しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2022/03/27 仮想ヒールを意識する、停電するかも事件

近況

春の体調は気まぐれなようで、調子の良い日と調子の悪い日が交互にやってくる。鍼の先生によると、体力が減り自律神経が乱れるのが春なのだと言う。

それなりに暖かくなってきたおかげで持病の冷え性は楽になっているが、まだ油断はならない。京都の四月は寒いのだ。過ごしやすい季節は春の終わりから初夏にかけてだと思う。夏は暑すぎるし秋は存在しない。冬は厳しい。なんでこんな場所に住んでいるのだろうか。気に入ってはいる。

仮想ヒール

先日、社交ダンス用の革靴を買った。踊るときには靴の滑りが大事なので、靴があるとといいよと言われていたのだ。この靴は初心者用で安価なものだが、ダンス用に設計されているだけあってたいへん踊りやすく、また歩きやすいものだった。あまり信じてもらえないかもしれないが、社交ダンスのステップはただ歩いているだけ、とも言えるのだ。極論すると、踊るのも歩くのも同じである。この靴を履いて歩いていると自然と背筋が伸びるのを感じた。なんでいつもの靴と違うのだろうと思って観察すると、それなりの高さのヒールが付いていることに気づいた。

ヒールが付いていると背筋が自然に伸びて猫背になりにくくなる。歩くときのフォームもきれいになる。そういえば数年前に猫背矯正の歩き方指導を受けていたとき、重心はつま先に近い位置にすべし、と言われたのを思い出した。ヒールがあると自然とつま先に近い重心が取れるのだ。

ヒールで歩く体験をしたことで、重心の感覚が変わってしまった。そしてヒールのない靴を履く時も重心を前寄りにし始めた。普段室内で履いているスリッパはぺったんこだし、外履きの靴も普通のスニーカーである。靴が平くてもヒールがあるかのように振る舞うと自然と背筋が伸びることがわかった。膝の裏の筋肉もよく伸び、股関節も少し柔らかくなった。猫背の後遺症が一つ解決できる気がした。

できれば普段もヒールのついた革靴を履きたいなと思うようになった。そう思って鍼の先生に相談すると、「ヒールはあるとよいけど、調子に乗って革靴で歩きまわると足を痛めるので変化は少しずつにしたほうがいい」と言われた。確かにこのところ足の筋肉が毎日痛い。おそらく筋肉のつき方が変わりつつある。新しい重心に慣れ、筋肉が変わってから買うのが良いだろうと思い直した。

労働

実装しまくりの週だった。golang 1.18に上げたのでgenericsも書いていくのだろう。しばらくは機能実装が詰まってるので遊べないが。

読書

読んだ

雑記

停電するかも事件

先週の停電するかも騒動を興味深く見守っていた。

そもそも何で首都圏が停電するかもという話になったのだろうか。直接の原因は地震で発電機が減ったことだが、中期的な問題は東京電力柏崎刈羽原発の管理が雑で、再稼働が困難なところにある。そして、そもそも論としては電気が(たくさん)貯められないことも問題である。

素朴に考えると電気はバッテリーに貯められるじゃないか、と思うのだが、大量の電気を貯めるのは未だ難しい問題なのだ。理由は割と単純な話で、電気とはエネルギーであり大量に貯めると危険で管理しづらいものになるのである。巨大なエネルギーは解放されると周囲を破壊する。エネルギーを一箇所に貯めるのは危険なのだ。テロの標的にもなるだろう。

それでもエネルギーは貯めたいので、いろいろな方法が発明されてきた。電気をそのまま貯めるのが蓄電池で、リチウムイオン電池が出てきてから我々の生活は一変した。しかし、リチウムイオン電池は爆発しやすい。スマートフォン程度のバッテリーでも爆発的に燃えるので、都市レベルのエネルギーを貯めるには向いていないだろう。化学エネルギーで貯めておくのが石油とかガソリンである。言うまでもなくこれも危険なので、専用の資格と専用の設備がある。火力発電は石油やガスを貯めておく形式である。あとは運動エネルギーがある。変わり種のフライホイール蓄電だ。SF作品でたまに出てくるもので、巨大質量の円盤を回転させることでエネルギーを貯める設備だ。まだアイデアと実験の段階で実用化されていない認識である。そして、位置エネルギーとして貯めるのが水力発電揚水発電である。これが今回の騒ぎで命綱になっていた。

つまり電力会社は電気を貯めておくのに最適なのは、リチウムイオン電池その他ではなくダムだと判断しているのだ。少なくとも今の技術ではまだそうらしい。確かにリチウムイオン電池で大量の電気を貯めようとするとコストが高くなるだろうし、電池を大量に並べると、データセンターのハードディスクみたいに毎日どこかの電池が壊れ、爆発するだろう。そう考えると確かにダムが最適なのだろうなと思った。ダムは枯れた技術だし溜められる位置エネルギーの量も相当なものである。エネルギー貯蔵だけでなく洪水対策や干魃対策にも使える。日本には山が多くて産業に使いづらい土地が多いので、ダムでエネルギーを貯めるのは土地に合っているのだろう。ただし、どこにでもダムを作れるわけではない。川がないといけない。もしかすると主要な川の上流にはもうほとんどダムができているのだろうか。となると、これ以上のエネルギーの貯蔵場所を簡単には増やせなくて、やはり我々の電気に依存した生活は先行きが暗いものになるだろう。

電気はどんどん大事になっている。私の仕事の全ては電気がないと成り立たない。ソフトウェアエンジニアは電気がないと無力である。また、すべてのインターネットサービスは電気のうえに成り立っている。社会の方でもオール電化の住宅だとか電気自動車がもてはやされている。しかし、これらの生活は紛争地の石油やガスに依存していることがこのところ明らかになってきた。今後この生活がまともに続くのかどうか少し不安になるものである。

というわけで節電意識が少し高まってきた。我が家の電気代について振り返ってみたところ、ペットのためにエアコンをつけっぱなしにしている限り電気代が簡単に下がらないことがわかった。色々と電化製品は持っていて使っているが、1年を通して寒い時期の電気代が一番高い。つまり住宅の断熱が本質的な問題なのだ。アルミサッシが滅べば良い話である。これは引っ越すことでしか解決ができない。あるいは大家さんの気が変わって樹脂サッシに入れ替えてくれるなら最高なのだが、まあそんなことは起きないだろう。

