しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

スマホとSNSに切り刻まれている

先日、放送大学の人格心理学という科目の教科書を読んだ。人格とは何か、という問題を多面的に考える科目だ。本題は人格全般を心理学することなのだが、この教科書の最後の章に興味深い指摘があった。

電子メディアによって私たちの日常生活は、二重の意味で分断される。ひとつは時間軸の方向に、もうひとつは空間内においてである。時間軸での分断とは、次のような事象である。たとえば、モバイル端末を通して、複数の友人から頻繁にメッセージがやってくる。私たちはそれに即座に反応し返信することが一般的となっている。異なる人々との関係は、異なる対人的状況である。そのたびに私たちは「自分」を切り替え、自分の置かれる文脈(コンテクスト)を切り替えざるをえない。

(中略)

私たち連続性のある一貫した状況の中ではなく、切れ切れになった状況の中を生き抜いていかねばならなくなっている。これは、私たち人間がこれまで体験したことのなかった事態である。

人格心理学 p241

私たちは切り刻まれている

たしかに日々、私および皆さんの人格は切り刻まれている。スマホをいじる自分を観察すると、アプリを替えるたびにコンテキストを切り替えているのがわかる。ブラウザのタブでもコンテキストが切り替わる。twitterをするときはtwitter用の人格を持ってこないといけないし、slackやdiscordでも同様だ。文字列コミュニケーションであろうが関係はない。人間と喋るのだから、過去のやりとりや、どんな性格の人なのか、等々を頭に入れないといけない。というか、無意識が勝手にメモリに載せてくれる。

さらに悪いことに、twitterのタイムラインにはたくさんの人が流れてくる。つきあいの長いフォロワーだと、その人のツイートをみるだけでもコンテキストが意識される。タイムラインではスクロールするだけでコンテキストの切り替えが起きるのだ。もちろん、薄目で読み飛ばせば認知的な負荷にはならないだろう。だが、ツイート一つ一つをちゃんと読みだすと、たくさんのコンテキスト切り替えが起きる。真面目にSNSに付き合うとそれだけで頭が疲れてしまう。

となると、twitterアプリとslackアプリを行き来するのは相当疲れるはずだ。実際に、一日中コミュニケーション系アプリをみていた日は、夜になるとテキストが読めなくなる。これは私の経験的事実だが、似たような状況に陥り何もできなくなる人は多いと思う。

これってまずいのでは?アプリを切り替える生活で知らず知らずのうちに消耗している。こんな無駄なことはない。危機感を覚えた私は、一つのコンテキストを長くとる生活をしてみた。知人とのコミュニケーションも娯楽なので、完全にやめることはできない。なので、一日に数回だけtwitterやslackのログを流し読みするようにしてみた。すると、夜になってもたくさん文字が読めること、日記にたくさんの文字を書けることに気づいた。認知リソースが夜まで残っているのだ。*1

指が勝手に動く

コンテキスト切り替えをやめるのに障害になったのは、無意識な指の動きだ。アプリ切り替えに慣れすぎて、妻氏とLINEをしたあとに無意識さんがtwitterやslackを開いているのだ。これをやめるには、ゆっくりとスマホを操作するしかない。無意識はすばやい動きを覚えて自動で実行する。速すぎるので意識に上ることがない。なので、ゆっくりとした動きを意識に載せながらやると、自分が今何をしているのか判断できるのだ。今何をしているのか自覚的になる、これはマインドフルネスと同じ考えだ。電子メディアで自我がバラバラにされる現代でマインドフルネスが隆盛を極めているのも無関係ではないだろう。

 

電子メディアによる効率化はすばらしい。だが、自己意識をバラバラにして疲れ果てさせるのがよいかは別の話だ。私はそうなりたくはない。日記と読書が趣味なので、余暇は文字を書いたり読んだりしていたい。他人の声を無視して内省する時間が必要だ。

 

 

*1:おまけに集中も長く続くようになった