの辺に住んでた頃には行ったことのない園芸店だったが、充実したよいお店だった。もっと早く訪れたらよかった。京都でも有数の園芸店ではなかろうか。

ローズマリー、バジル、唐辛子

今年の園芸デッキがほぼ決まった。

  • オリーブ(ミッション)
  • オリーブ(ネバディロブランコ)
  • トマト
  • 唐辛子(あんまり辛くないやつ)
  • バジル
  • ローズマリー

あともう一つくらい足すかもしれない。

園芸趣味をしてるとなぜか年々鉢が増えていく。「そろそろオリーブの鉢増しをしないと……」「この植物は5号で十分だから別の鉢を買おう」とやってるうちに鉢が増え「鉢があるなら何か植えようかな」となって植物が植わっていく。このループを繰りかえした結果、鉢だらけの庭ができるのだ。

鉢も苗も土も安くて数百円で買えてしまうし、維持に必要なのは少しの肥料と水、太陽光だけ。ほとんど無料みたいな趣味だ。なんだこの沼。楽しいなあ。

🗼🗼🗼

ふぁぼるとたけのこが生える

近所に住んでいるフォロワーからたけのこをもらった。

ふわふわな毛が生えててかわいい

タイムラインにたくさんのたけのこが映った写真が流れてきて、何も考えずにふぁぼったらLINEが飛んできて、一時間後にはたけのことめんだこステッカーを交換していた。


たけのこの処理はしたことないが、現代では米糠なしで水から茹でたらよいらしい。

21世紀式「たけのこのアク抜き」はこうやります。 - YouTube

とにかく大量の水で煮るのだと理解し、長年眠っていた寸胴鍋を出してきた。これに8Lの水を入れ30分煮て取り出すだけ。

香りがよい

ややえぐみが残るがちゃんとたけのこの水煮ができた。うまーい。

4/14(日)

妻氏が実家へ行っている間、私は家にこもって包丁をシャカシャカやっていた。三時間ほど。

なんでそんなに研ぎ続けられるのか自分でもわからないのだが、昔から単純作業が好きな性格である。高校で冊子を作る作業、紙を順番にとっていってステープラーで綴じるやつなんか大好きだった。

 

あと一週間くらいで研ぎ趣味には飽きるとは思うのだけど、包丁が切れると料理が楽しくなるので実利がいっぱい。これだけよく調べて練習したら一ヶ月研ぎをサボってもコツは忘れないだろう。

🎋🎋🎋

誤配がインターネットの醍醐味

MastodonなどのFediverseには誤配が少ない弱点がある。誤配とは「リツイート、リポストで思ってもみない人のところへ届くこと」である*1。誤配は炎上? たしかに炎上も誤配の一種だが、誤配にはプラスの価値が伴うこともある。例えば「浜辺で変な魚を見つけ、SNSにポストしたら専門家が解説してくれた」みたいな出来事も誤配である*2。こういう出来事は「へーそうなんだ。珍しいこともあるもんだね」となって、誰にとっても良いコンテンツとなる。

X(Twitter)だと誤配は起きやすいのだが、MastodonをはじめとするFediverseでの誤配はほとんど見たことないし起きにくいと思う。インスタンスごとに閉じがちとか、リツイートばかりする人が少ない、といった要因がありそう。

じゃあなんでTwitterでは誤配が起きやすいのか。リツイートばっかりしてる人*3が多いのもあるが、そもそもアカウントの多様さが桁違いだ。社会まるごと入ってるのではないか、と錯覚してしまうほどいろいろな人がいる。それこそが炎上の原因ではあるが、同じ流通経路と多様性によって「良い誤配」も起きるのである。

エエヤンケ〜

4/15(月)

業務で用があり東京へ。
新幹線でぷおーんと移動し、品川に降り立った。某所のビルへ移動し会議をしまくる。
お昼は東京の同僚とランチ。味噌汁が黒くて関東に来たことを実感する。

🌳🌳🌳

対面の会議はやりやすい。人間が物理的に存在していると相づちのタイミングとか誰がどっちを向いて喋ってるか、とか情報量が増えて聞きやすかった。Zoomだとこれらの情報が全部失われる。

人類にはまだまだリモートは早すぎる。バーチャル会議室があって、顔の方向とかをトラッキングして初めてスタートラインに立てるのではないか。

🌳🌳🌳

「ビジネスホテルにはトコジラミがいるかもしれない。私はトコジラミを持って帰ってしまうのだどうしよう」みたいなことを言ってたら同僚に笑われた。
いるかもしれんやん。おらんかったけれども。

4/16(火)

東京の生活は椅子取りゲーム

東京二日目。今日も会議祭り。会議があると水を飲まなくなるのでミイラになる。会議だらけのエライ人は水が飲めなくて結石ができるのだろうか。それともちゃんと飲んでいて、鋼鉄製の膀胱をお持ちなのか?

 

またランチに連れていってもらった。東京の人はランチ引率をするときに「この人数がすぐに座れる店は……」みたいなことを考えるらしい。

東京は椅子取りゲームの都市なのだ。カフェといい電車といい、とにかく椅子を確保するのが大変らしい。

📻📻📻

パワー系と気配り系の協力

技術職には「パワーがすごいけど視野がやや狭くて人間性が何か欠けてるタイプ」と「気配りができるけどパワーはふつうで視野が広いタイプ」がいて補い合ってるのに気づいた。前者をパワー系、後者を気配り系と呼ぼう。

気配り系からするとパワー系の人たちはちょっと厄介なのだけども*4、いると仕事が進むので助かる。でもコミュニケーションをすると何か引っかかるものがある。気配り系はパワー系と自分を比較してクヨクヨするところがあり、いつも人間の態度で気を揉んでいるのでMPを使って疲れてしまう。

どっちかだけだとダメで、パワー系ばかりいるとパワー系同士の喧嘩、勢いで作られた謎の仕組み、などなど問題が起きる。かといって気配り系はくよくよ考える時間が多くて仕事の進みは遅い。であるから、パワー系も気配り系もバランスよく必要で、双方が譲歩しつつチームで作るのがいいのだと思う。

たまに気配り系でも熟練の強者がいて、パワー系の誘導や暴走抑制が巧かったりする。これが気配り系の目指すところではないか。

4/17(水)

出張翌日でも働いていたが疲れてやる気が出るはずもなし。
定時ダッシュしてお布団と融合していた。

🍑🍑🍑

ちゃんと受信しました信号が会話をスムーズにする

会話のテクニックに

  • 的確な質問
  • ちゃんと受信しました態度

がある。
質問はオープンクエスチョンとか、そもそも人に興味持ってますかレベルの話。これができるだけで雑談はけっこう盛りあがるのだが、人間に興味があるのに貝みたいに心を閉ざして何も情報を出してくれない人もいて実際には難しい。