週報2022/03/20 防災意識の高まり

近況

季節のせいなのか眠い日が多かった。鍼では五臓のうち四臓が悪いと言われ、土曜日は食べるたびに寝る生活をしていた。鍼師のせんせーには「あなたは気候の影響を受けやすいので、ダメなときは散歩をしてください」と言われた。

体調が悪くなり判断力が鈍るとSNSで細切れの文字を読んで消耗するものだ。そういえば「スマホで意識を細切れにされる私たち」という記事を書いたのを思い出した。反省してSNSをほとんど見ない生活をしてみたが、やはりなくても困らないな、と思うのであった。

鍼のせんせーに「突発性難聴になる知人がぽつぽつ出てくるんですよ」という話題を振ってみたら「そういう人達は体力が底をついていて長期的に生活を改善しないといけない、放っておいたら再発する。本当は生活習慣の指導が必要なのだが、お医者さんは薬を出して終わりなので体力が払底したまま放置されがち」と言われた。そうかもしれないなあ。薬を出して終わりという態度は「ああすれば、こうなる」的な考え方だなと思った。

労働

だいたい不調だったが、意識が晴れたタイミングを逃さず、集中力リソースを実装作業に投入してなんとか進捗を生み出せた。

 

妻氏と組織文化の話をした。私の所属する部署はちょっと変わっていて、上司がマイクロマネジメントをしてこない、チームや社員各自は自分で判断して舵取りをしがち、という特徴がある。妻氏は別の会社にいるのだが、妻氏のいる部署も似たような文化らしい。

こんな文化はたしかに珍しいはずで、いわゆる日本的な組織では出る杭が打たれ、上司が学校の先生みたいにマイクロマネジメントをするイメージがある。じゃあ合理的な組織だとどうかというと、そこでは偉い人の掲げるミッションに向けて効率的に人間性がすりつぶされていく。ミッションに繋がらない非合理性、個性は不要、という文化だ。

という話を妻氏が仲の良いマネージャーにしてみたら「そういう会社はトップに天才的なビジネスプランナーがいて、下にいる人間は兵隊なのだ。しかし(私のいる会社)や(妻氏のいる会社)はある意味世の中の流れとは少し離れたところにある会社で、これまでに無いものを作り出さなければならないのだから、上の指示がなければ仕事ができない人間は向いていないのだ」と言われたそうな。

読書

読んだ

夜と霧

この本は古典的名著で感動する作品とされているのだが、まったく感動しなかった。美しい自然風景と虐待描写の対比が感動ポイントだと思われるが、イメージができない私にはピンとこないのであった。ファンタジア向けの文章だな、と思った。

読みやすさは評価できる。世界的名著とされる本はサービスが良くないといけないのだろう。

また、収容所の「効率的」な管理は興味深かった。人間は番号にすぎず、その実態が何であるか、生きているか死んでいるかもどうでもいいのだ。それがホロコーストを可能にした原理であることはジグムント・バウマンの主著で描かれている。しかし、この本はそれを読むための本ではない。官僚制の問題は別の分析でよいのだ。

読んでる

読むつもりで積んでる

雑記

防災意識の高まり

先日の地震で防災意識が高まり、食糧や非常用トイレ、太陽光パネルを調達した。

京都は全然揺れなかったのだが、地震が起きたその時に東京の友人と通話をしていた。「地震だ〜怖いよ〜」という声を聞いた直後に相手が停電でオフラインになったので、これはただごとではないぞと思ったのであった。幸い人が死にまくる事態にはならなかったが、震源と時期から東日本大震災を思い出さないではいられなかった。

京都に関係のある地震といえば南海トラフ震源とするプレート型地震である。あと数十年で起こると言われていて、ほんまかいなとは思うのだが、生きている間に起きるのは間違いないのだろう。京都は津波と無縁だし震源からも遠いが、地震ライフラインが寸断されることは想定せねばならない。

災害備蓄を考える時に大事なのは、何日で救援が来るか、という想定である。この想定は強い根拠によって決められるものではないが、えいやで決めておかないと無限に備蓄しないといけなくなる。

我が家は京都市の市街地にあるので三日間耐えれば食料と水は手に入ると想定した。琵琶湖のおかげで京都には大量の地下水と大きな川があり、井戸もたくさん掘られてきた。おそらく水の確保は難しくないので、残りの資源、食料とエネルギーの備蓄が重要である。

保存食と非常用トイレ、水を使わないシャンプーなどは買っておくだけでいいのだが、エネルギーの確保はよく考えておかねばならない。必要なエネルギーは電気とガスボンベである。

電気はモバイルバッテリーやUPSで貯められるが、一日か二日で尽きるだろう。建物が倒壊するとあちこちで電線が切れていくので、復旧には時間がかかる。となると電気を貯めておくだけでは不十分で自分で発電することになる。筋肉を使って発電する方法もあるが、楽なのは太陽光発電である。

太陽光パネルは大きさと発電効率が大事である。大きくなると重さがネックになるが、キャンプや登山目的ではないので巨大なものを買っておけばよい。持ち運ばないといけない場合は家が潰れているので、避難所にいるはずだ。避難所には早期に電源が確保されるだろう。

と、考えて調べまわった結果、この商品を購入した。窓際に立てかけて動作確認を行ったところ、ちゃんとiPhoneが充電された。Type-Cも生えていて便利である。

www.jvc.com

この商品は専用の巨大バッテリーとセットでの運用が想定されているようだ。そのうち買っておきたい。とりあえず必須なのは太陽光パネルである。

ガスは湯を沸かすために使う。災害用食糧は水だけで食べられるものを用意すべきだが、冷たいご飯を食べると悲しくなるに違いない。水の衛生とかメンタルを考えるとガスコンロで熱湯を作れるようにすべきだ。ガスも復旧が遅い可能性があるので、多めに備蓄しておく必要があるだろう。

