しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

2020年ふりかえり

例年どおり家にこもって仕事と料理、読書をしていた。コロナ禍とは関係なくインドアなままだ。去年と違うのは妻の同人誌お手伝いがなくなったこと。イベントがなくて締切りが発生しないので仕方がない。

お仕事

ありがたいことにほぼ在宅勤務だった。日記によると四月は心身ともに調子が悪かったらしい。在宅勤務だやったー!と喜んでいたものの、身体は変化に耐えられなかったようだ。散歩の習慣でなんとか適応した覚えがある。また、八月にも体調が悪化していた。仕事が暇すぎたのだ。在宅勤務でやることがないと精神がめちゃくちゃになることがわかる。

 

転機は九月だった。チーム移動というかチーム増加(掛け持ち)が発生した。お仕事が降ってきただけでなく、コミュニケーションも増えた。新しいチームでは常時Zoom部屋が立っていて、いつでも喋れる環境がある。基本的にはミュートで接続し一日中ミュートにしている日もあるが、同僚の存在感があるだけで仕事に身が入るようになった。雑談も業務上の相談も気軽にできてとても助かっている。

 

仕事の中身は、前半がフロントエンド屋さん、後半はサーバアプリ屋さんだった。年始からずっとReactを書いて過ごし、それ以外はRails + AWSみたいなお仕事だった。フロントエンド業ではdynamic importを駆使してbundleサイズ最適化を頑張っていた気がする。 

料理

在宅勤務趣味の例に漏れず料理ばかりしていた。春はピザ。ドライイーストが売り切れたので、バナナとレーズンから酵母を起こしてみたり。バナナ酵母は失敗してレーズンはうまくいった。恒温槽としてヨーグルトメーカーがあると良い。なぜピザを作ったのかというと、在宅勤務の昼食をすばやく作りたかったからだ。ピザは生地を作っておけば具を載せて焼くだけである。調理は簡単高速で最高のお昼ごはんかと思われたが、腹持ちしない問題が見つかりそのうち作られなくなった。

 

次に和食生活がやってきた。発端は中性脂肪の数値の悪化で、何も考えずに脂の多いものを食べていたのが原因だった。ピザもそうだし、一時期豚バラ肉を焼きそばにしていたのもまずかった。上昇した数値は危険なレベルではなかったが、客観的に不健康さが突きつけられると真面目に食生活を考えるのであった。

 

そのときこの記事を見つけた。記事の内容が事実ならば、「脂を取らなければ体脂肪は減る」と考えられる。森谷氏の「安静時に糖質と脂質が半々で使われる」「余った糖質は脂肪にならない」という主張がポイントだ。私の安静時消費カロリーは1800kcal/dayくらいなので、半分の900kcalは脂質換算100gになる。もし、一日に50gしか脂質を食べなければ50gは体脂肪から使われるだろう。糖質は脂肪にならないので脂だけコントロールすれば良い。

 

この条件で食事を設計すると、和食が最適だとわかった。

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焼き魚、野菜をたくさん入れた味噌汁、玄米入りごはん

このような典型的な和食になる。脂を控えるのがポイントなので、一汁一菜の味噌汁から肉を減らして魚を足すだけだった。魚にも脂は含まれるが、必須脂肪酸が豊富なのでむしろ好ましい。なんとなく魚料理は敬遠していたのだが、すぐに調理は簡単で美味しいことがわかった。そして、体型への影響もすぐに出た。妻も私も、顔と腹周りから贅肉が落ちたのだ。体脂肪は1kgでペットボトル2本だとかいう話を体験として理解した*1*2

 

生活最適化が好きな人間としては調理の効率性が気になる。一汁一菜を毎日作るには野菜の加工がボトルネックだったが、自作カット野菜で解決している。この工夫は今も続けていて、味噌汁はタッパーから野菜をぽこぽこ入れて煮るだけになった。昨年のふりかえりに書いたつくりおきはもうやっていない。どうやってもつくりおきは味が悪くなるので、加熱せずに加工して保存するのが一番だった。時間最適ではないが、美味しさも視野に入れた最適解だと思っている。魚の素早い調理には干物が便利である*3。切り身だと塩をふって寝かせる時間が必要だが、干物なら冷凍庫から取り出して焼くだけなのだ。鯵やホッケの干物はいつ食べても格別である*4

 