本題は「ちゃんと受信しました態度」のほうで、こちらはもっとむずい。傾聴に近い技術だが、傾聴は「ねちょっ」とした態度なのがちょっと違う。共感というキーワードで語られることからも傾聴には人間の距離が近い感じがする。無理をして人の話を聞いているわざとらしさもあるので、傾聴は傾聴してることがバレやすい。

「受信しました」という表現で言いたいのはもっとドライな関係である。「フーン」という態度がベースにあって、お互いに独立した自由人として対等であり「あなたの言っていることはちゃんと受信しましたよ」とだけ示す。

 

妻氏は「受信しました」信号を出すのがうまい。うますぎて会社では同僚の秘密情報・愚痴などが集まってきてむしろ困っているそうだ。語ってくる同僚は「なんか喋っちゃうんだよね」と言うらしい。

さすがにここまでやる必要はないし、抑制したほうがいいが、それだけ「受信しました」態度は強力なのだ。

4/18(木)

今週は不幸にも

月火: 私の出張(宿泊)
水木: 妻氏の出張(日帰り)

と、それぞれの出張が重なってしまった。どちらも開発職なので出張するのは年に数回あるかどうかなのだが偶然重なってしまった。

 

めったにない出来事で家はめちゃくちゃになった。疲れ果てて家事がすべて止まる。

「無理はしないほうがいい」と諦め、夜は中華料理店で豪遊した。

🍧🍧🍧

同僚がよく「ログをぺろぺろする」と言う。ログとはサーバーのログのことで、サーバーの挙動がおかしくなったとき、何か分析用のデータを出力するときなどに「ぺろぺろ」処理する。この「ぺろぺろ」は「ログをなめる」という用語から派生している。「なめる」はログファイルの最初から最後まですべて処理する、という意味である。それが同僚の言語エンジンを通って「ぺろぺろ」に変わったのだろう。

4/19(金)

定時ダッシュで退勤して美容院へ。「今日は絶対に安静にするぞ」というつもりで定時直後に外せない用事を入れたのだ。予約があると万難を排して定時に出れるようにする。けっこういい作戦かも。

 

馴染みの美容師さんと雑談。美容師さんは走るタイプの人類なので、どうやってランニングをしているか、いろいろ聞いてみた。

「定期的に走ってると調子が良くなる」
「毎日走るのでも間を開けすぎるのでもダメで、二日か三日あけて走るのがよい」
「どんなに走り慣れていても最初の十分はしんどい」
「靴は初心者の定番のやつ」

とのこと。
たいへん参考になった。とりあえず初心者向けの定番の靴を買うことにした。

 

お喋りしてるうちにランニングコースも決まった。

「任意のパン屋まで走ってパンを買って帰ってくるコース」

京都はパン屋がそこかしこに生えているのである。パンを求めて走ることにした。

✏️✏️✏️

台所の排水が悪く、臭いもしてて困っていた。

我が家は排水口は毎日メンテしている。

既設のものは全部とって網をカポッとやり毎日交換する

こういうメッシュの網をセットしていて、排水口の蓋をせずに毎日網を交換している。ゴミが溜まって流れが悪くなるはずがないのだ。

 

となると、原因は管のほう。いろいろ調べてみたところ下記の方法に行きついた。

togetter.com

管に詰まっているのは油。油と細かい汚れがくっついたものが管の内部にびっしりついていて流れが悪くなっているのである。ブログや動画でそういうものが見られるが、グロ画像なので注意してください。

油はお湯で溶けて流れやすくなり、油は界面活性剤つまり洗剤で除去される。だからぬるま湯と洗剤をザバザバ流していけば油による詰まりは解消されるのだ。

 

実際良くなった。ある台所機材メーカーのホームページには「週に一回はぬるま湯と洗剤を流すべし」と書かれていた。自炊しまくり家庭ではそれくらいしたほうが良さそうである。

*1:東浩紀の哲学用語でもある

*2:こういうのはtogetterにまとめられがち。暇になったときはtogetterの記事を漁ると無害な誤配コンテンツが摂取できる。もちろん炎上をまとめた誤配もあるので、自分でスクリーニングすること。

*3:私にとって、つぶやきがないのはおもしろくないアカウントだが、誤配をするために活躍している

*4:無神経です

日記のコツ(2024年版)

対象者

いっぱい書く人。
一日に千文字くらいならこの方法は不要だと思う。私は四千文字程度の日記を毎日書くタイプで、楽に書くのにいろいろ工夫が必要だった。

コツ

  1. スマホのメモ帳に「、」区切りのメモ書きをする(常時)
  2. 昼食後とかお昼くらいの時間にちゃんと書く
  3. 夕食後、あるいは寝る前にちゃんと書く

メモ書きは備忘録で

「8時起き、朝ごはんおにぎり、だるいねむい、自転車通勤、眠くてスピードがでない」

みたいな感じ。メモ書きは一日中書く。

雑でも大丈夫で、夜寝ない限りは思いだせるのでこれでいい。でも寝ると意味がわからなくなるから、記憶があるうちに文章にする。日記は思考を整理するツールなので文章にしないならやる意味がない。

 

実際に日記を書いていると、まともな文章にするのが大変。私は相当書いてきてるのだが、それでも「この体調だと書けないな」と思う日も多かった。

何が大変なのかというと、思い出すこと。備忘録は残っているのにそのときの気分を再現するのに集中力がいるのだ。夜寝る前に文章化するのはとってもたいへん。

そこで2, 3のようにタイミングを分散させて記憶が新鮮なうちに文章化する。タイミングはその人の生活の隙間であればどこでもいい。6時間間隔くらいが目安ではないか。

夜に残りを書くときは、昼に書いた文章の手直しから始める。疲れていて「文章モードじゃないよ〜」となっていても、すでに書かれたものをいじっていたら勝手に頭が文章モードになる。だから昼に少し書いておくのが大事。

キーボード

昼に職場とかカフェとかで日記を書くにはキーボードがあったほうがいい。さいきんのスマホBluetoothでキーボードがつながるはず。画面が小さくてもキーボードがあれば文章はすぐに書ける。

キーボード選びで大事なのは軽さ。200gくらいがいい。AppleのMagic Keyboardがおすすめだが高い。それにちょっと重い。

さらに軽いのを調べたらAnkerのキーボードに行きついた。おもちゃみたいな質感と軽さだが、文章を書くのには問題ない。タイプ感にこだわる人にとっては使えないと思うので、軽いのを自作してください。

