しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2022/10/23 近況, 空間には文脈がある, 画像生成と偶然性

近況

体力がなくなってた

自転車通勤を再開したところ、体力が喪われているのに気づいた。二年間の在宅勤務の代償は大きかったようだ。通勤で自転車に乗った日は、帰ってきて寝るまでぐったりしている。

しかし体力ってなんなのだろう。われわれは気軽に体力というが、実態は謎である。筋肉だけでなく神経の耐久性もある気がする。神経伝達物質は使いすぎると寝るまで戻らないところがあるから。

在宅勤務で刺激の少ない生活をしていた結果、シナプスが刈り込まれてしまったのかもしれない。

アシスタント作業

妻氏の漫画が仕上げの時期に入り、アシスタント作業をして漫画が公開された。いつものごみ取りとトーン塗り。今回はアナログ作業フェーズのペンが変わったおかげで、いい線が残るようになった。

manga-no.com

今回はゴキブリの話だったが、元ネタは実話である。いつだったか週報に書いた覚えがある。ネームの初期段階では実話ベースだったのだが、途中で脚色したほうがおもしろいことに気づき、オチを変えた。事実としてもおもしろい出来事だったのだが、脚色したらよりよくなる。

グラフィックボード選定

AI画像生成がおもしろくなりそうなので、グラフィックボードに投資する。今はGTX 1070を使っていて、1枚生成するのに30秒から1分くらいかかる。最新のGPUだと数秒になる。

ふつうに考えるとRTX 4080あたりを買うべきだが、3年前にMac mini用に購入したeGPU BOXを使わねばならない、という思考に囚われていた。サンクコストである。

www.razer.com

eGPU BOXにはさまざまな制約があり、RTX 4080が入らないことがわかっていた。であればRTX 3090にすべきか……、と悩み続けていたのだが、eGPU BOXにGTX1070をつけて実験をしたらWindowsがeGPUをうまく認識しないことがわかってしまった。歴史的にeGPUとWindowsは相性が悪いらしい。Macは問題なかったのだが、Windowsはそういう製品であるようだ。

 

思弁的にいろいろ考えていたが、実際に試すと簡単に結論が出た。こういう回り道は仕事でもよくあるよなあ、と思った。スペックシートや数値だけをみてあれこれ考えるが、実験をして具体的に確かめたら素直な結論が出るやつ。仕事だと空中戦を避けて議論ができるのに、趣味の領域だとそのような冷静さが発揮されないことがわかっておもしろかった。

画像生成AIで絵描きの格差が広がる

妻氏と議論をしたところ、AIは道具にすぎず、もともと上手な人が生産スピードを上げるのに使える道具である、という結論が出た。つまり上手な絵描きが上手な絵を、以前より素早く出せるようになるだろう。

空間には文脈がある

家のなかの机、ダイニング、ソファなど、それぞれの場?空間?には文脈がひっついているらしい。具体的に言うと、ソファはくつろぐ場、ダイニングは食事をする場、みたいな。

 

本来は机が仕事をする場、だろう。真面目に何かに集中する場所。そうであってほしかったのだが、私のなかでは机がだらける場になっていたようなのだ。そのせいで仕事で机に向かっても集中ができなかった。ソファやテーブルで仕事をすると捗っていた。ふつう逆である。

なぜこうなったのか。メインの私物マシンをMac miniにしていたからである。ディスプレイがついていないので、日々のインターネットをするのに机に向かっていないといけない。こうして机が遊びの場になってしまっていた。

 

場の文脈は軽視できないなと思った。メリハリというやつだろうか。家で仕事をするには、机は真面目な作業をする場所、というラベルをつけ続けないといけない。そのラベルを維持し続けた結果、机に向かいさえすれば仕事ができる、という状況が作れるのだろう。だから、プロの物書き、学者などが複数の机を持っているのである。

在宅勤務をするうえで深刻なので、私物マシンをラップトップに買い換えることにした。メインマシンのモビリティがない限り問題は解決しない。Mac miniを買ったのは2018年の判断だが、このせいで自分の行動が制約され、机の文脈が遊びであり続けてきた。環境への投資の影響は長く続く。恐ろしいことである。

今やなんでもバッテリーを備えているものなので、ひとまずモビリティ、空間的な柔軟性に振っておくのがよい。家の空間を批判的に検討しさえすれば、あとからいいように動かして、空間の文脈を上書きできる。

理想的には、家で行う活動の種類だけ椅子が必要である。仕事をする椅子、読書をする椅子、だらける椅子、それぞれ違う文脈を持っていたほうがよい。それをするには広い家が必要なので実際には難しいのだが、折りたたみのニーチェアなどを使えばある程度は実現できるだろう。

画像生成と偶然性

画像生成を回す楽しさは、偶然性との出会いである。

原理からしても画像生成は乱数のシード値が大事だ。初期値がなんであるかによって、出てくる絵が大きく変わる。呪文は初期値を方向づけるものにすぎない*1SNSに公開されているおもしろいAIイラストは、どれも乱数ガチャを回したうえで選別されたものである。選別するとき、人間の目が関わっている。

選別する人が狭量だと、常識はずれでおもしろいイラストが出てきても捨てられる。常識を半ば無視しつつ、外部に対して開かれた態度を持つ人だけが、乱数生成のイラストからアイデアを得られるだろう。選別をする目が大事なのは、そういう意味である。技術的な審美眼も必要だが、態度が開かれてなければならない。

*1:と、勢いで書いたものの呪文も大事である。今の私の理解だと、呪文は空間の制約であり、呪文でよい空間を定義できると、乱数に頼らず狙ったものが出せる。それがおもしろいかはともかくとして