しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2022/10/16 AI画像生成でキャラクターを理解する, 欲望の棚卸し, ほか

AI画像生成でキャラクターを理解する

特定のキャラクターを再現する呪文の開発にハマっている。

ブルーアーカイブの阿慈谷ヒフミさん再現プロジェクト

それの何が楽しいのか?キャラクターのキャラクターらしさを理解するのが楽しいのである。キャラクターの特徴を言語化する遊び、だろうか。

呪文にはキャラクターの本質的特徴が含まれてなければならない。特徴を理解して呪文を作るのが人間の仕事であり、楽しみ、というわけだ。キャラクターが再現できたかどうかはみればわかる。二次創作のイラストにも似てるもの似てないものがあるのと同じだ。

具体的な特徴は目元、髪、表情に出やすい。タレ目かツリ目か、髪の色、アホ毛があるかどうか、などなど。ちょっとした違いでも、これは違うキャラじゃん、となるのがおもしろい。

非常に微妙なニュアンスを持ったキャラクターもいて、安定的に再現するのは難しい。ニュアンスのあるキャラクターはIPという観点でも強いだろう。他のキャラクターとの差異があって覚えやすいから。

正直なところ、生成されるイラストには執着・感慨がない。イラストが欲しいのではなく、キャラクターの理解が目的である。ゲーム的な楽しみでもある。キャラクターの固有名詞に頼らずにキャラクターを安定生成する呪文ができるとうれしい。

包丁はこまめに研ぐ

包丁はこまめに研ぐとよいのに気づいた。3000番から5000番くらいで二週に一度研ぐと、よい切れ味が維持できる。包丁の細かい傷をこまめに修復していく作戦になっていて、カボチャや魚の骨を切らない限りはうまくいくと思われる。大きな欠けができたらさすがに1000番が必要になる。

この方法が嬉しいのは、使う砥石が固定できる点にある。これまでのやり方だと数ヶ月に一度、1000番と仕上げ砥石で研ぐ、みたいな方法だったのだが、砥石を交換して研ぐのはけっこうめんどくさい。それに、数ヶ月に一度みたいな頻度になるとたいてい研ぎ方を忘れている。

というわけで、頻度をあげて、シンプルな方法で切れ味を維持していく作戦にかえた。有効だと思われる。

お仕事の様子

三週間ほど本業プロジェクトを放置していたらお尻に火がついてしまった。人を待たせるタスクがいくつか溜まってしまい、つつかれる。すみませんすみません、と形だけ土下座をしながら片づけていた。優先度判断は間違ってないのでまったく悪気はない。

半日ずつ別の仕事をする、みたいな働き方は苦手で、マルチタスクは向いてないな、と思った。

環境問題について妄想する

ある日の風呂上がりに環境問題について考えていた。風呂で身体を洗ったり、タオルで身体を拭いているときに変な思いつきをする。

そのときのテーマは地球規模のエネルギー問題だった。問いは、持続可能なエネルギー源は何か?というもの。

 

答えは人工の核分裂核融合である。というのも、埋蔵エネルギーや植物などは、どれも太陽から降ってきたエネルギーを貯蔵したものだから。石炭も石油も、バイオマスも、すべて太陽のエネルギーが変換されて蓄積されたものである。数億年かけた太陽エネルギーの蓄積なので量はあるのだが、原理上限りがある。近年のエネルギー消費速度を考えると、埋蔵資源を食い尽くすのは明らかである。

なので、太陽以外からエネルギーを持ってくる必要があり、それは質量欠損だ、という話。「人工の核融合」と言ったのは太陽が天然の核融合だからである。結局のところ、自然界で得られる巨大エネルギーは核融合が主である。それを太陽からとるか、人工で得るかの違いになる。早く実現するといいですね、核融合発電。ただし、人類の核融合技術のレベルによっては、ヘリウム3が足りなくなるかもしれない。

 

まだ問題はある。エネルギーのゴミ、つまり熱の排出。わかりやすく言うと地球温暖化地球温暖化は人類の活動でエネルギーのゴミが出ている、と捉えられる。もちろん二酸化炭素の排出もあるのだが、人類のエネルギー使用量が大きいほど、出てくるエネルギーゴミも多くなるはずだ。電気設備や化学反応は熱を放出する。これほど無駄なエネルギーはない。