Anker Ultra-Slim Bluetooth Keyboard|ワイヤレスキーボードの製品情報 – Anker Japan 公式オンラインストア

週報 2024/04/14 コミュニティには食べもの沸きドコロが必要

4/6(土)

すべては原宿になる

ロードバイク専門店に用があって四条河原町へ。久しぶりに訪れたら相変わらず観光客だらけだった。10年くらい前から徐々に観光地化が加速していたけれども、今や河原町は渋谷、原宿みたいな雰囲気になっている。広告こそないが、その辺で売っている食べものがテンプレ観光地のもの。もうここは地元民の繁華街ではなくなったらしい。

 

自転車整備をしてもらっている間に丸善で暇を潰す。ここは平和。観光客は京都BALの地下に巨大本屋があることなど知らないだろう。旅先で本を買う人は多くあるまい。

千葉雅也の新刊、林・ヨシタケシンスケの新刊、ミャクミャク様グッズを買った。そういえばヨシタケシンスケ氏と林さんの対談記事良かったですね。

dailyportalz.jp

🎩🎩🎩

小籠包は十個以上

夜は中華料理店で小籠包を十二個注文した。

稲田俊介はエッセイの『おいしいものでできている』で「小籠包は十個以上」注文するものだと主張している。理由は「最初の三個か四個を夢中で食べ、八個目くらいで「このまま無限に食べられるのでは?」と思い、十個を超えたあたりでうんざりしてくる。でも、そのうんざり感がまたおいしさを生むから」らしい。

そういう文脈で、本当に小籠包は十個以上なのか確かめにきたのだ。

しかし日和ってしまった。「さすがに二人で二十四個注文するのはやばない?」となってとりあえず十二個にしてしまった。

結論からいうと足りなかった。六個程度ではまだ五合目だ。まだうんざりしてない。

それに黒酢もある。先に汁を吸って黒酢と針生姜でいただくか、破らずに丸ごと黒酢をつけるか、などなど味変の可能性は開かれている。

これが十二個

小籠包は十個以上。それでまちがいない。

もしかすると店員さんがびっくりするかもしれないけれども、そこはおいしさのために我を通すところである。

4/7(日)

理想的二分木剪定

オリーブの剪定をした。

散髪後

オリーブは昨年買った。三年か四年の樹とまだ一年も経ってなさそうな受粉用の樹がある。どちらも元気に越冬して、春になり芽が動き始めていた。

実はまだ買ってから切ってなかった。オリーブは通年剪定をして樹形を整えるものらしい、のだがどこを切ったらいいかわからなくて放置してたのだ。でももう春。これからニョキニョキ伸びてくるのでもう手をいれないといけない。切ることにした。

 

動画や文献によるとオリーブはバシバシ切ったらよいらしい。わりと無計画に枝を伸ばしてくれるのがオリーブだが、湿気には弱いので風通しがよくなるよう、枝をスカスカにせねばならないそうだ。

お仕事(DBのチューニング)で仲良くしてる二分木くん

イメージとしては二分木だと思った。二分木とは計算機科学を勉強するものが必ず習うデータ構造で、上の画像のような形をしている。一つの枝から二つの枝が出ていて、その構造が無限に繰りかえされる。なるほどフラクタルは自然界の基本だ。二分木で効率的に空間を埋め尽くすように樹形を作ったら、最小の葉っぱで最大の日光浴ができるのではあるまいか。しらんけど。

実際には一本の枝から三本の枝が生えてくるし、そもそも樹は三次元の物体なので二分木ぽくならない。そこは枝と日光浴の効率性を考えてその場その場で考えるしかなかった。でもそれが楽しい。美しくなるように切っていたら正解で、美しい構造には効率性が備わっているのである。これが盆栽なのか、と理解した。

春は芽が動いておもしろい

🥕🥕🥕

落とした葉っぱはお茶に加工する。茹でて乾かすだけ。

籠が欲しくなりますね

後日、飲んでみたらすごい味がした。えぐい。まっずい。
焙煎が必要だったらしい。ほうじオリーブ茶。

 

🥕🥕🥕

家中に掃除布をばらまく

壁際や家具の隙間に埃や髪の毛が落ちていることがある。家の端っことか目につきにくいところ。ふと気がついたら「ここ掃除するの忘れてたな」と思って残念がるのだが、いざ掃除用具を持つとそのまま忘れっぱなしになることが多い。

それなら気づいたその場で掃除するのが良い。家中にマイクロファイバークロスをばらまくことにした。

目についたその場で近場にある掃除布を使ってゴミとか髪の毛をひっつけること。土日になったら布は洗う。また家の四隅にばらまく。こうすると家はピカピカに保たれるだろう。掃除用具をとりにいくようではダメなのだ。

4/8(月)

生きている味噌はこわい

我が家ではビニル袋入りの味噌を買う。弁当の味噌汁、夜の味噌汁と消費量が多いので750gのプラ容器では足りず、3kgをまとめ買いしてタッパーに詰め替えて使っている。

ビニル袋から開封し、詰め替えたのが昨日。そのまま常温でコンロの下に置いといたらタッパーの蓋が浮きはじめた。詰め替えで味噌に空気が吹き込まれ、菌たちが動きはじめたらしい。味噌は生きているのだ。

さかんにガスやら液体を出して怖いので冷蔵庫に封印した。ちょっと悪いことをした気分になった。

🌰🌰🌰

人は見た目で判断されている

社会規範は「見た目で人を判断してはいけない」と言う。それが大人だとされている。

ところが実際には、みんな見た目で性格を推し量っている。映画や漫画、アニメのキャラクターは性格を反映する見た目にされ、読者もそれを望んでいる。現実のコミュニケーションでも第一印象が大事だと言われ、初見の印象で人を判断している。

「見た目で人を判断してはいけない」は間違いである。正しいのは「見た目で人を判断しても、それを本人に言ってはならない。態度に出してはならない。差別してはならない」である*1。規制されているのは具体的な行為であって内心ではない。

4/9(火)

ピーマン玉ねぎだけスパ

『ミニマル料理』に「だけスパ」というレシピがある。バターで野菜を炒め、パスタと和えただけのもの。

これを改造して自分の「だけスパ」を作ってみた。すこぶるうまい。

マスタードが決め手らしい

材料: 豚肉をはさみで切ったやつ、ピーマン細切り、玉ねぎ2cm角、ニンニク薄切り、オリーブオイル、マスタード、塩、チーズ(オプション)

