しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2022/12/04 ドウが爆発して妻氏が飛び起きる, 認知メディアの多様さ, インターネットで消耗しないために

雑記

寒いとよく眠れる

12月。冬になった。いきなり1℃である。

寒くなって、寒いとよく眠れるのを思いだした。動物は冬には寝るものである。そういうものだと思って好きなだけ寝てしまえばいいのだ。

ドウが爆発して妻氏が飛び起きる

exploding

土曜日の朝、ふとワインセラーを眺めたらパン生地がパンパンに膨らんでいるのが見えた。「The dough is exploding」と伝えたら妻氏は飛び起きたのだった。パンづくりで過発酵は避けたいものらしい。

IOを遠ざける

IO(入出力)をロジックから離しておくのは、アプリケーション実装の鉄則である。Clean Architectureが有名。業務でリファクタリングをしていたらロジックとIOが密結合しているのを見つけた。切り離すと見通しがよくなった。

IOはファイルシステム操作や通信だけでない。UI描画もIOだ。UI描画は、画面への出力、人間への出力であるとも言えるし、実際にプラットフォーム固有の面倒さが出てくるレイヤーである。具体的になるほどややこしいのだな。

だからアプリの中核的なロジックはピュアにしておいて、IOは脇に追いやる。プログラムの結合の構造としてそうしてもよいし、IOを抽象化する手もある。Goのio.Readerもそうなっている。抽象化をすると、結合は減らせる。

『食べることの哲学』を読んだ。

sekaishisosha.jp

文章が上手でおもしろい本だった。倫理学的な観点から、食べることの問題をいろいろ論じている。食べることは人間性と動物性が交わるところであり、人間は食べないと死ぬ、生物を殺し続けなければならない、という問題意識からはじまる。

ただ、終盤はちょっと議論が雑だった。食べることの哲学に結論を出すことは要求しないのだが、もうちょっと最後のほうの読み味を丁寧に構成して欲しかった。

エイヤで議論を進めて全体像をわかりやすくするのは檜垣先生の魅力ではありそうなので、トレードオフなところがあるのかもしれない。おもしろいのは間違いない。

よかったところの引用

ヘルシンキにいったときも、目の前の会社帰りとおぼしき二人は、立ち席の丸机に陣どって、ほぼ何もしゃべらず数時間ひたすらビールだけを飲んでいた。何も食べずに、無言で、である。すさまじいなとおもった。

p.169

欧州は北にいくほど食文化が貧しい話。

認知メディアの多様さ

知り合いのプログラマたちがChatGPTで遊び始めた。有名な例はこの記事。

結城浩とChatGPTの対話 · GitHub

これを読んで、AIに生成された文章は読めないな、と思った。

文章を書く人にとってはテキスト生成AIにあらが見えて、絵を描く人には生成イラストにあらが見える構造があるようだ。

文法的には正しいし意味がとれない日本語ではない。だが、どこか下手くそである。『みんなのユニバーサル文章術』の観点からすると赤が入る。そう思うのは、私や妻氏がうまい文章の本をえり好んで読んでいるからだろう。その辺を気にしない人たちはおもしろがってテキスト生成で遊んでいる*1

人によってあらが気になるメディアは違うらしい。絵描きはイラストへの厳しい目を持っているし、私はテキストに対して。そういった違いは、認知傾向、認知処理の得意分野によって決まってくるのだろう*2。脳の情報処理の偏りであり、ほとんど生得的な性質だ。

画像生成AIで遊んでいると、絵描きである妻氏は一瞬で画像のあらを指摘していた。見ていて気持ちが悪い、とも言っていた。イラストに対するこの感覚はわからなかったのだが、テキストに対しては同じような感覚があった。テキスト生成によって、絵描きにとって生成イラストがどう見えているか、が想像できておもしろかった。

文章はリズム

ここで思いだしたのは、文章はリズムである、ということ。

『仏教思想のゼロポイント』の著者である魚川さんことニー仏氏の記事の引用に、

というものがある。至言である。

note.com

インターネットで消耗しないために

インターネットの権力者

インターネットで権力を持っているのは、ソフトウェアエンジニア、発信者、大衆である。

ソフトウェアエンジニアが強いのはウェブサービスを作れるから。開発だけでなく運用という観点ではSREも含まれる。mastodonを動かすのに必要なのはSRE的な技術力である。

発信者とは、インターネットにコンテンツを投じる人である。ライター、ブロガー、SNS参加者、YouTuberすべてを含む。仕事であれ趣味であれ、テキスト、動画などをインターネットに投稿する人たち。範囲が広すぎるので、もう少し限定をしよう。これらのコンテンツ生産者のなかでも強いのが、わかりやすい説明をする人たちだ。わかりやすい説明、表現は大衆に影響を与えられる。説明が上手な人は文章を読ませて、読者に知識や思想をインストールしてしまう。なかには支配して洗脳してしまう人もいるだろう。

最後に大衆。数の暴力で圧力をかける。大衆社会だから当然強い。ただ、核がなくて容易に制御はできない。倫理と感情に訴えかけると大衆は動くのだが、運の要素もある。同じような反社会的行動をした二人の人のうち、片方だけ燃やされることは珍しくない。

インターネットの権力構造

インターネットという空間は、人間と人間の間の情報流通を担う場だ。情報流通のための交通整理をしているのが、インターネットサービスである。サービスを作っているのがソフトウェアエンジニア。情報の流通システムを握っているので当然強い。上述のとおり。そして、発信者はインターネット空間に情報を投じる、流し始める人である。わかりやすい情報を出せる人は自然とフォロワーが多くなる。影響を与える。だから強い。

大衆を除く二者、ソフトウェアエンジニアと発信者は構造的に強い。インターネットが人間に情報を流すシステムである、という性質を持った瞬間から、この権力構造は決まっていたのだ。

権力に抵抗する

抵抗する方法はフィルタである。物理的にスマートフォンを見ないでおくこと、インターネットサービスの提供するタイムラインをそのまま使わないこと。推薦システムによって挿入されたコンテンツはCSSJavaScriptで取り除ける。プログラミング技術は権力に対抗する権力である。また、SNSならばリスト機能を使えばよい。

自分用のフィルタを作れるか、フィルタの手入れができるかどうか、ここもポイントになる。この人はおもしろいかな?いい情報を出すかな?と判断する必要がある*3。優柔不断な人は判断ができないだろう。意思がはっきりしている人でないとインターネットを使うのは難しい。人をみる目もいる。もちろん世の中はそんな人ばかりではない。だから大衆は影響を受けて各所を燃やしているのだ。

フィルタを自分で持たないと影響を受けてしまう*4。これがインターネットの宿命だ。かつて「アウトプットは量多い方がいい。フィルタは各自がやればいい。この原則わかんない奴はインターネット合わないと思う」というツイートがあった*5。私はいまもこれがインターネットの原則だと思う。2009年当時と違うのは自分でフィルタをしないと包摂されちゃうよ、という点だけである。

*1:日頃からプログラマ一般の文章は下手だなあと思っているのだが、こういうところでも違いがあるようだ。彼らは文章をどういうふうに読んでいるのだろうか……。syntaxが正しければ受理するのだろうか。

*2:『医師のつくった「頭のよさ」テスト』を読むべし。

*3:合わないのによく流れてくる人はミュート・ブロックをしてもいい!

*4:エコーチェンバーが云々の批判は無視していい。インターネットだけから知識を得るのが間違っているので本を読むこと。

*5:アウトプットは量多い方がいい。フィルタは各自がやればいい。この原則わかんない奴はインターネット合わないと思う。 - 橋本商会