熱もエネルギーなので、これを回収して電気に、あるいは物体として固定化できるとよい。そういう技術は存在するし、研究もされているだろうけど、効率が悪いのが現状だろうか。熱エネルギーを効率的に回収できるようになると、二酸化炭素を多少排出していようが、温暖化は止まるはずである。エネルギーにもなる。

SF的な発想をすると、『プロジェクト・ヘイルメアリー』のアストロファージの熱一般バージョンがいたらいいのだろうな、と思う。微生物による化学反応はスケールするのがよい。条件さえ整えれば、微生物のもつ酵素によって効率的な反応が実現できる。と、思弁的に理解しているが、実際のところどうなのかは知らない。発酵の制御もいろいろ苦労はあると思う。

欲望の棚卸し

お絵描きAIの登場により、絵師の実存が脅かされている。らしい。絵師が駆逐されるという簡単な話ではないし、共存すればいいだけなのだが、それでも不安を持っている人は多いだろう。

しかし、絵師のアイデンティティが揺らいでいるのはもともと、である。AIの登場とは関係がない。消費市場では差別化が必要で、他人と似たものを作るのにはあまり価値がない。商業的に安価にイラストを生産するならば似ていてもいいのだが、趣味ならば自分の癖に尖らせるのがよい。なのに、似たような絵柄の絵師がたくさんいる。

問題は癖を育てるのに努力が必要な点にある。努力はたいへんで、自然にできるならば苦労はしない。自然に努力ができるのは、絵を描くこと、あるいは絵を描いて評価されることへの欲望が強い人である。たいていの人はそんなに強い欲望を持っていない。

欲望が強い人は、生活や健康を犠牲にして、リソースのすべてをお絵描きに費やすだろう。これはお絵描きでなくても、何にでも言える。しかし一方で、健康や対人関係、社会的な信用なども犠牲にしかねない。破滅的な性質も併せ持つのが、欲望の強い人である。

もちろん多くの人は欲望が弱め、あるいは強くなく、バランス感覚を持って生活と社会と趣味を両立させている。すると、お絵描きにすべてのリソースを投下する、という判断はしないようになる。つまり欲望が弱めで広い視野を持っている人は異常な努力ができなくなる。よって、イラストの上達スピードは遅くなる。

若くて欲望の種類が少ない人、あるいは欲望が強い人はそのまま放っておけば上達していく。問題は欲望が弱くて冷静さのある人である。絵を描きたい気持ち、評価されたい気持ち、がほどほどにあるが、生活を投げ打つほどの勢いはない。そういう人がジレンマで悩む。

 

必要なのは、欲望の棚卸しと欲望を育てること、である。個々人の欲望には、理由のある欲望と、まったく理由のない欲望がある。

理由のある欲望は、他者から植えつけられたものが多い。他人がガジェットか何かを買って自慢していたから自分も欲しがる、みたいなやつ。他者の欲望に欲望する、と消費論で言われるやつ。この手の欲望は、本当に欲しいのか?と疑っていくと消えてしまうだろう。

大事なのは理由のない欲望である。ただそれをやると楽しい、線を引いて妄想を具現化するのが楽しい、理由はない、そういう欲望。このタイプの欲望は個々人の脳構造、認知様式に由来するもので、意志で曲げるのは困難である。あるがままにして、こちらのタイプの欲望を育てるのがよい。

 

というわけで、自分の欲望を並べて吟味し、棚卸しをしていくことが必要になる。お金や時間などのリソースは限られているため、自分の小さな欲望を全部叶えるのは無理である。強くない欲望を持つ人は、棚卸しをするだけの思慮、大人な性質があるはずだ。理由がある欲望を諦めれば、理由のない欲望を残してそれに投資することができる。

理由のない欲望を毎日刺激し、時間を投下していけば自然とその欲望は強くなる。もともと欲望が強い人のレベルにはならないかもしれないが、中くらいの強さの欲望にはなるだろう。思慮分別とほどほどの欲望、実務能力を持つ者はなかなか強いと思う。強すぎる欲望を持つ人との仕事は難しいから。

 

ちなみに私は「文章を書くこと」が理由のない欲望である。言語化が楽しくて、なぜ楽しいのかは自分でもわからない。アファンタジアの認知様式にはこれしかないのかもしれない。