ちなみに食糧はカップ麺とビスコレトルトカレー、パックご飯、缶詰、カロリーメイトなどを用意した。調理がダルいときの食事も兼ねている。

こうして備えはしっかりしておいたのだが、災害なんて起こらないに超したことはない。陰謀論が蔓延り、人心が荒れがちなので、巨大地震という不条理が起きたとき彼らのメンタルは耐えられないのではないかと憂慮している。

週報 2022/03/12 日記用アプリをUlyssesに乗りかえた, 信用と平等さについて

近況

今週は漫画のアシスタント作業をしていた。

家業となっている漫画制作は二、三週間の周期で締め切りがやってくる。締め切りといっても特に約束をしているわけではないので、完成し次第アップロードするものだが、一応この日には完成させたいねという目標を設定して作業している。
今回は火曜日が締切になっていたのだが、作業が遅れて水曜日の夜まで作画をしていた。作画はほとんど妻氏がやるので私にできることは少ないのだが、あらかじめ決められたトーンを貼る作業をしている。このお仕事を溜めてしまっていたので今週はトーン貼りに追われることになった。

そして無事に?二日遅れで完成させることはできたので安堵している。そしてまた次のスプリントが始まる。
完成した漫画はこちらに上がっております。 manga-no.com

先日紹介したGather部室の運用も続いている。部室と定義している場所になんとなく集まって喋ったり喋らなかったりする。だんだん人の集まる時間が収束してきて、夕食のあと、20時から0時にかけて部室が賑わうようになってきた。

最新のマップはこんな感じになっている。

メインルーム全景
いくつかの施設とオブジェクトが増えている。畳と布団、バスタブのドット絵を妻氏に打ってもらって、「北白川」の部屋に設置した。アバターをバスタブや布団へ移動させて、物理世界の状況を示すのに使っている。

労働

細かいリファクタリング実装をして、お喋りをしていたら五日経っていた。

数日後に次年度の有給が補充されるのだが、このままの消化ペースだと一年後に有給が消滅することが分かっている。
有給は月曜日か金曜日に入れて週休三日にしがちだ。仕事が進まなくて悩ましい側面もあるが、今年度は暇な時期は見つけて四週連続で週休三日を出現させてみたい。

読書

読んだ

  • ハイデガー 世界内存在を生きる: よかった
  • ピープルウェア: この本はだめです

読んでる

読むつもりで積んでる

雑記

日記用アプリをUlyssesに乗りかえた

もう日記を三年書いている。日記帳にはiOSmacOSにプリインストールされるNotes.appを使っていた。なぜScrapboxやNotionを使ってないのかというと、日記のためのメモアプリにはデバイス間同期機能さえあればいいからだ。日記は夜にまとめて書くのではなく、随時少しずつ書くと運用しやすいので、iPhoneMacなどのその時手元にあるデバイスで書くようにしている。

Notes.appで特に困ることなく三年を過ごしてきたのだが、つい先日、千葉雅也氏がUlyssesが原稿を書くのによいとツイートしているのを見かけた。個人的に千葉雅也氏の感覚をよく信頼しているので、興味本位でUlyssesについて調べてみた。

UlyssesはScrapboxやNotion, Evernoteのような知識を貯めるノートアプリというよりは、原稿を書くためのアプリだった。快適に原稿を書くのに特化したUIと機能を持っている。もちろんiCloudを使ったデバイス間同期もあるし、フォントや行の幅もいじれる。なるほどよくできている。

だが、そのぶんコストもかかるアプリだった。サブスクリプションが必須のサービスになっていて、年間五千円になる。ただのメモ帳にそれだけの価値があるだろうか?私は日記に毎日一時間くらい割いている。何か思いついたら作文をして頭を整理するし、愚痴があれば日記に書く。最近では週報や読書ノートもつけている。たぶんSNSと同じくらいメモ帳を触っていると思う。

というわけで課金して日記アプリを乗り換えることにした。ノートアプリの乗り換えで課題になるのはデータの移行だが、UlyssesはちゃんとNotes.appから移行するツールを用意してくれていた。ツールをダウンロードしてきてボタンを押すだけですべてのメモが移行された。画像つきのメモだけデータが壊れる問題があったが、これは手動で貼り付け直してなんとかした。

Ulyssesはさすが課金アプリなだけあってNotes.appの上位互換に思われた。UIは軽快で文字入力がすばやくできる。何を当たり前のことを、と思われるかもしれないが、Notes.appはただのメモ帳なのにもっさりしているのだ*1。WebViewが内部実装に使われているのかもしれない。また、Notes.appはデバイス間同期が遅い問題があった。iPhoneである日記を編集しても、その変更がiPadに届くのに遅延があるのだ。原因はよくわからないので、ただ耐えていた*2

また、UlyssesはiPad対応がしっかりしていた。Split Viewとマルチウィンドウに対応しているのだ。

Split View
マルチウィンドウ!
こんな感じの機能である。Split Viewは過去の日記を読み返しながら週報を書くのに使える。下書きを表示しながら清書という使い方もできる。マルチウィンドウ機能については、存在すら知らなかった。じつはOSがサポートしていたらしい。

というわけで、まともな日記帳アプリを見つけたという話だった。機能やUIが優れていてよいアプリだと思う。お金もちゃんと取られるのでサポートも期待ができる。大量に文字を書く人にはよいツールだと思う。

統計機能を使ってみたら三年で三百万文字書いてたことがわかった

信用と平等さについて

ある日のこと、風呂で独裁と西側社会について対比しつつ考えていた。ソ連の指導者の記事を読んでいたら、悉く権力争いをして死んだら交代をしているのを知った。プーチン習近平もそうなるだろう。なぜ彼らは生きているうちに権力を委譲しないのか。所有欲が強すぎるのもあるし、ルールがないのもあるだろう。そして、何よりも信頼できる後継者がいないことが原因であろう。この人になら任せられるという人を育てていないか、あるいは育てる気がなかったのだ。

この人ならば任せられる、という感情は信用と呼ばれるものである。他者への信用がないのが独裁者であり、独裁国家なのだ。まさに中国とロシアがそうだ。中国は信用スコアを導入して(民間部門は)変わりつつあるのがさすがではあるが、ロシア(プーチン)は致命的に信用という概念がない。だから大型旅客機を返さなかったり、ロシアから撤退する企業の設備を奪う法を作ったりもする。

