しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2022/06/12 蒸し茹で

『一汁一菜でよいと至るまで』を読んだ

土井善晴の半生を描いたエッセイ。土井勝の子として料理人になり、料理研究家として独り立ちするまでを描いている。

文章は読みやすく、内容は他人の人生なのでおもしろい。

蒸し茹でという料理法を試し、おいしい万能調理法であることを知る

蒸し茹でとは、いわゆる無水調理である。鍋に野菜や肉、少量の水をいれて蓋をして加熱する。

いまではホーロー鍋を使った無水調理が流行っているが、土井勝が海軍勤めをしていた頃から当たり前の調理法だったらしい。海軍は水を節約するので、茹でずに蒸す必要があったのだ。

土井善晴氏はこの調理法が料理研究家として武器になったと書いている。実際にアプリのレシピにもよく出てくる。

 

蒸し茹でを試してみるとたしかによかった。

ふつうに茹でるよりもおいしくなる。旨味がお湯に流出しないからだろう。

しかも時短になる。根菜でもすぐに火が入るのだ。水蒸気のおかげで効率的に熱を与えられているのだと思う。

 

味噌汁にも応用できた。蒸し茹でで肉と野菜に火をいれたあと、水を加えて温める。味噌を溶いたら完成。やはり具の味がしっかり残るし、スープに雑味が出てこない。

さらにカレーやシチューにも応用ができる。まず香味野菜や肉を炒めて焼き色をつける。次に残りの野菜、肉などをいれて蒸し茹でにする。火が入ったら酒や水、その他調味料をいれて仕上げる。

蒸すときに加える水はあってもなくてもよい。というか野菜の量によって判断する。葉物野菜が多ければ水はいらないし、そうでなければ水を少量加えるとよいだろう。

 

ジャンルとしては無水料理なのだが、別にストウブやル・クルーゼはいらない。ちゃんと蓋ができる鍋、あるいはフライパンがあればいい。

感想

土井善晴氏はレジェンドの息子のボンボンではあるが、父から「善晴は料理しかできないね」と言われるほどの料理オタク?である。フランスや吉兆で修行もしている。
経験と言語化能力、規範を疑う知性があるので、尊敬に値する人物だな、と思った。

 

一汁一菜が必要になったのは、メディアが家庭料理とプロの料理、つまりハレとケの区別を曖昧にしてしまった、という背景がある。

家庭料理にプロの猿まねが入り込んだのと同様に、その辺にある外食が家庭料理の延長として中途半端なものになっていると思った。

本物を知りたい。一万円くらいだしてプロの料理を食べてみたいな、と思った。

雑記

睡眠時間が足りなくて仕事の出力が低め。はやく寝たいが、毎日Dyson Sphere Programを寝る前にやっている。病気デース。

火加減は音で調整するものだと理解した

蒸しものは沸騰と水蒸気の音がするし、焼きものは油の弾ける音がする。適切な火加減は鍋に入っているものの量で変わるので、音で判断するのがよいと思う。

社交ダンスのレッスンを受けると翌日背が伸びていた

社交ダンスは姿勢をよくしたまま動くので、踊ったあとはしばらく姿勢が最高の状態になるのだ。

姿勢がよいと体調もよくなるので、毎日簡単なステップをやろうかなと思った。

水はガラス瓶に保存するとうまい

適度に冷やした水はおいしいので、ワインセラーに飲み水を入れている。
このたび、プラスチックボトルに入れた水はまずく、ワインボトルに入れた水はおいしいのを発見した。

なぜそうなるのか。プラスチックは(材質によっては)空気を通すから。空気が通るということは内部の水との反応が起きるので、水クラスタを大きくできないのだと思う。

一方でガラスは水も空気も通さない。化学的にそうとう安定しているらしい。だから窓や実験器具に使われるわけだ。

宇多田ヒカルのインタビュー記事を読んだ

自己愛の話がおもしろかった。自分のなかに他者みたいな視座を持ち、かつ、事実と妄想の区別ができたときに自己愛が安定する、と読んだ。

「他者みたいな視座を持つ」のができている人は多い。「この状況であの人はなんと言うだろうか」みたいな妄想。しかし、それは妄想であって実際には起きていないことに注意がいる。ここが難しい。

宇多田ヒカルはもともと感情に色をつけない技術を持っているので近いことはできていたのだが、精神分析のおかげで、事実と妄想の区別がよりうまくできるようになったのだろう。

「複数の問題を一度に解決するアイデア」が好きだな、と自覚した

例えば一汁一菜。このアイデアは栄養バランス、おいしさ、調理の手間の問題を解決している。火も消化と殺菌、おいしさを生みだしている。究極は言語の発明だろうか。

あるアイデアが一つしか問題を解決しない場合、私はそのアイデアを評価しない。これを「弱いアイデア」と呼ぼう。他方、複数の問題を解決するものを「強いアイデア」と呼ぶ。

「弱いアイデア」は局所最適解になっていて、つまらない問題しか解けない。「強いアイデア」になるまで磨かれていないと、生活や仕事に取りいれる価値はないと思う。

たくさん使い道がある道具、と考えるとわかりやすいかもしれない。フライパンはあらゆる調理に使えるが、ポップアップトースターはパンしか焼けない。これは専門化しすぎて一つの問題しか解決できない「弱い道具」である。