こんな生活はストイックに見えるかもしれないが、和食がデフォルトなのは平日だけだ。休日は洋食を作ったり、外で食べることもある。平日の調理時間、美味しさ、健康性の観点から最適なものを選ぶと和食自炊だっただけだ。もちろん和食以外にも良い解はあるだろう。味覚は人によるので微妙な問題だが、私と妻にとって日常は和食で良かったのだ。また、友人と会食をするようなハレの日はならば、気にせず脂が多くて美味しいものを食べている。日常で脂肪備蓄を減らしているので、たまに外食をするくらいならば大勢に影響はない。

 

 

こうして料理に力を入れた一年になった。調理技術も少しずつ向上しており、美味しく作れるものが増えてきた。土日は初めてのレシピに挑戦しては失敗するのも趣味になっている。料理に真剣になるにつれて道具もシンプルになってきた。米は土鍋で炊き魚は焼き網で焼いている。あとは雪平鍋と中華鍋しか使わない。

 

調理をしながらよく観察するようになった。加熱による食材の変化を感じるのが美味しく作るコツである。土井善晴氏の言うとおりだった。観察のなかでもっとも大事なのは味見で、味見を覚えたら自然と舌も敏感になっていった。そういった意味ではCOVID-19に感染して味がわからなくなるのはとても怖い。このまま引きこもってやり過ごすつもりである。

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挿絵

読書と日記

今年もたくさん本を読んだ。一番時間をかけたのが哲学で、存在と時間の二週目、カント、ウィトゲンシュタインを読んでいた。特にウィトゲンシュタインが面白くて言語と世界について思いを馳せるきっかけになった。社会学ジグムント・バウマンしか読んでいない。どの本も的確に現代社会の宿痾を指摘していて面白い。新しく気に入ったのは野矢茂樹養老孟司だ。野矢茂樹は存命の哲学者だが、哲学者らしからぬ(?)広い視野を持っているように見える。文体も軽くて読むのが楽しい。本業の哲学書からエッセイまである。養老孟司も良かった。バカの壁で有名な人だが、他にもたくさん本を出している。この人は人間についていろいろ分析して身も蓋もないことを言うタイプだ。複数の本に同じ話が出てくるので、新しめの本をつまみ食いするのがおすすめだ。

 

技術書はデータ指向アプリケーションデザインとディープラーニングの本を読んだ。データ指向アプリケーションデザインはよくできたサーバーエンジニアの教科書だった。同業の方にはぜひ読んで欲しい。あらゆるデータストアの使い方を設計するのに役立つと思う。ディープラーニングは業務とは関係なく趣味の人間研究として読んでみた。

 

本を読みながら感想を書くようになった。今までは線を引いて本に書き込んでいたのだが、余白が足りなくて紙と万年筆になった。読んでいて何かを思いついたら連想が止まるまで膨らませる。書いたことはたいてい忘れてしまうのだが、その場で限界まで考えておくのが大事だと思う。もし必要になったらあとから掘り起こせば良い。

 

考えるときは文字を使わなければならない。書いてしまえば忘れられるから思考が次に進むのだ。深く考えるのに必要なのは、忘れながら先に進むことだと思う。うねうねと書きながら考え、めでたく結論が出たらその考えは自分にとって当たり前になっている。自分で考えて当たり前になったものが真の理解なのだと思う。文字を使わない限り思考は同じ場所にとどまってしまう。書いた数だけ考えられるようになるのだ。

 

 

今年も読書と日記に時間をかけていた。朝起きたらまず日記を書き始めて、何かあるたびに出来事を書きつける。何も起きなかったら何も起きなかったことを書く。意識にモヤモヤしたものがあれば、雑に書き始める。その場で結論は出なくても良い。また繰り返し考え、そのうち理解に至るものだ。夜は風呂で読書をする。体調に合わせて簡単な本から難しい本まで使い分ける。これを毎日繰り返していた。二年続けて気づいたのは、読み書きが人生の質を左右するということだ。仕事でも役に立つし、悩みを分解して精神をクリアーにするのにも使える*5。このまま死ぬまで続ける習慣だと思う。

まとめ

毎日少しずつ積み上げているとよくわからないものだが、ふりかえってみると今年もよく頑張った年だった。健康さはすべての基礎なので、来年はもっと身体を絞って筋肉をつけていきたい。そろそろ自律神経の調整とも決着をつけて休むべきときに休める感覚を磨きたいものである。

*1:いまもゆっくりと体脂肪が減っている

*2:身体が軽くなってなぜか走れるので朝の散歩がランニングに変わりつつある

*3:京都は鮮魚が届きにくい土地だが干物なら安定して美味しいという事情もある

*4:他にも旬の魚の切り身、味噌漬けがおすすめだ

*5:人に言えない悩みだってあるので日記はインターネットに書かないのがおすすめだ