一方で西側社会では信用が大事になっている*3*4。信用がリスクと対になる概念として整備されている。人々は信用をスコア化して投資をしたり、契約したりする。西側の、開かれた社会では信用が大事にされるが、独裁の社会では信用が機能しない。信用ではなく、独裁者の意思で何もかも決まってしまう。一方で開かれた社会を統べるのはルールである。さまざまな粒度のルールがあり、それらのルールのうちもっとも高度なものが自由である。自由で平等というメタルールが神のごとき法となっている。

開かれた社会にも問題がないわけではない。いま問題になっているのは格差である。開かれた社会は福祉などの仕組みで、災害や病気、老いへのサポートをしてくれる。少なくとも日本の場合はそうだ。日本は災害が多いからなのか、けっこう理不尽イベントに優しいと思う。だが、それでも格差はあり、おそらく広がっている。

格差に対するアプローチでも共産主義と民主制は異なるアプローチをとる。共産主義は建前上格差がない。社会全体で生産した結果を分け合うので、個々人の能力や生産性に差があろうとも、結果的にすべてのリソースは平等に分配される。ということになっている。しかし、民主制はルールでカバーできる範囲の自由と平等を保障するだけであって、個々人の活動の結果として出てくる不平等には手を出さないのだ。自由を重んじる制度では、事前条件の平等性しか目指していない。

条件の平等がよいのか、結果の平等がよいのか、どちらだろうか。これはどちらなのか、という問いを立てるのが間違いで、条件の平等のうえに結果の平等を目指すシステムを作る、中間を目指すのが正解である。これが民主制の社会でも実装されている再分配システムである。であるから、格差の結果として飢えるものがいる限り、稼いだ人は税を差し出さねばならない。でなければ社会全体が持続不可能になるであろう。

*1:乗り換えるまで気づかなかった。

*2:困ってないと上に書いたが乗り換えたら困ってることに気づいた。

*3:社会契約は信用と立法による暴力の放棄から始まる。

*4:しかし具体的な信用は文化差があることに注意したい。北米で信用される行為と日本で信用される行為は異なる。これは信用が規範への準拠をもとに評価されていることを意味する。

週報 2022/03/06 姿勢改善, 判断と独裁

近況

今週は調子が悪かった。一日中眠かったり気分が落ち込むことがあったり。原因は気候の変化だと思う。

この時期は木の芽どきと呼ばれる季節で、精神科・心療内科では要注意とされる季節である。木の芽が芽吹いて生物が活発になりはじめる時期なのだが、人間も例外ではなく、冬の落ち着いた状態から春の活発な状態への変化を強いられる。心を病んでいる人はこういう季節に少し元気になることで自殺をする弾みがつくそうだ。春に狂ってしまうのも同様。

というわけで私もなんだか調子が悪く、冬仕様だった生活リズムが役に立たなくなってきている。寝てしまえば回復するようなので、早寝と昼寝で対処している。

健康

プロテインを粉にしてみた。マグカップで適当に混ぜただけだとまずいのだが、シェイクするとおいしいことがわかった。よくできている。

労働

今週はたくさん雑談できた。

私は毎日Slack Huddleに繋いでいる時間を設けておいて、「この時間なら私に話しかけてもいいですよ」という制度を(一人で)運用している。出社していたらオフィスの休憩場所や自席でだらだらしていたらいいだけなのだが、フルリモートだと表現が難しいので、いつでも喋れますよというアピールが必要になる。

とはいえ、どうしても一対一の会話になってしまうので敷居は高くなる。だが、それでも雑談は貴重なので、たとえ人が来なくても「店」を開けておくようにしていた。

というわけで、実際にはいつも閑古鳥が鳴いていたのだが、今週はなぜか来客が多かった。突然話しかけられるのはちょっとびっくりするし、「店」に来た人もおっかなびっくり喋っているとは思うが、こういうものは数をこなせば慣れるものとして、気にせず喋るようにしている。たいてい話し出すとどうにでもなるものである。

読書

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雑記

姿勢改善

先日社交ダンスのレッスンを受けていたときに、いい姿勢のポジションを見つけて肩こりを軽減できるようになった。

姿勢の感覚はいい加減なもので、自分が正常だと感じる姿勢は、単にいつもの姿勢という意味しかない。今回見つけた姿勢は、ほんの少し背中を後ろに倒すだけのもので、客観的には数センチしか変わっていない。なのに、主観的には大きく背中をそらしているような感じがする。

こうして猫背の後遺症を少しずつ軽減しているのだが、まだ股関節に課題が残っていた。猫背は変な姿勢で頭の重さを支えるので、首や肩だけでなく股関節にも猫背の癖を付けてしまう。股関節が硬くなると足の裏側の筋肉が硬くなってしまう。前屈をして手が地面につかないやつ。これを放置するとぎっくり腰、ヘルニア、坐骨神経痛で苦しむことになる。

私は幸いぎっくり腰をやったことはないのだが、このところ右足首が痛むようになってきた。鍼の先生に診てもらうと股関節の硬さが原因だと言う。確かにこのところ在宅勤務のせいで歩く量が減っている。先生にマッサージをしてもらうと大殿筋や梨状筋が硬くなっているのがわかった。かなり硬くて肘を使って揉みほぐさないといけないほどだった。

これを放置すると腰痛で苦しむことが明らかだったのでストレッチを生活に取り入れることにした。特に風呂上がりのストレッチが重要で、温かいうちにたくさんほぐしておくとよい。日中でも休憩をするとき前屈をする。椅子に座っていても片足だけ折り畳んで体を前に倒せば筋肉を伸ばせる。

ストレッチはすぐに結果が出る。問題はいかにして習慣にするかであるが、お風呂イベントにフックするのはうまくいきやすい気がする。

股関節の改善は、お仕事に例えると運用の問題なので、ゴールはよい状態を維持し続けることである。インドアな性格で労働をしている限り腰の問題はついて回るので、せめて風呂上がりのストレッチは欠かさぬようにしたい。