量は適当だが、あんまり多いとバランスが崩れる。パスタは具と麺が競合する変な料理なのだ。

作り方:

  1. 塩水を1Lくらい沸かす
  2. フライパンにオリーブオイル、肉、ピーマン、玉ねぎ、ニンニクを入れて弱火から中火で放置、たまにひっくり返す
  3. 麺を茹でる
  4. マスタードとチーズを入れる
  5. 麺と少しの茹で汁を入れてよく混ぜて完成

ほんとにおいしかったのだが、写真からは何も伝わってこない。映えるような作り方してないので……。

それにしても視覚で料理のおいしさを伝えるのって無理がある。無理なのにインターネットには映像、テキストしか流せないから料理人も映えを意識した盛りつけをやるのだろう。真にうまい料理は見た目とかどうでもよかったりする。

🔧🔧🔧

使いこんだ包丁は薄くしないといけない

包丁の研ぎを研究している。本日見つけたのは「刃を薄くしないと「ヌケ」が悪くなる」という知識。「薄いほうがよく切れるでしょ?」という単純な話だが、包丁をふつうに研いでいると気づきにくい。先日の週報にまとめた方法では刃が薄くならない。

購入時より分厚くなったところに小刃をつけてもヌケが悪い!

なぜなら包丁は峰から刃にかけて薄くなる形をしているから。刃先の切れ味が良くても刃が分厚ければたくさん抵抗を受けるのである。

そのため、包丁は使いこんでいくうちに「厚みぬき」「肉ぬき」という研ぎが必要になる。角度をつけずに砥石にベッタリと押しつけて研ぐだけ。

詳しくはTOGITOGIというYoutubeチャンネルをどうぞ。

 

試しに肉抜きをやって料理に使ってみたら野菜がおいしくなってしまった。「ニンジンのエッジが立っていてうまい」という未知の領域に到達。

4/10(水)

動画も簡潔なほど説明が上手

研ぎ動画界隈ではJIKKOという包丁屋のチャンネルが強いのだが、このチャンネルはパフォーマンスが上手なだけで説明は下手である。

実用上はTOGITOGIというチャンネルがいちばん参考になったのだが、このチャンネルの主は、その辺の空き地?で主婦たちの包丁を研いでいるおっさんである。もっとも現場に近い研ぎをしている人だ。この人は説明が簡潔で的確。

違いは動画の長さにも出てくる。説明が上手なほうが動画が短くなるのだ。だいたい10分くらいにおさまっている。自分で何がポイントなのかわかっているからなのか、サービス精神があるからなのかはわからないが、このおっさんには、情報を簡潔にまとめて伝える能力があった。

よく理解しているほど表現が短くなる。テキストでもよくある現象だ。校長先生や会社のエライ人の長い話は本人もよくわかっていないことを言っているのだろう。

🐙🐙🐙

「です・ます」の力

これまで業務でも「だ・である」文体を使ってきたのだが、このたび改めることにした。ぜんぶ「です・ます」に統一する。

文体というものは不思議で

  • 「だ・である」: 硬い、一人でなんか言ってる、むずかしそう
  • 「です・ます」: 柔らかい、態度が開かれてる、やさしそう

という印象を与える。

日記や週報は「一人でなんか言ってる」ものだし、私のこだわりとして、ある程度の格をもった文体にしたい。ので、ここはこのままでよい。一方でお仕事のほうは同僚に情報を伝え、できれば反応を引きだしたいものなのだから開いておいたほうがよろしい。それに文体を変えると書き手の意識も変わって、文体にふさわしい内容を書くようになる。業務では「です・ます」に統一するのが良いだろう。そういえばエライ人はいつも「です・ます」を使っていたな。

悩ましいのが「です・ます」でバカっぽくなる種類の文章があること。特に感想がそれで、個人的な心情の吐露や思ったことの開示を「です・ます」でやるとふぬけた感じが出る。そもそも日本の文化として「です・ます」を使って感想を公衆送信するようにはできていないのかもしれない。あくまでお仕事モードとして割り切って使うのが「です・ます」でもある。

4/11(木)

コミュニティには食べもの沸きドコロが必要

コロナ禍で人々がコミュ障になって以降、どのコミュニティ(広義)でも「いかに人を交流させるか」が課題になっている。

先日「オフィスで無料のサンドイッチを配ったら人が集まってきて勝手に雑談とかしていた」という現象を目にした。

なるほど食べものや飲みものが沸くと人が集まるのだ。古くは井戸やお祭り、動物界ではオアシスにその性質がある。

一定額以上のまかないは所得と見做されるタックスアンサーがあったはずなので調整は大変そうだが、食べもの飲みものを配るのは有効そうに思う。

No.2594 食事を支給したとき|国税庁

ジュース、たこやき、カレー、ビール、おでんなどが沸く楽園

🐢🐢🐢

自家製冷凍パンはポップアップトースターにささらない

我が家のパンは自家製である。二週間に一度、機械で捏ねてオーブンで焼き、切って冷凍している。

三次元パン

冷凍パンはこんな歪な形になる。冷えて固まるときに平面に置かれていないとパンがねじ曲がったまんまになるのだ。

先日ポップアップトースターを買うかどうか?という議論があった。ちょうど台所を整理して広くしたので置き場所はある。ポップアップトースターのデザインもおもしろいので買う機運が高まったのだが、よくよく考えてみたらパンがささらないのに気づいたのだ。冷凍庫で固めるときにうまく固定したら平面パンができるかもしれないが、我々は二週間分のパンを冷凍庫に入れるのでどうやっても三次元パンができちゃう。

というわけで、ポップアップトースターは我が家には合わないことがわかった。自家製でもできたて切り立てか、工業的に作られた由緒正しいパンだけがポップアップトースターを使う権利を持っているのである。

4/12(金)

失踪日記』を読んだ

何かと紹介される漫画で気になっていたが「そもそも(妻氏の蔵書として)家にある気がする。でも見つからない」という本だった。

今日、頭があじゃぽよになって家の整頓をしまくっていた。妻氏が散らかした机の周り、本棚を整理していたら*2ついに見つけることができた。

 

感想。

読みやすくてまあまあおもしろかった。147ページのアル中幻覚扉絵がいちばん良い。

漫画は昔のコマ割りという感じ。文字が多くてコマが細かい。むしろ好ましい。漫画は文字だらけだとうれしい。

 

すぐに読み終わった。いい漫画だと思う。

🍥🍥🍥

エライ人は質問箱をやるべき説

何らかの組織のエライ人、政治家でも何でもいいのだけど、今の世の中では「説明できる人が権力者になる」↔️「権力者は説明できなければならない」という「権力者の資格」があるので、権力者は質問箱を置いて説得的な説明を述べていけば*3支持されるのではないかと思った。

*1:第一印象を得たあとに印象を更新していける柔軟性まであるとよい

*2:勝手に整理していいことになっている

*3:上手な説明で説得できなければ支持されない

ソフトウェアエンジニア業界(に限らず昨今の労働者の雰囲気)には「転職が前提」とか「転職でキャリアを云々」みたいな風潮があるのだが、転職は仕方なくやるものではないのだろうか。職場の環境には不満がなくて、仕事内容に飽きたというだけで転職するのはかなりニュートラルな事情ではあるけれども、それも「仕方なく」だと思う。

転職せずに、苦しまず、飽きずに、生活にゆとりを持って仕事を続けられるならそれがいちばんなのでは?