判断と独裁

ついウクライナやロシアの情報を見てしまうことが多かった。SNSが騒がしいのもあるが歴史的な事件が起きているのでどうしても気になってしまう。

私の関心は戦況よりも、ロシアやプーチン氏を取り巻く状況の方に向いていた。さまざまなニュースやソ連時代からの政治家のWikipedia記事を読んだ。

 

この歴史的事件でいちばんおもしろかったのは、あれほどの国の最高権力者が、非合理な判断をしたことだ。

気になったので、今週はプーチン氏の判断が出てきた構造を分析していた。

 

いくつかの報道によると、ロシア政府が独自の世界観を持っていることが指摘されていた。プーチン氏がイヴァン・イリインというロシア的右翼哲学者の著書を愛読して官僚に本を配り、イリインの墓をスイスからロシアへ移設した事実があるらしい。

もし、プーチン氏がイリイン哲学を信奉し、国家的判断の材料にも使っているならば、困ったことにウクライナ侵略は合理的*1な行動なのである。

 

まず、人間の判断について考える。あらゆる判断は、目的をゴールにして、その人の持つ情報を勘案して下される。情報とは頭の中にある情報のことだ。情報は感覚器官によって集められ、偏見や経験、知識によってフィルタされる。だから、同じ出来事を経験した人が同じ情報を認識するとは限らない。

人間は、個々人の得た情報をもとに目的を達成する効率的な判断を導く。効率の良さ、論理の筋の良さは訓練によってばらつきが出るものだが、ある程度訓練をした人の間で判断の効率性に差が出ることはあまりない。

それよりも、何の情報を世界から得るか、というレベルで差が出てしまう。熟練の猟師が雑木林を観察してイノシシの体重と巣の位置を割り出すのは、その猟師が経験によって多くの情報を抽出できるからである。

ある人の判断が非合理にみえるとき、われわれは彼が知らない重要情報を持っている。われわれは彼の外部にある情報をもとに判断し、彼は非合理だと言っているだけで、それでも彼にとってのその判断は合理的なのである。

なので、判断が合理的かどうかで争うのは意味がなくて、世界から読みとっている情報のうち、何が重要な情報か、何が事実かの点で争うべきなのだ。

だが、事実の認識は難しい。どうしても一人で情報を集めると、偏ったものが出てきてしまう。偏った情報は最適でない判断、そして失敗に繋がる。だから、科学では目玉をたくさん用意した上で、どんな実験をして情報を集めたか、そこからどんな判断をしたか、を論文にしているのだ。情報収集と判断のサイクルを大人数で繰り返すことによって、科学は客観的真理に近い事実へ近づいていくのである。

科学と民主制*2の関連がよく論じられるように、民主制の国家でも同じ構造が成り立つ。民主制は各種の自由によって、複数の「事実」を集めて戦わせる。だから、まともに運用されている民主制は専制よりはマシなのである。もちろん、判断が遅いという副作用は出る。

 

続いて、プーチン氏が政敵を殺しまくって孤独な独裁*3を作ってしまったことを問題にする。独裁というシステムをより具体的に考えてみる。

独裁にはマシな独裁と、孤独な独裁がある。マシな独裁は、独裁しているのが集団である場合だ。ソ連共産党や中世の貴族政治がこのタイプだと思われる。なぜマシなのかというと、集団で判断するからである。先に述べたように、目玉の数は多いほうがよい。対等な目玉が複数あって、何が事実であるかを争えると事実認識の歪みは低減できる。市民の自由を剥奪し、目玉の数を減らしているのは問題だが、それでも独裁者集団のなかで対等な競争があるならば、判断はうまくいく可能性がある。一方で、政敵を殺しまくって孤独な独裁をすると、事実の認識がうまくいかなくなる。

また、独裁が集団で行われていると、トップの権力者が死んだとしても意思決定システムが滅びることはなくなる。つまり冗長性がある。だが、孤独な独裁はこの点でも脆弱である。独裁者が死んだとき社会は混乱するし、独裁者は死ぬに死ねなくなる。

この構造を、われわれに身近な会社組織で考えてみよう。マネージャーが会議で判断するのがマシな独裁(以下、集団独裁と呼ぶ)で、すべてを社長が決めてしまうのが孤独な独裁である。残念なことだが、たいていの会社組織にはどちらかの独裁システムが採用されている。社員全員の判断をすり合わせるのは、あまりにコストがかかるからである。

このように、独裁システムは民主制の社会でもそこかしこにある。目玉の数を制約することで、すばやく決断する必要があるため、民主制でも会社等の組織に独裁システムが採用されるのである。

ただし、独裁される組織でも居心地のよいものとわるいものがある。この違いはなぜ生じるのか。答えはルールの有無である。独裁によって判断と権力が独占されていても、その権力がルールによって統制されているならば、判断はルールに拘束される。ルールで独裁権力を縛っておくと、判断が予測可能になる。社員にどこまでの自由が約束されるのか、事前に見積もれるということだ。だから、たとえ独裁システムがあったとしても、納得可能なルールがあれば、その組織は居心地がよく感じるのである。

 

以上、孤独な独裁と集団独裁を対比して、意思決定のまともさ、組織の堅牢さを論じた。民主制と独裁システムは対立するものではなく、民主制にも独裁システムが入り込むことがわかった。また、民主制社会における集団独裁の性質についても考えてみた。いちばん快適なのは、ルールによって支配された集団独裁の社会、あるいは組織である。

だからルールに縛られない孤独な権力者は危険である。容易に他人の権利を侵害するだろう。プーチン氏の行動は喫緊の課題ではあるが、われわれの社会にもこのような人はいるので近づかないよう気をつけよう。

*1:ここでいう合理性は客観的合理性ではない。そもそも客観的合理性なるものが存在するのか疑わしいが。

*2:democracyを民主主義と訳すのに反対の立場です。

*3:ロシア政府は集団で運用されているが、異を唱える人は排除されたものと認識している。

週報 2022/02/27 プロテイン, Gatherで部室を作る, 歯ブラシ

近況

冷え性対策のためにタンパク質を重視する生活にしてみようと思った。

日本人はタンパク質の摂取量が足りないとよく言われる。我が家は自炊がメインなのでそれなりに肉の量には気をつけているのだが、実際にはよく手足が冷えてしまう。きっとタンパク質は足りていないのだろう。