週報 2024/4/7 おひるねして18時に目覚めるときの絶望感

3/30(土)

大変な週が終わって開放感〜という雰囲気。外は陽気で気分がいい。さいきん梅雨だったところようやく晴れてくれた。雨はもう嫌じゃ。

🕳🕳🕳

ミニマルポテサラは芋食ってる感がしてうまい

頭はまだ疲れているが身体は元気そうなのでいっぱい自炊をした。凝縮ポモドーロとポテサラとインドカレー。どれもおいしくできた。

ポテサラはマヨネーズなしでもうまい!

ポテサラは芋を茹でて皮を剥きキュウリと玉ねぎ、塩とオリーブオイルと酢を混ぜただけのもの。惣菜や飲食店の味と違って、砂糖もマヨネーズも入っておらず上品で素朴な味になるのでおすすめだ。サラダの本質は油と塩と酸味である。

3/31(日)

だらだらスペースは部屋の中央に

初夏の陽気にあてられて模様替えをした。
そろそろ引っ越して一年。だいぶ家に慣れてきてどこを広くとったら使いやすい間取りなのかがわかってきた。といってもセオリー通り真ん中を広く、端っこに棚とかあまり使わない家具、という原則に従う。

我が家にはユニット畳があってソファの前というよくわからん場所に置いていたのだが、これを部屋の中央に持ってきた。畳の上にはくじらのぬいぐるみとクッションだけ置いとく。風呂上がり、眠いときに転がれるようにスペースは空けておくのだ。
引っ越しをするとき畳部屋にするかいつも迷っていたのだが、移動できて気軽に寝転べるという点ではユニット畳がちょうどいいなと思った。

おひるねして18時に目覚めるときの絶望感(日曜日)

🔭🔭🔭

両刃包丁を研ぐコツ

両刃包丁の研ぎを研究した。
いろいろ動画を見て、自分でメカニズムを考えて、ようやくスパスパに切れる手順が定まった。

  • 包丁は砥石に対して45度に構える
  • 押す方向にしか研がない(引くときに砥石に当てない)
  • 裏を研ぐときは左手を使う
  • 荒砥石からかける

というポイントがあった*1。どれも重要なのだが、共通するのは「刃の角度が一定になるように研ぐ」という理念。どのポイントも角度を一定にするための工夫なのだ。

「包丁は砥石に対して45度に構える」というのは角度のブレを減らすための工夫。下図のように、砥石と直角に置いて研いでいると研ぎの運動の影響で角度がブレやすくなってしまう。だから縦にするのがいいのだが、縦すぎると持ちにくいので現実的には45度くらいになる。

角度が前後運動の影響を受けてしまう

「押す方向にしか研がない」というのは一般人向けの工夫であって、プロはそうしてない。よく「押すときだけ力を入れるように」と言われるのだが、素人は引くときにも力が入っていて変な角度で刃を当ててしまっている。どうせ引くときの研ぎで刃はつかないのだから一方向に限定してしまったほうが仕上がりがよい。また、そもそもプロの研ぎ師も荒い番手では回転砥石を使っている。回転する砥石に刃を当てるということは一方向に研いでいるということであり、それを再現する方法でもある。

「裏を研ぐときは左手を使う」はあまり聞いたことがないと思う。たまにYoutuberでもやってる人はいるが、右利きにとっては左手で研ぐということであり実際難しい。でもこうしないとうまく研げない場所がある。というのも、包丁の左側、裏と呼ばれる部分を右手で研ぐと、どうしても柄が砥石に当たってしまうから(下図右)。そのためふつうは「裏を研ぐときだけ包丁を横に構えましょう」という話になるのだが、よっぽど研鑽を積まない限り、横研ぎで角度を一定に保つのは難しい。だから柄が当たらずに45度のまま研げるよう左手を使うのだ。

慣れるまでは危ないのでゆっくり研ぐこと。砥石はちゃんと面直しをしておけば、ゆっくり軽い力でも刃がつくようにできている。

左手に持ち替えるときれいに裏が研げる

「荒砥石からかける」は長期的な刃のメンテナンスを見越した話。私は昔「頻繁に#3000や#5000で研いでも刃が維持されるのでは?」とか言ってたのだが、そんなことをするとどんどん刃の角度が鈍くなっていく可能性がある。刃は包丁の根元(平)から出していく、いわば鉛筆削りみたいなものなので、しっかり削れる砥石で一定の角度を維持していかないといけない。よっぽど頻繁に研ぐ場合は#1000スタートでもいいと思うのだが、何かと放置しちゃうものなので原則荒砥石からかけたらが早いと思う。

鉛筆削りが根元から削るのと同じ

包丁が切れると料理が楽しくなる。味も良くなるという研究もあるらしい。ようやくコツがわかって言語化できたので、気軽に研いでいきたい。

スパスパになりました*2

4/1(月)

きんきという深海魚が安かったので塩焼きにして食べた。いちばん好きな魚である。

きもいうまい

目がでかすぎてちょっと怖い。

🐪🐪🐪

砥石を買うのにやむを得ずAmazonを使ったら「配達中」だった商品が夜になって「配達を諦めたのでリトライします」というステータスに変わっていた。配達員のお兄さんが諦めちゃったらしい。特に急ぎはしないので困らなかったが、システムが勝手に客と約束したのに現実はダメなのがおもしろかった。

このようにAmazonの買い物体験は日々悪化し続けているので、これからも可能な限りヨドバシを使おうと誓ったのだった。

4/2(火)

起きる時間固定作戦

妻氏の会議が朝早いということで7時半に起きた。私は寝ててもよかったのだが釣られて。

すると妙に体調がよいのに気づく。1時に寝たので睡眠は足りてないはずなのだが、体調はやや良い。もしかして睡眠時間や寝る時間は二の次で、本質は起きる時間だったのだろうか?そういえばペットのスナネズミ、モルモットたちは太陽光がなくても決まった時間に行動し、餌を要求してくる。人にもそのような遺伝子があっても不思議ではない。というか時計遺伝子があったはず。また、睡眠科学でも「不眠症対策は起きる時間を固定せよ」という鉄則があった。7時半に起きると朝の支度も余裕があって優雅な気分になれる。がんばってみようと思った。

🤖🤖🤖

ネームの素づくり

妻氏の主催する同人漫画の「ネームの素」を作るようになった。実はもともとアイデア出しをしていたのだが、それがネームみたいなものまで描くように変わった。そろそろ原作担当なのかもしれない。

今回は妻氏が「△△で××が起きて○○になる話」という主題だけ決めていたので、それをもとに要所要所の展開とネタを考えた。日曜日から使っているAppleのホワイトボードアプリが便利で、iPadとPencilで絵だか図だかわかんないものを描くとコンテができた。

ネームではないがネームみたいな何か

妻氏に見せたらおもしろいと言っていたので大丈夫らしい。すぐに妻氏はネームを描き始めたので、そのうち漫画になるでしょう。

自分がお話を作れることを知って少し驚いた。私は意味不明なアイデアが天から降ってくるタイプなのだが、その能力が活かせるので話を考えるのは楽しい。とりあえずわけのわからない展開を思いつくがままに書き留め、それをあとから合理化したらお話になるのだ。いかなる意見に対しても論理的っぽいクソリプが投げられるように、どんな変な出来事にも理屈をつけることはできるのである*3

4/3(水)

会社で飲むなら中国茶

中国茶には

  • 4, 5回以上煎れても味がちゃんとある(多煎がきく)
  • 紅茶(CTC)、日本茶みたいに粉になってないから出涸らしを捨てやすい

という特徴があってオフィスの自席で飲むのにぴったりだった。お湯さえポットに汲んでおけば繰りかえし抽出して1Lくらい飲めるし、茶葉は摘まんでゴミ箱に捨てたらよい。緑茶だと摘まむのは不可能。指がべちょべちょになる。

紅茶も悪くはないのだけども、3回くらいで色がついただけのお湯になる。なんで中国茶が何度も飲めるのか知らないが、とにかく便利である。

🍦🍦🍦

物語は設定よりもキャラ

『グレート・ギャッツビー』という北米文学の作品を読んでいて「物語を予測不可能なほうへ転がすのは人間である」ことに気づいた。

人間は何をするかわからない。現実の他者もそうだ。突然踊り出すかもしれない。私はたまに家で「ピャー」とか言うし。そういう人間の「何をしでかすかわからない」性質が物語をおもしろくする。

見え透いた人間、常識的な人間を描いても物語としてはつまらんわけである。また、内面を描くのも良くない。「共感」のために常識的な人間の悩みを描いてもそれはおもしろい話にはならない。

設定もそんなに重要じゃない。例えばSFでは科学技術を用いた未来だか何かの世界が舞台になるが、大事なのはその世界で暮らす人たちの変な行動である。その世界では合理的だが、われわれの世界では奇異にみえる行動。黒くてツルツルした板を触る猫背の群衆とか。そうやって、SF世界のなかで人が問題に直面したり苦しんだりするわけで、どうしても人間は物語の中心にいるのである。

4/4(木)

酒を飲むときは仕事の時間から削るべきである

人と喋るのは好きなのだが飲み会が生活に合わなくてやや困っている。

問題は時間帯。だいたい18時とか19時からスタートして家に帰ってくるのは21時、22時とか。私の生活には日記と読書という大きなおじゃまぷよがいる。こいつが毎日2時間は持っていくので、少なくとも20時には帰宅していないと生活サイクルが壊れるのだ。むりに書かんでもいいのでは?それはそうだが、やめられないから日記中毒なのだ。

提案したいのが定時ダッシュして飲むこと。別に夕食どきに合わせなくてもいいのである。つまみと酒だけならいくらでも入るやろ。定時で飲み始めると労働時間は削られるが、今の御時世では生活の時間を削るほうが罪が重い。ドシドシ労働の時間を削っていきたい。何なら同僚との酒を飲んでいるときに給料が出てほしい。

🌪🌪🌪

鍼師に「ストレスがだいぶ減っている」と言われた。よかったよかった。ほんとに先日のリリースが巨大おじゃまぷよだったようだ。

怖いのはストレスがやばかった時期に自覚症状があまりなかったこと。緊張性頭痛があるにはあったのだが、それくらいで、あんまり深刻に捉えられるような症状がなかった。鍼師にとっては相当やばい状態だったらしいが、本人は割とふつうにしているのである。

私が鈍いだけなのかもしれないが、私より鈍そうな同僚もいっぱいいる。ストレスはじわじわ蝕んでくるので恐ろしいものなのだと理解した。明らかな締切りがあるときは生活をゆるゆるにすること。

4/5(金)

口頭で漢語を使わない

会話で漢語を使うと通じにくいことに気づいた。

例えば
「早起きして出てきた時間をロウドウに費やしている」
「会社のショクイがですね」
「あなたはスナネズミのことをチシツしてるはずだ」

どれも実際に言ってしまったもの。よく考えてみると、こういう言葉は脳内辞書で漢字変換しないと意味がとれないはずだ。ちゃんと通じるように平易な言葉を選びたい。漢字をひらくのと同じですね。

⛄️⛄️⛄️

サーバーにできることはそんなにない

私の専門分野はwebサービスのサーバー開発なのだが、サーバーシステムのもたらす機能は次の三つで説明できることに気づいた。

  • ためる
  • つなぐ
  • 正しくする

「ためる」機能はデータベースによるもの。写真をためるとGoogle Photosになるし、記事をためるとはてなブログになる。

「つなぐ」機能はインターネットそのものの性質。SNSとかマッチングアプリ、フリマアプリ、SwitchBotなど。マッチングの名のとおり、売り手と買い手をつなぐのに使われる。SwitchBotみたいなIoT系はわりと新しい形式で、デバイスをインターネットに繋げまくっておもろいことをしようという方策である。

つなぐ機能は、ためる機能と組み合わされることが多く、いったんデータベースにためておいた情報をもとに人と人をつなぐことが多い。

「正しくする」というのはちょっと説明が難しい。同業者向けに言うとAuth0みたいな認証とかAWSのS3のこと。特に分散システムの実装を想定している。この世には難易度が高くて超専門家にしか作れないものがあるので、お金を払ってでも超専門家にお任せしたいのである。