私は自分の体の大きさを把握していないところがある。実際の体のサイズより一回り小さいつもりで生活している気がする。体を維持するために多めのタンパク質を食べなければならないのだが、感覚に従うと少なくなってしまうのだ。

料理は感覚で作ってしまうので、間食で調整することになる。だが、間食でタンパク質をとるのはなかなか面倒なのだ。冷蔵庫にあるタンパク質といえば、牛乳と卵と肉くらいのものだ。たしかに牛乳は腹持ちして冷えを緩和できるのだが、効果は長続きしない。30分もするとガス欠になってしまう。そして卵や肉は加熱をしないとおいしく食べられない。間食としては手間がかかる。一時期ソーセージを間食にしていたこともあるが、これは脂質と塩分が気になる。

というわけで、模範解答たるプロテインに落ち着いた。手頃なタンパク質といえばこれである。

プロテインは初めてだったので、まずは手軽な液体プロテインにしてみた。液体プロテインはコンビニやスーパーで売られていて便利だ。試しに飲んでみると濃いめの豆乳かなという感じで日常的に飲めそうだと思った。

手軽なのはいいものの、たびたび飲むのですぐになくなってしまう。結構な頻度でこの液体プロテインを調達しなければならないので、買い物効率のために粉のプロテインに切り替えるかもしれない。

労働

今週はあまり労働をしていなかった。週の真ん中で二日休んだのもあるし、業務でイベントがあって本業を進めていないのもある。

読書

読んだ

物語は人生を救うのか

「人はなぜ物語を求めるのか」の続き。人が物語として出来事、人生を理解してしまう問題を議論した本。ちょっと著者の混乱があるかも、と思った。

読んでる
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雑記

Gatherで部室を作った

このところGatherというサービスで部室を作っている。

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部室

Gatherとはブラウザで動くコラボレーションツールで、VRChatを2Dにしたようなものである。Discordにマップとアバターが追加されたものと言って良いかもしれない。おそらく、お仕事用のコミュニケーションツールとして作られていて、ホワイトボードを置くとお絵かきをしながら議論ができるし、書類を置くとGoogle Docsへのリンクが貼れる。

おもしろいのは、アバターが近づくとボイスチャットがつながる機能である。ある程度アバターが近づかないと声が聞こえないので、物理オフィスでのコミュニケーションに似た体験ができる。遠くから会話の輪に近づくと向こうの声だけが聞こえる状態になり、さらに近づくと相互に声が聞こえるようになる。

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個室

バーチャルなオフィスのような場なので、集中ブースや会議室も作れる。Gatherではマップのタイルにプライベートスペースの属性を設定できる。プライベートなスペースでは、同じタイルにいる人にしか声が届かないようになる。外からの盗み聞きはできない。1マスのプライベートタイルに椅子を置いておけば、集中ブースになるし、数マスの空間に机と椅子を並べたら会議室ができる。集中したい人はアバターを操作し、集中ブースに入ることで、自分の気分や状況をわかりやすく示せるのだ。

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個室群

本来はこのようなバーチャルオフィスを作るためのサービスなのだが、私は部室を作るために使ってみた。

部室とは、大学サークルの部室のことである。ただなんとなく人が集まって、おのおの好きなことをしている空間。お喋りはしてもしなくてもいい。コミュニケーションが必須でないところが大事なのだ。ただ空間を共有していて、気分と場のノリに応じてすぐに喋れるのが部室である。

以前から、生活に部室が足りないとは思っていた。たしかにSlackやTwitterで友人たちとコミュニケーションができるのだが、チャットはコミュニケーションの効率が悪く部室とはいえない。また、ボイスチャット一般は喋るモードに頭を切り替える必要があり、コミュニケーションをしない自由さがない。おそらくVRChatはGatherと同様の、コミュニケーションしなくてもよい場にできるとは思うのだが、VRゴーグルで視界を塞ぐと作業ができなくなる。部室でやりたいのはコンピュータ上で完結する作業ばかりではない。

というわけで、大学を卒業してバラバラになった人たちには部室が足りなかった。問題はツールにあり、これを効果的に解決しうるのがGatherだったわけだ。

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全景

こうして思い出の部室と周辺環境のマップができた。左上にあるのがKMCの部室で左下に鴨川と出町柳がある。右下は京都大学のキャンパスである。右上は北白川あたりにある学生の家ということにしている。

集中したいときは家の個室へ移動し、お喋りをしつつ作業をするときは部室や大学、鴨川に出かける。あと足りないのはお風呂とか食堂とか。妻氏にドットを打ってもらって作ってゆくつもりだ。

歯ブラシ

先日歯医者に行った。定期清掃である。行きつけの歯医者では三ヶ月に一度の口腔メンテナンスが勧められている。

このたび虫歯チェックと清掃をしてもらったところ、よく磨けているという評価を戴いた。数年前にはC1くらいの虫歯を作ってしまったのだが、うまく歯を運用できるようになってきたようである。

磨き方を気をつけたのもあるが、歯ブラシを変えたのも良かったと思う。以前インターネットの噂話で知った、ルシェロという歯ブラシを使っている*1。この歯ブラシはブラシの先端に突起があり、奥歯の表面や歯の隙間を磨きやすいようになっている。おすすめである。

*1:顎の小さい人はB-20が良いかもしれない

週報2022/02/20 レビューしやすいブランチ作り, 肉は煮込むと臭くなる

近況

寝つきが悪くておかしいなと思っていたら、夜に飲むジャスミン茶が原因だった。ジャスミン茶は花か何かのお茶であり、カフェインは入っていないものだと思っていたのだが、調べてみると緑茶などに香りをつけたお茶であった。緑茶がベースなので当然カフェインが入っている。どうりで眠れないわけだ。

コーヒーなら夜に飲んでも眠れるのにお茶だと全然眠れなくなる。大元の植物が異なるのでカフェインと称していても、微妙に差異があったりするのだろうか。

労働

というわけで労働の調子は悪かった。日中は眠く、あまり考えられない体調が続いていた。

レビューしやすいブランチ作り

今週もほとんど実装をしていたのだが、コードを書いていると、自分に困った癖があるのに気づいた。ブランチの目的から外れた実装をしてしまうのだ。来週着手する予定の機能を見据えて先にデータ構造を変えてしまったり、既存の設計を考え直して巨大な変更を入れたり。

最終的に必要になる機能なら実装しても良いといえば良いのだが、コミットが増えるとレビューが大変になる。レビューが長くなるとレビュワーだけでなく、自分の作業も止まって困るので、レビューしやすいブランチ作りは大事だ。ブランチは目的に対して小さくまとまっていると良い。リファクタリングをするならリファクタリングだけのブランチを切るのが理想だ。

ソフトウェアエンジニア諺として「早すぎる最適化をするな」というものがある。ときにベテランのエンジニアがこの諺を引いてしたり顔でお説教をするものだが、そういうベテランエンジニアでも早すぎる最適化をしてしまうことは多い。コードとして出てこなくても脳裏で最適化をしてしまっている。職業病なので治らない。ただ、それを理性で押しとどめて表に出さないで済んでいるだけなのだ。

結局、どうやってレビューしやすいブランチを作ればよいのだろうか。苦肉の策ではあるが、コミットの数を抑えるのが分かりやすい指標だと思う。1ブランチあたり10コミット以下が理想だろうか。もし実装が膨れ上がりそうになったら、ブランチの名前を変えて目標を小さめに切り出し、stashで書いてしまった不要なコードを隠すとよい。pushしてなければどうにでもなるはずだ。もし、チームみんなでこれができると、互いに素早くレビュー承認できるかもしれない。

読書

読んだ

人はなぜ物語を求めるのか

人が自分の人生や身の回りの出来事について、既存の「物語」に合わせて、事実を捻じ曲げて解釈してしまう問題をとりあげた本。黒子のバスケ事件の被告の人生観の変化がおもしろかった。裁判の冒頭陳述ではインターネットでよく見られる人生観を自分に適用し、そこから逆算した犯行動機を喋っていたのに対し、最終陳述では家庭問題やいじめの経験を背景に自分の感情を素朴に語れるようになっていた。この被告は裁判の途中で差し入れられた本を読んで、世間の物語の側から自分を解釈するのではなく、自分について自分で考える方法を手に入れたらしい。

ヒトの壁

養老孟司は評価の分かれる作家だが私は好んで読む。いつもなら、社会の分析と批評をするのが養老孟司だが、今回はエッセイらしい文章が多かった。養老孟司はこの本の執筆中に心筋梗塞で倒れ、愛猫が死ぬ経験をしていたそうだ。昔から死についてよく考えている作家だとは思っていたが、いよいよ死が近いようにみえた。

と、思いながらインターネットをしていたら、養老孟司の新刊の通知が二通も飛んできてびっくりした。どうやら死ぬまで書き続けるようだ。

読んでる

雑記

肉は煮こむと臭くなる

我が家では、平日の夜に具だくさんの味噌汁と焼き魚、白米を食べるのが原則になっている。土井善晴氏の言うとおり、味噌汁は毎日食べても飽きないし、野菜と肉を入れれば栄養バランスも完璧である。何より作るのが簡単なのがいい。

先日いつものように味噌汁を作ったら妙においしくなったことがあった。なぜか抜群においしい味噌汁ができることがたまにあって、いつも不思議に思うのであった。

はて何か特殊なことをしたかしら、と考えてみたところ、肉を煮込んでないことに気づいた。いつもは鶏もも肉と野菜を冷水から煮込んで味噌汁にしていた。この時はたまたま野菜だけを煮込んで最後に豚肉を入れる工程になっていた。豚肉は薄切りのものを使っていたので煮こんでいない。余熱だけで火を通した。このようにして肉を煮こまずにスープを作ったので雑味が出なくておいしかったのである。

なるほどスープ料理で肉を煮込むと臭くなるのである。そういえばポトフを大量に作ったとき、翌日のポトフが臭かったのを思い出した。香辛料を入れればマシにはなるのだがそれでも日本人にとっては臭い。西欧の肉食民族なら気にしないのかもしれないが。

日本人は煮た肉の臭さにどのように対処してきたのだろうか。肉を食べるようになったのは明治以降のはず。最初に登場したのはすき焼きである。これは煮るというよりも焼く料理なのでそれほど気にならないのかもしれない。その後出てきた肉料理といえば肉じゃが、カレー、シチューあたりだろうか。カレーは香辛料、シチューは牛乳で臭みをマスクしている。肉じゃがは酒・みりん・醤油で対処している。

おそらく和風の臭み消しの調味料が酒・みりん・醤油の照り焼きの方向性なのだろう。確かに醤油をそれなりに入れたら臭みは気にならなくなる。生姜焼きや牛丼もこの部類に入る。しかし、スープ料理として臭みを消すには醤油を大量に入れないといけないだろう。できないことはないと思うが、やはり香辛料を使った方が効率的である。

というわけで、臭み消しの調味料を使わないならば、スープの肉は煮こまないのがよい。味噌は臭み消しには使えないのだ。魚料理だと当たり前の考え方だが、肉でも同様だ。もし肉を入れるならば、フライパンやオーブンで焼いてからスープに混ぜるとよいだろう。肉の加熱はスープ調理と別工程で行うのだ。薄切り肉の場合は余熱調理で別工程が不要になるわけだ。

週報2022/02/13 漫画のネーム, 日本でモルモットは野生化できるのか

近況

ネームペアプロ: 台詞や物語の筋を考えている

肩こり: ワクチン接種をして寝込んでいたら肩to首の筋肉が壊れた

労働

既存の設計に無理が出てきたので半壊させて組み直している

読書

読んだ

うつ病九段

棋士うつ病になって復帰するまでの体験記。おもしろかった。散歩するぞ散歩。

日本語とはどういう言語か

あまりにダメな本なので読むのをやめた。これは偏見ですが、年寄りの書く本の中には長ったらしくて全体像が掴みにくいものがある。

読んでる

雑記

漫画のネーム

妻氏は同人漫画を不定期連載している。当初は隔週で8ページずつ掲載する予定だったのだが、出力が安定しないので不定期ということにした。

漫画を作る工程はネームと作画に分けられる。ネームは漫画の設計ともいうべき工程で、ネームの時点でその漫画がおもしろいかどうかはわかる。ネームで描かれる絵は雑なものなのだが、コマ割りとセリフはほとんど決まっていて、慣れたらネームを読むだけで漫画の出来が想像できる。商業連載で編集がネームをチェックするのはそういう事情なのだ。