 

そうやって整理して考えてみると、インターネットサービス(技術)にできることはけっこう地味で限られている。もうインターネットも普及し始めてから30年経とうとしているし、ネタ切れして投資家サマに見捨てられてもしょうがないのかもしれない。これが現今のエーアイ大明神崇拝の背景でもある。

アファンタジアがモルモットを描いた結果

*1:かえりが出るまで研ぐ、研ぐ場所に指を置く、は自明な前提とする

*2:砥石は#400, #1000, #5000, #8000を使った

*3:法の解釈と似たような頭の使い方

週報 2024/04/01 ジャンボピーマンデカチャンプ

3/23(土)

疲れで寝たり寝たり……。夜に風呂に入った頃に回復した。

💻💻💻

モルモットを鎮圧しないでください

不思議の国のアリス』を読んだ。

あまりにも有名なお話なのに内容を知らなかった。「うさぎを追って穴に落ちる」くらいだと思ったらもっと複雑。たくさん動物が出てきておかしなことばかり起きる。
正直なところ、かなり狂った物語だと思う。そして狂ってることが掛け値なしに素晴らしい。予測ができないから次に何が起きるかわからない。これこそが物語である。

💻💻💻

なぜかモルモットが三回登場する。当時の英国でも有名な動物だったようだ。

外には小さなけものや鳥たちが大勢群がっていました。真ん中には気の毒な小さなトカゲのビルがいて、二ひきのモルモットに支えられ、びんから何かを飲ませてもらっているところでした。
p.57

「まったくつまらんのはおまえの話しぶりだ」と王様。
ここで一ぴきのモルモットがおもしろがって歓声をあげたので、たちどころに法廷の役人たちに鎮圧されてしまいました。(これはかなりむずかしい言葉なので、どのようになされたか説明しておきましょう。口のところをひもでぎゅっとしばれる大きな粗布のふくろを用意して、これにモルモットを頭からほうりこみ、その上にすわったのです。)
p.155

「知ってることがそれだけなら、さがってよい。」王様が続けられました。
「さがるといっても、これ以上、低くはなれません」と帽子屋。「床にひざをついておりますので。」
「では、尻もちでも、つけ。」
ここで、もう一ぴきのモルモットが歓声をあげて、鎮圧されました。
「さあ、これでモルモットはいなくなったわ。」アリスは思いました。「少しは先へ進むでしょう。」
p.156

全体的にモルモットの扱いがひどいのだが、そもそも『不思議の国のアリス』ではどの動物の扱いもひどいので大丈夫。モルモットがおもしろがって歓声をあげるのがかわいい。今ならモルカーのおかげでみんなわかるだろうけど、本当にPUIPUIというか、キュイキュイと鳴くのである。

3/24(日)

小麦食品は水を吸う

謎にテンションが低い一日だった。春にやられているのではないか。

 

あまりに気力がなくて夕食をマクドナルド🍔🍟にしてしまったのだが、マクドナルドの食べものは何を食べても飲みものが欲しくなる。たしかコーラを飲むように設計されているとかいないとか。飲まなければお腹のなかの芋と小麦が重くなって苦しむ。よく設計されたファストフードだ。

「小麦製品は水分含有量が少なくて消化が大変なのでは?」という仮説が出てきた。調べてみると、パスタ、パンなどは40%くらいが水分なのに対し、お米は65%である。ただし小麦食品の例外がうどん。うどんは茹であがりで外側が80%、中心部が50%だそうな。お米に近い特性になりそう。なるほどうどんが消化に良いとされるわけである。

今後は体調に応じて穀物の水分量を変えようと思う。明らかに今日のマクドは失敗で、お粥とかうどんを食べるべき体調だった。うどんは好きじゃないけど……。

🐌🐌🐌

ジャンボピーマンデカチャンプ

そろそろ春なので種まきをする。この夏のプランター布陣をどうするか考えたところ、唐辛子とトマトで迷ってトマトを植えることにした。なぜならインドカレーとパスタでよく使うから。実用重視である。

唐辛子も魅力的だったのだが、気になった品種がそれなりに辛いことがわかったのでやめた。

dailyportalz.jp

玉置さんが記事にしていてさすがである。

www.hotpepper.jp

内藤唐辛子というやつも気になったが、今は種が手に入りにくいようだ。

 

種ショップで目についたのがジャンボピーマン デカチャンプという品種。

味も大きさもチャンピオン級
ピーマン好きにはたまらない食感!
ソフトボール大のビッグサイズのピーマン。苦みが少なく、肉厚で甘みたっぷり。サラダにもおすすめです。
とのこと。

レビューもおもしろくて
ソフトボールくらいの大きさになる予定で頑張りたい」
と書かれていた。来年はこれにしよう。

木星サイズ

3/25(月)

ストレスは考え方を変えると減らせる

ストレス管理がうまくできてないので鍼のせんせーに「ストレスってもしかして強敵なんですか?」と聞いてみた。
「ストレスはバランスが大事で、なさすぎるとモチベーションが消滅してやばいし、ありすぎるともちろんダメ。ストレスの原因はたいていなくならないから、考えかたを変えたりすることでストレスをストレスじゃなくし中庸にしていくのがよい」
と、いいことを言われた。

「五年前の悩み言えますか?」問題とも似ている。慣れと工夫でどうでもよくなることがある。
強すぎるストレスでないならば、うまくいなす方法を編み出していくのが良いのだろうな。

🀄️🀄️🀄️

利害があると仲良くなれない

「雑談は利害関係のない人がいちばん」という真理に気づく。

どんな人間も良いところと悪いところがあって、全部良い人は存在しない。良いところは遠くからでも見えやすいが、細かい欠点は近づかないと見えにくい。ふつう隠すから。隠されていても、仕事とか取引とかの真面目な関わりでは、しばしば相手の欠点が見えてくる。一度欠点に気づいてしまうと、その人とはあまり楽しく喋れなくなる。雑談をしてても「でもこの人の仕事ぶりはあれだよな」とよぎってしまう。

おもしろいのは、利害関係がなくなってある種疎遠になるとまた楽しく喋れるタイプの人もいること。「仕事で関わらなければいい人なんだけどねえ」みたいなやつ。

もしかすると「部室」概念とか飲み友達みたいなのも利害関係がない限りにおいて成立するのかもしれない。パートナー関係は利害と雑談の両面でうまくいくのが理想なので、親密な関係は難しいことがわかる。