漫画ではネームを作る作業が一番大変だ。なにせ無から漫画のエッセンスを産み出さないといけない。また、セリフとコマ割りとカメラ配置、与える印象を同時に考える必要があるため、かなりの集中力が必要らしい。萩尾望都がネームをするときは絶食し、ひたすら紅茶を飲む生活をしていたらしい。たいへんな集中力がいるので、体調が良くないとネームはできない。妻氏はフルタイム労働をしながら不定期連載をしているので、睡眠の悪い日があるとネームはできず、工程がどんどん後ろにずれていく。作画作業は眠くてもできるらしいが、ネームだけは頭の冴えが大事なのだ。

不思議なことに、物語は書いてみるまでボリュームが分からないことがある。これは漫画に限らず小説や映画でも同じだと思う。小説や映画が世に出てきたら予定の尺をオーバーしていた話はよく聞くだろう。作者の頭のなかの物語は、どれだけ考えられたとしても曖昧なところがあるもので、具体的に描かれたときに、おもしろさやわかりやすさのために出来事を追加しなければならないことがあるのだ。こうして往々にして尺は伸びていく。

だが、おもしろくなるのならば尺は伸びても良いと思う。コンパクトに密度高くおもしろいのが一番ではあるが、無理に切り詰めてシーンを省いたり分かりにくくするよりは限界まで尺を増やす方がマシであろう。もちろんコンテンツの長さはコストに響くし、長くなると消費者の負担になるのでバランスは考えないといけない。これらを勘案し天秤にかけた結果出てくるのが諸々のコンテンツなのである。

日本でモルモットは野生化できるのか

いかにモルカーが人気になろうと現実のモルモットを知らない人は多いはずだ。我が家でモルモットを飼っている話をすると、いつもモルモットの大きさにびっくりされる。モルモットはキャベツから白菜くらいの大きさがあり体重は1 kgを超えるのだ。結構でかい。人々はハムスターくらいのサイズを想像していることが多い。

実際にハムスターを見たことのある人も多くはないと思われるが、なぜかハムスターのサイズは把握しているらしい。しかしハムスターのサイズにもバリエーションがあって、ロボロフスキーは小さいしゴールデンハムスターはでかい。とこのように、世の人々はたいへん大雑把な認識をしているものである。

さて問題は、というか今回考えたのは、モルカー人気で本当にモルモットを飼育する人が出てきて何割かは飼育放棄されるであろう、という問題だ。モルモットの飼育は結構大変で毎日掃除が必要である。ペットの飼育の大変さは様々で、ハムスターやスナネズミならば一週間に一回の掃除で健康が維持できる。エサと水のチェックは毎日やらないといけないがそれくらいだ。ほとんど世話はしていないけれど、なぜか家にいて生きておられる、というそういう生物である。

しかしモルモットは草食動物であるため食べる量と飲む量と排泄量が多い。つまりめちゃくちゃ汚れるのだ*1。これはちょっと調べたらすぐに出てくる情報ではあるが、飼育したいという感情は強いもので、これらの情報を無視して本当に飼ってしまう人も出てくるだろう。ちゃんと世話(毎日の掃除)をできるのならばよいのだが、世話を放棄する人も必ず出てくる。放棄したときに取る選択は、人に譲るか捨てるかである。

フランスでは毎年10万匹の犬猫が捨てられているという*2。フランスの場合はバカンスという習慣があり、バカンスの間に世話しきれないから捨てるパターンが多いそうだ。また、ヨーロッパは伝統的に動物の価値が低いのでこうなるのも不思議ではない。一方で日本の飼育放棄の実態はよく知らないが、想像力を欠いて衝動的に飼育し捨てる人もそれなりにいるだろう。であるから毎年数十匹のモルモットが野に放たれることは当然想定できる。

生態系が云々は置いておいて、モルモットが日本の野山で暮らしていけるのか考えてみよう。まず食べものについて。モルモットは様々な草を食べる草食動物だ。温暖な日本でならばそれなりに餌はあるだろう。問題は冬の間だろうか。南に行けばなんとかなるかもしれない。困ったら畑を荒らすと思う。

次に敵の問題がある。モルモットは草食動物で臆病であることから想像し得るように、原産地でも肉食動物の餌である。日本でも狐、蛇、猛禽の餌になるだろう。モルモットの攻撃手段はせいぜい噛みつくぐらいしかない。爪は大したことないし声も怖くはない。声はモルカーのアニメのとおりである。門歯で噛まれると痛いのだが、モルモットはあまり目が良くないので、ちゃんと敵に噛みつけるのかどうかは疑問がある。なので、モルモットが敵に見つかったらまず逃げるのが一番だ。逃げ足は早いので鬱蒼とした日本の森林ならば隠れられるかもしれない。

モルモットが定着するには繁殖をしなければならない。おそらくここが一番の問題だろう。げっ歯類はたくさんの子を生むものだが、モルモットは例外だ。一度に産む数は少なく妊娠期間が長い。典型的なネズミだと一度に10匹産むのは珍しくないが、モルモットは2〜4匹が相場である。普通のネズミは未熟な状態で産まれてきて、そのうち動き回れるようになる。産まれたばかりのネズミは毛がなく目も開いていない。赤くてぶよぶよしたネズミとは思えないような形態で出てくるのである。だが、モルモットは生まれたときからモルモットである(かわいい)。ただ身体が小さいだけで、産まれたときから大人と同じ餌が食べられる。

つまり、モルモットは繁殖効率が悪いためそう簡単に数を増やせない問題があるのだ。日本のような敵の多い環境だとこの特徴は致命的だろう。もしモルモットがカピバラぐらいの大きさ、強さであれば話は違うかもしれないが、モルモットは弱いので日本の原野に満ちることはなさそうである。