3/26(火)

お仕事のトラブル収拾をやってたら12時間くらい労働していた。

🌶️🌶️🌶️

リリースしたサーバーの挙動がおかしくてデバッグで活躍する。チームは大混乱に陥ったが、一人だけ冷静で素早く原因を突きとめることができた。

「私って鉄火場に強いタイプだったんだなあ」と得意に思ったが*1、よく考えるとそもそもバグが出ないのが一番である。ノーイベントグッドライフがいい。

3/27(水)

朝に走ったら身体が軽いことを知る。だから朝のランナーが多かったのか。朝は体内の水とか食べものが少ないわりに体力が回復してるので楽なのかもしれない。
それがわかったところで、早寝ができないから朝に走るのは不可能なのだけども。

🐸🐸🐸

経験は貴重な資源である

何年かやってた仕事に区切りがついたので今後の身の振り方について考え始めた。

これまでは「ややこしい問題を解く仕事が好きなのだ」という看板を掲げて仕事をしてきたが最近はそうでもない。たしかに難しい問題を解決するのは得意なのだけども、好きかというとそうでもない。今は書きもののほうが楽しい。

 

もともと功名心は乏しいし、年々感情的な執着も薄くなってきている。別に私が難しい問題を解かなくても、同僚に任せちゃえばそれでいいのではないか。プログラマが苦手な書きもので同僚たちをサポートし、勝手にものができてお給料がもらえるならそれがいちばんではないか、という考えすら出てきた。

私は運が良いようで、入社して以降おもしろい仕事ばかり任せられてきた。他の人にとっては喉から手が出るほどやりたかった仕事だと思う。これを独り占めし続けるのも悪いし、私にだけ経験が集積するのはリスクがある。

つまり経験は希少な資源なのだ。独り占めするより分け与えたほうがいい。文章や動画で、経験のエッセンスを具体的なエピソードを添えて説明する。そういう経験知を結晶化させるのに趣味でやってきた読み書き言語化修行が役に立つ気がする。

3/28(木)

社内イベントでの発表も終わって怒濤の三月が終わりつつある。この二週間はやばかった。今週は入社して以来最高の忙しさだったような気がする。

しっかり休んでいきたい。無論、次の締切りがまた来るのだけども。

🎰🎰🎰

家庭料理の味は金を出しても買えない

『おいしいものでできている』を読んだ。

イナダの食のこだわりを語ったエッセイ集。「ミニマル麻婆豆腐」の節でいいことが書かれていた。

でも自分が積極的にそれを使うことはまずありません。その理由を一言で説明するなら、「クックドゥなんか使っちゃったらお店みたいな味になっちゃう!」というところでしょうか。せっかく家で作る料理なのにありふれたお店の味になってしまうのは、それがたとえ文句なくおいしかったとしても勿体ない!と思ってしまうのです。
p.178

結論から言うと、僕はこの麻婆豆腐がとても気に入りました。「ミニマル麻婆豆腐」と勝手に名付け、今でもよく作って食べています。もちろん簡単ですぐにできる割においしいから、という理由もあります。でも単にそれだけのことではないのです。これはお店で食べる、あるいはクックドゥで作る確実においしい「四川麻婆豆腐」の代用ではありません。むしろそういう麻婆豆腐は日本中至るところでいつでも食べられます。でも「ミニマル麻婆豆腐」のシンプルな味わいというのは、実はお金を出しても買えないんです。作るしかない。今やこういうものこそが家庭料理ならではの価値のひとつなのかもしれませんね。
p.181

家庭料理の味は金を出しても買えないのである。何か工夫をしてそうなるというよりは、素朴に作ったらそうなるというだけなのだが。
他にもポテサラやコロッケの話で同じことが言われていた。「コロッケを自分で作ったら惣菜とまったく別のものができるでしょう?」と。
我が家は作ったことがある。それはおいしいものだった。かなり面倒なのだけど、たしかに自炊でしかできない味だった。そういう素朴な味の外食は駆逐されて、外の味は均一になっている。どうにかならんものだろうか。

3/29(金)

プランはお茶を飲む余裕から

今週はとみに疲れたのであえてゆっくり仕事をする。お茶を煎れて飲みながらぼーっとメモ帳を眺める。

 

だらだらしていると勝手に今後の仕事の計画が思い浮かぶ。どの仕事を優先したら最適になるか、あれは後回しでいいや、など。
これってPDCAのPなのだな。プラン、計画。しばしば現実の仕事ではPとCとAが抜け落ちるものだが、大事なのはPである。できない人がそれなりにいるし、できる人も忙しいと忘れてDDDDしてしまう。
Pをちゃんとやるのに必要なのは、お茶を飲む時間である。まったりお茶を飲んでリラックスしていると、自然にやりたいことが浮上してきてやる気も出るのである。余裕がなかったり、急かされるのがいちばんダメ。

🍵🍵🍵

説明せよ説明せよ納得させろ

妻氏の会社のとあるマネージャー配下の人が辞めまくっているらしい。今の人はどういうときに辞めるのか、どういう環境になら残るのか?を考えたところ「ちゃんと説明されることが大事」なのに気づいた。
私の世代も含め、納得できないことがあるとそれに耐えられず去ってしまう*2。説得されること、説明されることが大事な世の中になってきているのだ。やたらと言語化にまつわるビジネス書があるのもそれが背景。

 

やや問題に思うのが、説明する - 説明されるの関係に権力勾配があること。うまい説明をして納得させてくれる人は人気になり、権力を持つようになる。インターネットでもよく見られる構図ですね。

また、説明は論理的に正しくなくても良い、という性質がある。大事なのは聞き手の納得であり正しいことではない。もちろん聞き手にとっては正しいと思われるのだろうが、客観的にみるとおかしな説明で人が説得されちゃうことはよくある。

これらの観点を総合すると「リテラシーを身につけましょう」みたいなつまんない話になるのだが、騙されないためには実際に必要なのだからしょうがない。事実の認識と論理的正しさの検証はできたほうがよい。

 

私としては権力が欲しいわけではなくて*3、単に好奇心であらゆることを調べて理解するようにしている。結果として、よくわからん説明とか常識から自由でいられるのが便利だが、あくまで趣味として深い理解が得られるように本を読むのである。

*1:メトリクスが整備されてたおかげでもある

*2:説明の技術が低いとロジハラと言われるのですごい社会だと思う。洗脳は態度も含めてうまくやりましょう。

*3:権力が欲しかったらバズるタイトルにして記事をわけるべきである